私の子供のころ、
テレビのまだ普及する前、小学校の講堂で映画があった。
授業ではなく村の青年団の主催する映画会。
村中の家回って、切符売って、
ひと晩だけ、町の映画館から映写機とフィルム借りてきて、と云う、
ま、青年団の資金稼ぎ、興行です。
テレビのない時代ですからね、
ケッコウ人気があって、夜の講堂はいつもほぼ満員。
なかでも当時、人気があったのがチャンバラ、
ことに「鞍馬天狗」ともなれば、大人も子供も大喜び。
主演はモチロン、「あらかん」こと嵐寛寿郎。
映画は進み、
天狗に寄り添うヒロインと、
天狗を慕う杉作少年がワルモノの手に落ち、
杉作は縛りあげられ、
ヒロインの美女には好色そうなワルモノがせまり、
あわや落花狼藉か、と云うピンチ。
それを知った鞍馬天狗が、
美女と杉作をすくうべく、白馬に飛び乗り、さっそうと駆け出す。
ここで映画は、
美女と杉作の危機と、駆ける馬上の天狗のカットを交互に映しだす。
見ている村人は、
ピンチの場面では固唾を呑み、
天狗が馬で駆ける場面になると拍手と歓声が上がる。
つまり声援するんです。
なにを、って、
画面のアラカン扮する鞍馬天狗に「それ行け、早く、早くっ」って、
今のように、ドラマを見慣れてませんからね、
見ているうちに、映画の中にのめりこみ、ホントに夢中になる。
なにしろ、ワルモノ役者は、
私生活でも、ホントに悪いことをしているにちがいない、
・・・と、まぁ、多くの人が信じてた時代です
モチロン、子供の私も手を叩いてた。
そのアラカンの一代記を描いた本があります。
題して「鞍馬天狗のおじさんは」。
その中の一節。
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祇園よろしいな、花見小路も一つ狭い路地に折れて、ベンがら格子が並んでますやろ。
わてら活動の役者は一流では遊ばしてくれまへなんだ。
(中略)
芸妓は売りもの買いものとはいうものの、十人が十人誰でも夜とぎをするものやない。
ダンナついてる、オカミもついてる。
けっきょく寝る女でも手つづきがおますわな。
そこがウデとこうなる。
(中略)
そんな次第で、ワテの学校は四畳半やった。
寛プロのころは若僧ダ、
オメコ覚えたてで、いろんなんとするのが楽しい年齢やった。
十人の女と一ぺんづつするよりも、
一人の女と心ゆくまで十ぺんするのがよろしい。
それがわかるのには三年かかった。
あのころの女はよう憶えてまへん。
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「正義の味方もエッチをする」と云う、衝撃の事実。
いや、今となっては笑激かな。 (笑)
酒も飲めないアラカンさん、
別の女ができると、通帳と有り金、全部置いて家を出る。
置いて出た家と有り金が手切れ金、
そう云う風にして、女と揉めんと次から次へ。
大スターやったアラカン、
今の金にすれば何十億と稼いだはずやけど、
遊び続けた結果、
たどり着いたのは、つつましやかな小屋(しょうおく)だったそうです。
そこで、亡くなる直前まで役者を続けた、
それはつまり、
最期まで働かねばならなかった、と云うより、
老いてもなお、
ぜひともアラカンを映画に、と云う引き合いがあった、
つまり、ファンや関係者からの需要があった分けですから、
役者としては、幸せな老後だったのだと思います。