未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

包丁

2019-09-22 23:41:06 | 日記
生来サイコパス的要素があるのか知りませんが刃物を見るのが好きです(笑)未だに刃物店の前を通ると見入ってしまいます。

当然包丁も好きで、ずっと見ていられますね。
今日は台風で予定していた飲会が無くなりましたのでその浮いたお金で前から目を付けていた包丁を買うことにしました。

Global istの一振り。イストなのね。1stやと思ってました。

ここ数年前モデルのペティを使っていましたが斬れ味も落ちてきて特に肉を捌きにくいストレスがあったので新調。

並べてみると随分大きさも違うのね。

早速ニラを切ってみました。

おおお…、誇張なくこの辺なら置いただけで切れる。とはいえペティ氏にも初めは抜群の切れ味に感動しましたがね。けどこれは素晴らしい。

栄養を無駄にしない為に下の方は刻むべしと何かで聞いたので実行。

めっちゃ速く切れる…そして繋がってない。

やはり道具はええもんに限りますな。
ニューまな板にニュー包丁で少し料理も楽しく感じられるなら気持ち的に直ぐペイ出来そうです。ええキッチンの家に引っ越したくなるかもしれません。



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縁は円

2019-09-22 22:49:07 | 雑感
お彼岸ですので縁に関する私の考えを綴りたいと思います。日本には彼岸と此岸(しがん)という考え方があります。彼岸があの世で此岸がこの世、所謂うつし世です。一説では春分の日と秋分の日の前後三日間はこの二つの世界が一番近くのだとか。だから墓参りをする、といった日本の習わしです。

私はこういった考え方が割と好きで、明らかに外国人顔したスポーツ選手が日本代表だったりして人種の壁はなくなりつつある此の国でも、文化があれば日本は未来永劫残ると思いますので我が子にそれを伝えるべく祖父の亡くなった後からは秋に伊勢詣りをするようになりました。

御先祖様への御挨拶。縁ですね。彼らあっての今ですから。今となっては縁を作っていく、偶に振り返ってみるのが人生の一つの大きな命題だとも思っています。

人は単体では単なる点に過ぎません。
しかし生きているとそこに誰かと縁が出来ます。点と点が結び付いて線になるのです。そこからまた誰かと接点が生まれ線は様々な方向へ伸びてその縁はやがて円となります。うつし世だけの縁ではなく、御参り等を通じて彼岸の祖先との縁を知り、厚みを帯びて円が球となった時に縁が満ちて円満になる、という事を私は常々思っている訳です。

私は自分を冷たい、温度のない人間だと自覚しております。だからこそそういう信条を持ってこんな私と縁を持ってくださった方には接していきたいと一応心掛けている積もりではあります。当然切れる縁もありますが生まれる縁もあり。

空手としても神道ですからそこを大切にしたく、挨拶をしろと特に少年部に煩く言うのはそういうところです。いい加減な立ち居振る舞いは自ら縁を切る在り方なのです。単に強いだけでは道は孤独で敵も次々現れるでしょう。しかしどんな人が一番強いのだろうと考えた時、【敵の居ない人】が一番強いのです。文字通り無敵ですよ。

道場に入った時、敷居を跨ぐ時、対人で稽古をお願いする時、そして稽古を終えて道場を出る時。これらのいずれも手を、否、気を抜かずに挨拶が出来るようになれば生来粗暴であったとしてもそんなに毛嫌いされずに生きていけるのではないかなと思います。



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ネコの妙術

2019-09-22 01:02:56 | 書籍
『五輪書』は広く知られていると思いますし武道に関わる人ならば一度は手にしたことがあるかもしれません。

私は武道関連の書籍も好きでジャンル問わず色々読むのですが(入りきらないのは東支部に置いてます)、その中の良著に『剣と禅』というものがあります。

これこれ。

伊藤一刀斎をはじめ様々な剣術家のエピソードを綴ったものですが、その中に山岡鉄舟も愛読した書として『猫の妙術』と簡単なエピソードが紹介されています。

これがまた面白いのです。左側の本は最近出たもので超訳風に現代語訳されていて児童書の如く読みやすいです。訳の高橋氏御自身も武道に携わる身ですので入りやすいのでしょう。右のは原文と硬めの現代語訳があります。

簡単に紹介しますと、
屋敷に入り込んだ巨大鼠を追い出すべく、技に長けた猫・気合に満ちた猫・調和を信条とする猫が次々と挑むも全て返討ちに合います。そこで呼ばれたのが一匹の老猫。部屋に入るなりあっさりと鼠を捕らえてしまい、そこから猫の座談会が始まるという内容。

返討ちに合う猫たちというのは武道経験者が通りがちな道順です。技に溺れる時期があり、歳に勝てなくなり始め気迫で誤魔化そうと試み、そして戦うのが面倒になり始めた頃に調和です、など達人然とした胡散臭いことを言い始め。

これら全てを一蹴していく老猫。老猫の語らいは所謂【老荘思想】が基になっています。

七十連勝がなくなった時「吾、未だ木鶏たりえず」という言葉を残した不世出の大横綱双葉山。この木鶏の話は荘子にあります。少年部の子たちには是非読んでほしい話の一つですが、老猫の言葉を読んでいると老荘思想の大筋も掴むことができます。

道理に従って生きる。道(TAO)を説いたのが老子です。
空手道。道は繋がって行かねばなりません。手を替え品を替え客寄せを第一義にし見世物みたいな事をやってるからフルコン人気は下がる一方なのではないかなとも思いますね。道理に沿っていれば人が集まるのもまた道理なのでは。武以外にも生き方として色々考える処のある近世文学の傑作だと思います。在学時に知っていればこれと五輪書を卒論にしたでしょう。

是非一読あれ。




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