漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

アラカンの鞍馬天狗

2015年05月17日 | テレビ 映画 演芸

私の子供のころ、
テレビのまだ普及する前、小学校の講堂で映画があった。

授業ではなく村の青年団の主催する映画会。

村中の家回って、切符売って、
ひと晩だけ、町の映画館から映写機とフィルム借りてきて、と云う、

ま、青年団の資金稼ぎ、興行です。

テレビのない時代ですからね、
ケッコウ人気があって、夜の講堂はいつもほぼ満員。

なかでも当時、人気があったのがチャンバラ、
ことに「鞍馬天狗」ともなれば、大人も子供も大喜び。

主演はモチロン、「あらかん」こと嵐寛寿郎。

映画は進み、

天狗に寄り添うヒロインと、
天狗を慕う杉作少年がワルモノの手に落ち、

杉作は縛りあげられ、
ヒロインの美女には好色そうなワルモノがせまり、

あわや落花狼藉か、と云うピンチ。

それを知った鞍馬天狗が、
美女と杉作をすくうべく、白馬に飛び乗り、さっそうと駆け出す。

ここで映画は、
美女と杉作の危機と、駆ける馬上の天狗のカットを交互に映しだす。

見ている村人は、
ピンチの場面では固唾を呑み、

天狗が馬で駆ける場面になると拍手と歓声が上がる。

つまり声援するんです。

なにを、って、
画面のアラカン扮する鞍馬天狗に「それ行け、早く、早くっ」って、

今のように、ドラマを見慣れてませんからね、
見ているうちに、映画の中にのめりこみ、ホントに夢中になる。

なにしろ、ワルモノ役者は、
私生活でも、ホントに悪いことをしているにちがいない、

・・・と、まぁ、多くの人が信じてた時代です

モチロン、子供の私も手を叩いてた。

そのアラカンの一代記を描いた本があります。

題して「鞍馬天狗のおじさんは」。

その中の一節。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~

祇園よろしいな、花見小路も一つ狭い路地に折れて、ベンがら格子が並んでますやろ。
わてら活動の役者は一流では遊ばしてくれまへなんだ。

 (中略)

芸妓は売りもの買いものとはいうものの、十人が十人誰でも夜とぎをするものやない。
ダンナついてる、オカミもついてる。
けっきょく寝る女でも手つづきがおますわな。

そこがウデとこうなる。

 (中略)

そんな次第で、ワテの学校は四畳半やった。
寛プロのころは若僧ダ、
オメコ覚えたてで、いろんなんとするのが楽しい年齢やった。

十人の女と一ぺんづつするよりも、
一人の女と心ゆくまで十ぺんするのがよろしい。
それがわかるのには三年かかった。

あのころの女はよう憶えてまへん。

  ~~~~~~~~~~~~~~~


「正義の味方もエッチをする」と云う、衝撃の事実。

いや、今となっては笑激かな。 (笑)

酒も飲めないアラカンさん、
別の女ができると、通帳と有り金、全部置いて家を出る。

置いて出た家と有り金が手切れ金、
そう云う風にして、女と揉めんと次から次へ。

大スターやったアラカン、
今の金にすれば何十億と稼いだはずやけど、

遊び続けた結果、
たどり着いたのは、つつましやかな小屋(しょうおく)だったそうです。

そこで、亡くなる直前まで役者を続けた、

それはつまり、
最期まで働かねばならなかった、と云うより、

老いてもなお、
ぜひともアラカンを映画に、と云う引き合いがあった、

つまり、ファンや関係者からの需要があった分けですから、

役者としては、幸せな老後だったのだと思います。







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