漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

管災

2011年07月21日 | 政治・経済・こぼれ話
最近、物忘れがひどくなって、
どこの新聞だったか覚えていないのだが、

思いつきのように施策を乱発する首相に、
振り回される側の配下、政治家や官僚たちも呆れてしまい、

「また『管災』だ」と陰口している、とか書いていたっけ。

処で最近読んだ某書に、
昭和14年1月から首相をつとめ、
半年余りの短い期間で退陣した「平沼騏一郎」を評した一節があった。
   
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平沼騏一郎は首相をやめた後も、
現状維持勢力や革新派勢力への攻撃を続けていった。

そしてそれはかなりの威力を持ち得た。

平沼は、首相としてよりも、
体制を批判する側に立つならば、相変わらず強さを発揮したのだ。

つまり、彼の持つ政治力は、
首相として指導力を発揮する場面にではなく、
体制主流派の批判にまわった時にこそ、輝く性質のものであった。

せっかく首相となった彼には、

首相として持つべき施策や構想も、
各勢力を強力に束ねていく指導力も、

そんなものはサッパリ持ち合わせてはいなかったのである。

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適材適所と云う言葉があるように、
いつの時代にもこう云う人は居るものだが、

やはり蓮華草は野におくべきで、床の間に飾るべきではなかったのだ。

それにしてもこの「大震災の時」でなくとも、と溜息を吐く。

   
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【平沼騏一郎】ひらぬまきいちろう (1867-1952)

 岡山県生まれの政治家。
 東大卒。
 検事総長・大審院長・法相をつとめ、のち枢密院議長。
 昭和十四年(1939)1月 首相、
 同年8月、独ソ不可侵条約の成立で辞職。 次いで近衛内閣の国務相。
 戦後 A 級戦犯として終身刑。






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