明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

212000人 「親鸞となむの大地」・・・行ってきました・・5(浄興寺というお寺)

2014-05-04 00:18:05 | Weblog
新潟県を代表する真宗寺院といえば上越市高田にある浄興寺というお寺。過去、何度もお参りしているお寺です。(平成19年秋、員弁組伝道研究会参詣の写真)浄興寺派の本山・・以前はお東でした。

このお寺の歴史は、関東は稲田禅坊に始まります。親鸞聖人が、60歳前後で京都に帰られた際、関東布教の中心となった常陸国(茨城県)の稲田禅坊は弟子の善性に譲られたと寺伝では書かれています。善性は、親鸞聖人面授の弟子。面授の弟子とは、聖人から直接教えをうけた弟子を言います。聖人の弟子を記した門侶交名帳にも名前が登場。
下写真は、展示された1347年に製作された京都・光薗院(真宗仏光寺派)の門侶交名帳。善性の名前も上段左から9番目に書かれています。「親鸞となむ大地」冊子より複写。

この善性が率いた門徒集団を磯部門流と呼びます。この磯部門流の有力寺院は、関東の騒乱を避ける形で相次いで長野県北部に移転。稲田禅坊を継承するという浄興寺も、長野市北部の長沼に寺基を移し、信濃国を代表する有力真宗寺院として登場します。
現在の長沼の風景。一面のリンゴ畑が。背後の山並みは志賀高原。

15世紀初頭には浄興寺の歴代が本願寺で遊学をしており、多くの貴重な法物類を有してるお寺なのです。ここまでは、私にも判っていました。今回、特別展「親鸞となむ大地」開催にあたり浄興寺から数々の貴重な法物が展示公開されました。その数と絶品の数々に唖然とした思いで見学したのです。その目玉は、何と言っても親鸞聖人の頂骨を納めたという「六角宝塔」。浄興寺最高の寺宝であり、普段は一般公開はしていませんし、寺外での展示公開は最初の筈。ここも、多くの見学者が黒山の人だかりでした。写真は、「親鸞となむ大地」冊子より複写。

そして、浄興寺の歴代が本願寺に遊学した際に勉学した聖教類も公開展示されていました。写真は、「教行信証」の書写本。一字一句誤りなきように丁寧に書写されているのが判ります。現代人には、到底不可能な忍耐力と根気さ。「親鸞となむ大地」冊子より複写。

このような書写本が、13点に及ぶといわれています。上越の親鸞聖人流罪の地を訪れる際には、浄興寺は是非とも参詣して欲しいお寺です。尚、浄興寺が寺基を越後に移転させたのは戦国末期と言われています。
このブログの訪問者が、212000人(正確には、212145人)を超えていました。いつも訪問していただき有難うございます。
続く・・・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿