明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

面影びとは法然・・・・⑦

2010-07-24 06:00:16 | Weblog

写真は、週刊『古寺をゆく』23号(小学館発行)・・吉水(よしみず)の草庵での説法の場面。吉水の草庵は、専修念仏を説き始めた法然上人が拠点とした場所。京都円山(まるやま)公園にあった。現在の安養寺(時宗)付近と言われている。写真参照

さて、正如房が式子内親王とするならば、どこで法然上人と出合われたのか?記録はないそうであるが、推測はできる。八条院(現在の京都八条北・烏丸東)の屋敷である。ここには、八条女院子が住んでいた。権力者、後白河法皇の異母兄弟であり、法王の信頼も篤かった女性である。
式子内親王は、この屋敷に5年程(文治元年1185年以降の数年間)おられ事が分かっている。文治元年(1185年)は、式子内親王は32歳前後、八条女院は49歳前後の年齢であった。この八条女院子は、法然上人を屋敷に招き、専修念仏の教えを度々聞かれた事が分かっている。おそらくは、信心深い八条女院子が法然上人を招いてた際に、屋敷に同居しておられた式子内親王も同席された考えられる。
彼女の和歌の変化である。文治4年・5年以降の彼女の和歌は強烈な輝きを始める。忍ぶ恋歌である。勿論、和歌に門外漢の私が詳しく分かろう筈はないが、以下の和歌を紹介すれば充分と思われる。
◎恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしといひしにあらず君も聞くらん
(よろしい、見ていてください。こんなに恋に焦がれていても実のなることなき恋ならば、このまま生き永らえていようとは思いません。これについては、先刻あなたにも申し上げたとおおりで、わたしは恋に死にます。見ていてください。)
◎夏山に草隠れつつ行鹿のありとは見えて逢はじとやる
(夏山に繁った草むらの中を、見え隠れしながら鹿が行くように、あなたも私のことを思っていてくださるということは私にも分かっておりますのに、なぜに逢おうとはしてくださらないのですか)
以上の2首である。実際に恋をしていなければとても詠(よ)めない歌である。恋しい人。でも、その人はわたしの気持ちしりながらも、あってはくれないのです。会えない理由も分かっています。でも、わたしの心は苦しいのです。死ぬほどに苦しいのです。この焦燥感をどうしょうというのか。全てを投げ打って・・・・・このブログの読者も、若き青春時代の思いでがある筈。もうお判りの筈。実際に恋をしておらず、想像力だけで詠める歌とは次元の違う歌であることを。式子内親王は、実際に恋をされているのです。しかも、してはならない恋。忍ぶ恋です。
法然上人は、八条院を度々訪問されている。そこには式子内親王も同席されていた。そして、法然上人に恋をされたと考える方が自然なのです。文治4年・5年に法然上人に会われた。式子内親王、35歳前後。・・・・明日に続く

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