むかし、丹波の国のさいき村に男あり、
親孝行を第一に心がけ、貧しくもつつましき日をおくれり。
ある日、たき木をとりに山へ入ったおり、
のどの渇きをおぼえ、谷に下りて水を飲もうとし、
水中をのぞき込めば、
大きな黒牛が横に倒れたごとき物あり。
ふしぎに思い、よく見れば、
年々に山より流れ落ちてはかたまり、溜まった漆なり。
男これを知り、
これ天より我への恵みと歓喜し、
それよりは、この漆をとりに通い、
しきりと京へ持ち行きければ、ほどなくひとかどの分限者となりける。
その近くに住む性悪の者、
このことを伝え聞き、
謀(はか)り事してその男を遠ざけ、かの漆を独り占めせんと思い立ち、
大きなる鬼の面に赤毛のかつらを合わせ、
かぶりて鬼の姿となり、かの男が漆を取りに来るのを待つ。
近辺まで男の来るを見て、水に入り待ちければ、
常のごとく、漆を取らんとした男、
水ぞこの鬼を見て驚き、急いで逃げ去りぬ。
かの悪性の者、してやったりと喜び、
水から出ようとすれど、衣服を漆にからめ取られ動けず。
そのまま鬼となりて、死にけるとなり。