明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

メタボからスリムへ・・・中央仏教学院へ行きました

2012-02-20 23:24:02 | Weblog
今日(2月20日)、京都右京区の中央仏教学院に行きました。息子は、昨年の4月より中央仏教学院本科(1年間)で勉強中。息子を迎えに行ったのです。現在の学院建物。

勉強の条件として寮生活をする事、これが条件でした。そして、手に霜焼けをつくりながら息子なりに頑張って1年間が。(早朝の水拭き掃除で、霜焼けに・・・・それなりに頑張っていたのだと思うと、寮生活が本人を厳しく鍛えてくれたのだと深く感謝です。体重も、60キロを割り58キロ。入学前はメタボ。70キロに迫るメタボぶりでした。本人もかなり気にしていました。今は、スリムの本人に大変身です。)本人の荷物を車に積み込むために、寮の玄関に。玄関には、最近撮影された今年の寮生一同が映った記念写真が貼られていました。この時、瞬間的に思いだした事があります。私の亡き父親の事です。父親も、昭和の初めに中央仏教学院で学んでいます。一枚の写真があります。

この写真は、昭和7年(1932年)前期本科生の卒業写真。9月25日に撮影されています。父親も、下から3列目に映っています。私が知る唯一の父親の青春時代の写真。
この写真の凄いのは、講師先生の顔ぶれなのです。まさに、近年まで宗門で名前を残された碩学(せきがく)ばかり。最前列の右側から、爪生津隆雄先生・一人飛んで桐陰順忍先生・右から10人目は高木俊一院長。当時、勧学(かんがく)であり倶舎論(ぐしゃろん)の権威。右から12人目は大江淳成先生等です。まさに、綺羅星のごとくです。このような諸先生から、父は真宗を学んだのです。
中央仏教学院は、大正9年(1920年)に西本願寺の境内地に僧侶養成の機関として誕生しています。紆余曲折(うよきょくせつ)の後、昭和3年(1928年)に親鸞聖人ご往生の地である角坊(すみのぼう)別院の隣接地に移転しています。ですから、上記の写真も角坊別院隣接地で撮影されたものでしょう。80年間の時空を超えて、亡き父親とその孫が学んだ地なのです。
写真は、現在の角坊。本堂の屋根越し見える建物が中央仏教学院。

でも、私は参加する事はできません。父親の反対を押し切って一般大学で学ぶ道を選択したからです。今となれば一抹(いちまつ)の寂しさばかりです。後悔・・・・
帰りの車の中で、息子が写メールを送ってくれました。見てビックリ。寮で行われた模擬仏前結婚式にて、新郎役を勤めたとの事。初めて聞く話で仰天。そして、側の女性が新婦役。本当に良い記念です。







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