栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

福の神

2019年01月28日 | 教え
幸せを運んでくれる福の神。

今年こそは ぜひ我が家へ来ていただきたいと

誰もが 願いますよね。

昔から 様々な福の神のお話が各地に言い伝えらえています。

貧乏神が福の神になる話や 貧乏神に意地悪をしたら 貧乏神と一緒に 福の神も出て行ってしまった話など

どれも 心やさしい人達が 貧乏神も大切にして 福を授かる話が多いようです。

嫌な事が続くと 落ち込んで心をふさいでしまう事があります。

嫌な事があったり 落ち込んでしまった時こそ 人生の大切な教え 教訓と思って逆に感謝の心を持てば 災いが福となり その先にきっと 楽しみが待っています。

貧乏神も福の神へと変えてしまう やさしい心を大切に

そんな あなたの心に きっと 福の神が宿ります。

        合掌     栄久山 妙善寺

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輪廻転生

2018年11月02日 | 教え
昔々ある村に お釈迦様の事が 大嫌いな男がいました。

村人達は お釈迦様が 大好きなので 男はやきもちを焼いていました。

男は 村人達の前で お釈迦様に 恥をかかせてやろうと思いました。

村人達に 嘘の噂話を流したり お釈迦様の悪口を言って周りました。

数日後 村に来たお釈迦様に 村人達の前で 散々悪口を言い始めました。

しかし お釈迦様は男の話を 黙って聞いているだけです。

男はとても怒って 人の話を聞いているのかっと お釈迦様に尋ねると
お釈迦様は 男にこう 尋ねました。

「あなたが 友達に買ってきたお土産を もし友達が いらないっと言って 受け取らなかったら お土産はどうする。」

「受け取らなければ 持って帰るに決まってるじゃないか。」

「悪口も 同じことなのだよ。 私が受け取らなければ あなたが 全部持って帰る事になるのだよ。」

男は 自分の愚かさに気が付いて その場に泣き崩れました。

このお釈迦様のお話のように 私達も気を付けなけいけない事が 沢山あるのではないでしょうか。

噂話を鵜呑みにしたり 悪口を言ったり 人の心を傷つける言動や 行動はしてはいけない事です。

良い行いも 悪い行いも 必ず自分に返って来ます。

この事 よくよく忘れべからず。

           合掌     栄久山 妙善寺













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あまのじゃく

2018年09月19日 | 教え

あまのじゃくとは わざと人の言う事に逆らう ひねくれ者の事です。

仏教では あまのじゃくを 人間の煩悩の象徴とされ 仁王さまや四天王さまに 踏みつけられています。

私達の社会でも 見かける事がありますよね。

でも最近は あまのじゃくが増えて まともな人があまのじゃく扱いされてしまう事もあるので 怖いですね。

陰で人の悪口を言ったり 相手を悲しませる様な事をすると 仁王さまや四天王さまに怒られて 踏みつけられちゃいますからね。

人をねたんだり うらやんだり 無視したりする 嫉妬心を捨てて 素直に人を認める心や 相手を思いやる気持ちが大切ですね。

       合掌     栄久山  妙善寺

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秋のお彼岸

2018年09月18日 | 教え

20日から秋のお彼岸です。

暑さ寒さも彼岸までの 言葉のとうりに お彼岸は 季節の区切りでもあります。

ついこの間まで 暑くて寝つけなかった夜も この頃は すっかり 朝晩が涼しくなりました。

お彼岸と聞くと ご先祖様の供養やお墓参りと思い浮かべますが 本来は 生きとし生きる 私達の日頃の行いを慎む 修行の期間です

彼岸とは 悟りの世界を意味します。

お彼岸の七日間は 此の岸(私達の煩悩の世界)から 彼の岸(悟りの世界)へ行ける尊い人に ならなければいけないと言う 大切な修行期間でもあります。

お彼岸の期間に 日頃の行いを反省して善徳を積むと 七代先の子孫まで 幸福になると言われています。

今の私達の幸せは ご先祖さまが積み重ねてきた 善徳の功徳によるものです。 

ご先祖さまに感謝して手を合わせ お墓参りに行きましょう。

そして 未来の幸福を祈って 善徳の功徳を積みましょう。

        合掌    栄久山 妙善寺 

 

 


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賽銭箱

2017年02月27日 | 教え

チャリン~ チャリン~

賽銭箱の底へと落ちていく時の音色は 何とも言えない心の落ち着きを感じます。

神社やお寺にある賽銭箱。

いったい いつ頃から あるのだろうか?

どのような意味が あるのだろうか?

昔は お米が大変貴重なものだった為 神仏にお参りする時に お米を紙に包んで 賽銭箱に投げ込みました。

時代と共に お米がお金へと変わり お金を紙に包むようになりましたが 現代では お金そのものを入れて お参りするようになりました。

中国では 神仏に供えるお金を 散銭(さんせん) と呼んでいました。

この散銭が 日本の賽銭の 語源になったと言われています。

お金を バラバラとまき散らして 投げ込む事から 賽銭箱の風習が広まりました。

それでは いつ頃から 賽銭箱はあるのでしょうか?

鎌倉の鶴岡八幡宮に 天文年間(1532~55)に賽銭箱が置かれたと 書かれた記録が残されているそうです。

この頃から 全国各地の神社やお寺に 賽銭箱が置かれるように なったのではないかとされています。

神社やお寺へお参りに行かれた際には 心を込めて お賽銭を投げ込み 手を合わせて見て下さい。

チャリン チャリン と賽銭箱に 響き渡る音色と共に あなたに幸福を授けてくれます。

      合掌    栄久山 妙善寺

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