明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

仕事はじめ

2011-01-05 09:57:17 | Weblog
世の中は、もう正月気分はない。昨日が、普通仕事始め。しかし、私の仕事始めは1月3日から。長年これは決っている。午前10時と午後2時から。いずれもご門徒宅の報恩講。
でも、1月3日は箱根駅伝の復路で総合優勝の決る瞬間の日。気になってしかたがない。テレビ視聴率の最高時で30㌫を超えたという。多くの国民が、テレビに釘付けになっていたことになる。ひたむきに走る選手の姿に限りない共感を覚えるのだろう。自分の人生を、重ねあわせた人のおられたに違いない。特に、復路6区の早稲田の高野寛基選手には涙を流した人もいたのではと思う。大学4年生、最初で最後の箱根駅伝。全くの無名の選手。それがどうだあの走り。転んでも走る姿。箱根駅伝を録画し、何度も見た。写真は、時事ドットコムから複写。

人生、ひたむきに努力すれば、ひたむきに打ち込めば報われるという典型。努力しなければ、何事もおこならい。可能性を信じて、くじけそうに成る自分にムチ打ち努力する事の大切を多くの国民は改めて知ったのではないか。
仏教では、この事を縁起(えんぎ)という。原因と条件と結果。これを因・縁・果と表す。この事を改めて思った。
さて、私の仕事はじめ。いつも、同じご門徒の家。そして、午前10時からの報恩講。私にとっては過去20年の同じ事の繰り返しである。ご家族が全員でお参りされる。そして、昼食と共にいただく。しかし、フト気づいた事がある。
この20年、ご家族全員がお参りされるが、その構成が大きく変わっているのだ。あの方、この方が亡くなり、子供達が大きくなり結婚され新しいいのちが育まれている。一年に一度のご家庭での報恩講。そのご家庭の、生きとし生きる者全てがお参りする。これを幸せと呼ぶのだろう。この事に感謝しお勤めする法要。それが、このご家庭の報恩講なのだ。「生かされて生きるいのち」と呼ぶが、この事を実感した。私達は、このサイクルの繰り返し。これを人生と呼ぶ。そして、いのちつきるとき、親鸞聖人によれば「かの土へはまゐるべきなり」(浄土真宗聖典註釈版837頁)となる。
同じサイクルの繰り返しの中にこそ、大切な真理があり、この激動の社会にも対応できる力の源泉があるのだと思う。
境内には、サザンカが毎年同じように花を咲かせている。この同じ事ことこそが大切。花を咲かせるためには、一年間の目に見えないいのちの営みがあるのだ。この事を忘れてはならない。箱根駅伝と同じなのです。









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