漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

サムライの国

2013年07月09日 | 

偉大な政治家にして第二次大戦を勝利に導いた指導者、
チャーチルは又、
「ノーベル文学賞」を受賞した文筆の名手でもあります。

その彼の著、
「第二次大戦回顧録」に、日本を紹介したページがある。

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その日本、­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­­・・・
伝説に富んだ、
長い歴史を持つ東洋の島国、日本、・・・・

それが最も恐ろしい冒険に飛び込む時が、ついに来たのだ。

その昔、日本の将軍秀吉が中国(当時明といった)を征伐する戦争に乗り出し、
多数のサムライ兵士を船に乗せて朝鮮に攻め入ったのは、1592年であったが、
此の時以来、このような大戦争をやったことはなかった。

古い伝統と習慣が何世紀にもわたってアジアのこの小さな島国の国民を支配してきた。

神秘と武勇と礼儀と愛国心が、
この忍耐強いアジア民族を支配してきたのであった。

この国のことは、
ヨーロッパでは1300年ごろ、
初めてイタリアのベニスの旅行家、マルコ・ポーロによって知らされた。

日本国民の宗教は仏教であったが、
その間、キリスト教がヨーロッパより入った。

しかし、キリスト教が国に害があるとして、
24年の間に25万人の信徒を殺し、
1638年になってこれが一段落したが、
その後日本はきびしい鎖国政策の殻の中に閉じこもった。

日本はアジアの小さな島国に閉じこもり、
日本の芸術と文化と信仰だけの生活をし、
外国の学問にも機械にもまったく無知であった。

しかし、外国では蒸気機関が発明され大きな汽船が地球の隔たりを変えた。

約100年前に外国の汽船や軍隊が大洋を渡って日本を訪れ、厳重に閉ざされた日本の門をたたいた。

日本が西洋の文明を知ったのは、やっとこのころである。

一旦外国の文明を取り入れると、日本は目覚しく発展した。
中国はたちまち追い越された上、日清戦争にに敗れた。

1905年にはロシアが日本海と満州で日本軍に敗れた。
世界はこれを見て、驚異の目を見張った。

日露戦争の時、わがイギリスは日本の味方であった。

日本陸軍の階級制はサムライの伝統を受けついでいた。
この伝統こそ、日本陸軍の上層と下層に、
部名のためには喜んで死ぬという精神を教え込んだのだ。
日本は近代的な武力を整え、
勇気ある兵士たちは武器を渡されたとき、
次第にアジアの王者となり、
あるいは世界を征服するためにアジア民族の指導を考えるようになった。

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西欧人へ日本を紹介するに、
実に、簡にして要を得た名文で、見事です。

いま、NHKの大河ドラマで、
「会津の悲劇」が描かれてますが、

徳川幕府の三百年近い平和の時代に、
頭の中で練り上げられた「武士道の精神」が、


幕末の動乱においては、
会津の悲劇性を色濃くしてしまうのですが、

この対米戦での日本軍兵士の、
玉砕に継ぐ玉砕と云う悲劇性も、

チャーチルの云う「サムライの伝統」による悲惨であったのでしょう。

良くも悪くも・・・。









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