漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

苦闘の向うに

2011年04月26日 | Weblog
先日、テレビで「二十四の瞳」をやっていた。

映画の終盤、高峰秀子演じる小石先生が、
若き日に勤めた分教場に再就職し、かっての教え子たちに招かれる場面がある。

会場の料理屋へ向かう小石先生が、
二人の子供をつれて田舎道を歩いているその横を、
ボンネットの突き出た古い乗り合いバスが、土ぼこりをまきあげながら通りぬける。

子供が思わずバスを見上げて、「バスなら速いのになぁ」。
その時先生、ニッコリ笑って、「歩くほうが健康にいいのよ」。

彼女は、観光船の船長だった夫が戦死し、
二人の子供たちを育てるため再び教職に復帰したのだが、

当時の先生の給料は、

今では、考えにくいほど低く、
「バス賃さえも節約して歩かねばならぬほどだった」のだ。

私の親戚うちにも何人かの先生がいたが、
たいていは夫婦共働きか、何らかの副業を持っていた。

今のように副業が禁止になったのは、
田中角栄の肝いりで「先生の給料を見直して」から、

つまり、そのころから、
先生は、「給料だけで食える職業」になったのだ。

今では、「先生」は、
「親が子になって欲しい職業」ベストテンに入るほどになった。

だけれども、はて、

「すぐれた人材を集めるタメ」にしたハズの「待遇改善」が、
その質において、どれほどのレベルアップに貢献したのだろうか。

収入が良いからと云って、
必ずしも「やりがいや生きがい」が増したわけでもなかろう。

今朝の新聞に、
東電社員の平均年収は「38歳 750万円」、
他に、社宅や諸手当など福利厚生が充実しているともあると出ていた。

処が、きのうまで、
自分の勤める会社が誇りであったろう社員たちは、

これからは、社会の冷たい眼や、
給料カット、人員整理におびえながら働かねばならぬ日が続くだろうし、

子供が立派な会社に入ったと喜んでいた親御さんたちも気懸かりなことだろう。

だが、しかし、
こう云う時こそ、人間の真価が試される時なのだ。

考えようによっては、
この試練を切り抜けることほど、やりがいの有る仕事はなかろう。

今、苦闘しているあなたたちは幸せなのだ、と思う。





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