近所のスーパーへ、
ヒルメシの買い出し行ったら表に列ができている。
いつも閑散としている店なので、
「はてな」と思いながら中まで入ったら、
行列の先頭には、
「刃物研ぎ」と書いた幟旗(のぼりばた)。
ははぁ、ナルホド
皆さん自宅で使う包丁を持って駆け付けて来たと云う分けか。
どの奥様方も、
順番が来るまで辛抱強く待っているのだが、
その退屈そうな人の列へ向かい、
キビキビとテンポの良い「村の鍛冶屋」が流れているのが、
ちょっとユーモラスでした。
この労働歌、ウィキペディアにはこうある。
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【村の鍛冶屋】
作詞者・作曲者ともに不詳。
初出は大正元年の「尋常小学唱歌」。
歌詞が換えられながら、
全国の小学校で長く愛唱されてきた。
だが昭和30年代頃から
農林業が機械化するにつれ野道具の需要が激減し、
野鍛冶は成り立たなくなり次第に全国の農村から消えていく。
この歌にある
鍛冶屋が働く光景が身近でなくなると、
この歌も削除され始め、
昭和60年にはすべての教科書から消滅した。
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私の子供のころにはまだ村にも鍛冶屋があり、
鎌(かま)や鉈(なた)、鋤(すき)鍬(くわ)などを打ってました。
いま、こう書いていて驚いたのが、
鎌、鉈、鋤、鍬にすべて振り仮名が居ること。
振り仮名どころか、
こう云う道具を見た事のない人の方が多いのではなかろうか。
なにしろ、
急激な農業の近代化で、
肝心の農家にさえ、
これらの諸道具が揃っているかどうかあやしいものね。
まぁ、鍛冶屋は消えたけど、
私の記憶には歌詞がシッカリ残ってます。
尤も、改変された戦後用の歌詞ですけれどね。
歌詞として見るなら、
出来た当初の詞が一番いいと思います。
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一、
暫時しばしも止まずに槌打つ響
飛び散る火の花 はしる湯玉
ふゐごの風さへ息をもつがず
仕事に精出す村の鍛冶屋
二、
あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)
早起き早寝の病(やまひ)知らず
鐵(てつ)より堅しと誇れる腕に
勝りて堅きは彼が心
三、
刀はうたねど大鎌小鎌
馬鍬に作鍬(さくぐは)鋤よ鉈よ
平和の打ち物休まずうちて
日毎に戰ふ 懶惰(らんだ)の敵と
四、
稼ぐにおひつく貧乏なくて
名物鍛冶屋は日日に繁昌
あたりに類(るひ)なき仕事のほまれ
槌うつ響にまして高し
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