先日のテレビで、
「内藤湖南」の事を取り上げてましてね、
邪馬台国のことかなと思いながら見たら、
そうではなく「中国史の学者としての湖南」に光を当ててました。
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明治から昭和を生き、
日本の中国史学の礎を築いた内藤湖南。
湖南は中国の歴史を千年さかのぼり、
社会に通底する特質を見抜いていった。
中国を知るヒントとなる特質とは。
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まぁ知らないことが多くて、
面白く見終わったんですが、
その中で印象に残ったのは、
出ていた学者さんの一人が仰った事。
「中国では科挙と云う国家試験により、
優秀な人なら誰でも出世できると云う体制になったんだけど、
そのせいもあって、
親は子に知識を詰め込む教育に熱心になった」
それはやがて記憶力の競争のようになり、
真の学問の意味からは遠ざかる結果ともなったのではなかろうか。
日本の明治の時代、
中国の開国が遅れたについてはその影響もあったのだと思う。
ひるがえって今の日本、
高学歴を追い求める風潮は、
学問が「記憶力の競争」に堕して居はしまいか。
そんな気がちょっとしました。