漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

骨のやわらかいうちに

2009年05月23日 | Weblog
大相撲はモンゴル三強の争い、

その相撲振りを見ていて、
きっと彼らは子供のころからモンゴル相撲を取っていたのだろうな、と思う。

最近冴えない琴欧州はレスリング出身、
タックルやフォールには長けていても、
その修行時代、倒れることや、肘・膝を付くことに抵抗はなかったろう。

日本の関取たちも、
その多くは、高校ぐらいから、あるいは柔道から転進したのではなかろうか。

柔道は、抱え込むか引く業がおおいから、
押すこと第一のすもうとは、根本的に違う処がある。

瞬間に出る投げ技や返し技も、
青年になってから教えられて覚えるのと、子供のときからの遊びで身に付けるのとでは違う。

いつだったか、ラジオで、
文楽の竹本綱太夫さんが話しておられた中に、

「私は父が三味線弾きでしたから、
 普通やったらそちらへ行くのが自然なんでしょうが、

 戦争があったりしまして 
 飛行気乗りになりたいな、と学校へ行きましたから、
 文楽でやりたいと思ったときは、もうそこそこの年になってましたんや、

 そやから三味線やめて太夫の方へいきましたんや」と云う話があった。

文楽は、太夫が浄瑠璃を語り、
三味線が伴奏をし、
人形遣いが人形を操るが、そえぞれが分業で、入れ代わることはない。

綱太夫さんのお父さんの云うには、

「三味線ひきになるには、子供のうちからやらなあかん、
 12~3歳にもなってからでは骨が固まってしもてるからあかんのや」と云うことだったそうです。

最近は文楽に限らず、
古典芸能でも大学出てからと云う人も増えたが、昔はそう云ったようだ。

相撲の世界で、
考え方や勝負根性が相撲取りらしくなることを

「ちゃんこの味が沁みる」と云うが、

芸能や勝負勘と云ったものは、
まだ「身体の骨がやわらかい」うちから仕込むのが理想なのかしれない。

ただ、現在のような社会ではそれは難しいことだろうけれども。




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