漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「犬医者の事」について

2009年09月18日 | Weblog
きのうの続き。

平助のその後は分からないが、

法令が廃止されたからと云って、
彼が罪に問われるようなことをしたわけではないから、その後もそれなりに暮らしたのだろう。

生類憐みの令が最初に触れ出されてから、
綱吉が没し、廃止されるまで、凡そ20年ほどある。

そのうちの十年以上は、
犬医者として営業したと思われるから、
地道に暮らすなら、蓄えとしては充分に残していたろうと思う。

処で平助が言った、

「犬は大熱性なる故に、
 石膏、人尿、小豆を抹して用いしなり、
 この事、古伝に有るにてなく、
 ふと思い寄りしが、不思議に的中せり」

この中で面白いのは、犬の特効薬の成分、

「小豆(あずき)」は、まぁ、日常の食べ物だから良いとしても、
「石膏(せっこう)」や、
「人の小便」と云うのは、いかにも人を食った話で、

なんだか平助が、
デタラメに調剤したら、
たまたま、まぐれ当たり、結果オーライだったかに思える処だ。

処が、この二つ、案外、デタラメでもない。

まず、「石膏」だが、
国語辞書・大辞林には、
「生薬として解熱・鎮静薬に用いる」と、立派に薬として出ている。

もう一つの「人尿」、
こちらは、「いくらなんでも」と思う処だが、
これも、荒唐無稽(こうとうむけい)と云う分けではない。

戦国時代の下級兵士、
「足軽(あしがる)の体験談」風に、
当時の戦いの現場事情を記した書物に、「雑兵物語」がある。

その中に、
矢疵(やきず)を負った同僚を、
励まし手当てする雑兵のセリフに、こう云うものがある。

尚、文中の「がいに」は大いに、大変に、
又、「うづく」は、「疼く」、痛むこと。
  
  ~~~~~~~~~~~~~~~~

「又、疵(きず)が、
 がいに うづくべいならば、おのれが小便を飲みなされろ、

 やわらぎ申すべい。

 銅笠でも置きて、小便をしためて置なされ、
 それを冷しておいて、
 後にぬくためて洗えば、がいにうづく所もやわらぐものだ。」

  ~~~~~~~~~~~~~~~~


ここでは、
「戦場の智恵」として、大真面目に小便に鎮痛効果があると勧めている。

また、別の雑兵にも、
出血が激しいのを指摘して、

「葦毛(あしげ)馬の糞(くそ)を、
 水に溶かして喰えば、
 胴へ落ちた血が下りて、疵も早く癒(い)えるものだ。」と云わせている。

雑兵物語に限らず、
同じような事は「甲陽軍艦」にもあると云うから、
当時はこのようなことが、広く信じられていたのだろう。

ここまで来ると、
平助が、「大坂薬屋」で、
手代として働いていたことを思い出して、成る程と思う処。

ただし、「良く出来た話」とは思うが、
この「犬医者の事」に記された話が事実だと云ってるわけではない。

「翁草」の成立は、綱吉の時代から八十年ほども後、

もちろん、著者の神沢杜口が直接、見聞したものではないし、
また、どこからこの話を知ったか、その情報源も記されていない。

つまり、疑えば疑えるのだ。

ただ、平助が、
「江戸城にまで上ったかどうか」はともかく、
平助、
あるいはそれに似た人物が実在したとして、決して不自然ではないし、

少なくとも、似たような話はあったのだろう、と云う気はする。


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【荒唐無稽】 こうとうむけい
根拠がなく、現実性のない・こと。でたらめ。

【甲陽軍鑑】 こうようぐんかん
  江戸初期の軍学書。二〇巻。
  武田信玄・勝頼二代の事績・軍法・刑法を記したもの。
  高坂昌信の遺稿に仮託して、小幡景憲が編。






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