漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

一休咄

2012年11月28日 | ものがたり
  
  ○艶書の執心、鬼となりし事
 
伊賀の国、くうやと云う処に寺六十軒あり。

一休、修行に出で給い、
ここにて 日 暮れければ、宿を借らんとて寺々を見れども人ひとりもなし。

一休ふしぎに覚しめし
のこらず寺々を見給えば、ある寺にうつくしき稚児(ちご)ひとり居たり。

一休、立ち寄り、「宿かし給え」との給えば、
「やすき事にてそうらえども、
 この寺へは、夜な夜なへんげの物きたりて人をとり申しそうろう」と云う。

一休、「出家の事にてそうらえば、苦しからず」との給う。

「しからば泊り給え」とて客殿に入れ、児は次の間に寝られけるが、

夜半のころ児の臥したる縁の下より、
手まりほどなる火 いくつともなく出でて、

稚児のふところへ入るかと思えば、
たちまち二丈ばかりの鬼となり、客殿に来たり、 (二丈→約6m)

「今宵、この寺に泊り給う客僧はいづくにおはしますぞ、取って食わん」と、さがしまわる。

一休もとより行い清ましてい給えば、さがしあたらず。

ほどなく夜も明けければ、
鬼も児の寝間に返るかと見れば消えにけり。

一休ふしぎに思し召し、
「稚児の寝られし縁の下を見せ給え」とて見られければ、

縁の下に血の付きたる文(ふみ)、かずも知れずあり。

しだいをたずねければ、

方々よりこの稚児を恋い忍び寄せたる文を、
返事もせずして、縁の下へ投げ入れ入れ置きたる。

その文主(ふみぬし)の執心ども積もりて、
夜な夜な稚児のふところに通い、すなわち鬼となりけるなり。

一休、この文どもを取りい出し、
積み重ねて焼き払い、経を読みしめし給えば、

それよりのちは何の仔細も無かりしとなり。














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