明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

同じ話から

2011-01-08 22:25:14 | Weblog
実は、1月1日の元旦会にて、法話のなかで名古屋高島屋の「親鸞展」の話をした。当日は、雪の朝であった。親鸞聖人、越後の流罪(35才から42歳)の生活も、雪と重ね合わせてふれた。越後は豪雪地帯。妻の恵信尼様との生活も大変であったであろう。あたかも、中日新聞では「五木寛之」さんの「親鸞」の連載も再び始まった。舞台も、ちょうど越後である。今日、ある方からお土産をいただいた。伊勢名物の「赤福」である。

お話を聞いてみると、元日の私の話を聞いて「親鸞展」に行かれたとの事。そのお土産だそうだ。何故、「親鸞展」に赤福なのか?疑問にも思うがと・・・・一瞬考えた。正解は、そういえば近鉄の名古屋駅の売店にて売っている。とにかく、3時間をかけて「親鸞展」を見たそうだ。『すごく感動した』との事。やはり、法話をして何かを感じていただき、『自分も行ってみよう』と実行していただく事は大変嬉しいものである。少なくても、その人の心に何かが共鳴したのだと思う。でも、事情があり名古屋に行く事ができない人もいる。その方には、「親鸞展」の冊子にて追体験をしていただいた。

思う事がある。同じ話を聞いていただいても、何故にこんなに反応が違うのか。一方では、名古屋へ。そして、行けない人でも希望される人には冊子を。かたや、全く反応なしの人もいる。世のつねとは申せどしばし考えてみた。
それは、自分のこととして聞くか、聞かないかの違いであろうと思う。この事は、浄土真宗の法話を聞く際の分水嶺ともなる。
「法蔵菩薩が、私達のためにご苦労されて、その願いが成就して、阿弥陀様となられました」と聞く時、①その話を昔話・おとぎ話と聞くのか、②親鸞聖人のように、「阿弥陀様のご苦労は、他の修行等は何もできない罪深い私を救わんがためのご苦労であった」と聞くのかの違いである。
②の立場であれば、「南無阿弥陀仏」という私が称えるお念仏の声が、「われにまかせよ。必救う」との弥陀の呼び声として理解できるであろうし、①の立場にたてば、お念仏申す事すら、現代社会に相応しない恥ずかしい声として聞こえるであろう。一度きりの人生である。伊吹山の純白の雪と、自分の心の色と見比べてみよう。




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