私の始めたデイサービス

自ら起業してデイサービスを始めた人たちから、これからデイサービスを始める人たちへの情報が満載です。

小規模多機能物語14

2006年10月31日 | 日本生活介護
2. 福祉国家の未来

まったくこんなふうに見えたのだった。まるで、この政治的文化の永代小作人たる社会民主党は、これまですでに、まったく異質の政治体制が、神政政治からボルシェヴィズムまでが失敗してきたひとつのプロジェクト、つまり人間の馴致が、成功したかのように。ぼくは、首都の寂しい町々を通ってふらふらと自分のホテルまで戻ってゆきながら、このような奇跡をいかにして社会民主党はやりとげたのだろうかと、自問していた。ぼくは独占のネオンサインを、ショウウインドーに溢れる商品の山を、警官を、酔っぱらいを見た。資本主義のどまん中で、これほどの和合、これほどの連帯、これほどの無私をいかにして?
すると、ある冷たい疑念がぼくを捉えた。ぼくはこの平和の代償を、この人間再教育の政治的出費を自らに問うた。ぼくはいたるところに抑圧された存在とその再来を嗅ぎつけ、ひとつの偏在的な、ソフトな、容赦ない教育法が放つ腐ったような臭いを嗅ぎつけ始めていた。(エンツェンスベルガー『ヨーロッパ半島』スウェーデンの秋 晶文社 1989年)

(1)福祉の普遍主義①-伝わらない福祉社会のイメージ

今回の介護保険改正は、財源論が先行せざるを得なかったという事情もあったとしても(「持続可能な介護保険」)、この改正案からは、制度の細かなしくみや費用の削減に向けた熱意は伝わっても、むしろその背景にあるこれからの地域ケアのイメージ、さらにいえば将来の福祉社会のイメージというものがうまく伝わってこないことはとても奇異なことである。そのことは、小規模多機能事業所に対する機能主義的な描き方にも強くあらわれている。
(続く)

小規模多機能物語13

2006年10月26日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来⑥-カルテにないことは起こらなかったことだ

 付け加えれば、昨今流行している第三者評価や介護情報の公表制度もまた、このような技術主義を中心的な柱を据えている。
 「入居者のカルテはナースステーションの背後の棚に区分けされている。それぞれの人のかるてには診断名、医療相談、処方、生命兆候、体重その他の身体計測値、行動等が書き込まれている。……彼らの存在の公的記録であるカルテのなかでは、彼らは日常の生存戦略の不可欠の一部である地域的脈絡性と関係から切り離される。彼らは書類の中で患者となり、病状によって識別される。……
 『カルテにないことは起こらなかったことだ』という科白は、看護助手に正確な記録を付けさせる大胆な方法にとどまらない。それはビジネスとしての介護のあり方を正確に捕らえた言葉なのだ。」(同上 ティモシー・ダイヤモンド)
 「最後の選択肢」としての施設(「2015年の高齢者介護」)、いわば、「入所してもろくなことがないもの」として描かれる入所施設を何とかして人間らしいものへと改善するものとして「標準化」や「マニュアル化」が力説されあるいは強制される。しかし、そのことがかえって「2015年の高齢者介護」が描くように、施設を「最後の選択肢」へと導いていくという逆説がここには存在する。
 と同時に、このような産業化のプロセスの導入こそが、小規模多機能事業所という自ら納得のいく手作りの介護の実践を指向する人たちを絶えず生みつづける広範な土壌を与えていることは容易に想像できることである。産業化された施設では職員は利用者の生活と対面しているのではなく、すでにシステムの一部にすぎないからである。
(続く)

小規模多機能物語12

2006年10月24日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来⑤-人間活動の方法化・マニュアル化

 さらに重要なことは、今日、産業化の問題は単に資本や機械的労働による労働の疎外という古典的な階級問題を超えて、人間活動を作りかえるもの、すなわち「人間的自然」(第二の自然としての社会、自然、身体)の解体として機能していることである。
 佐伯啓思氏は著書の中で、産業化・効率化というものは、「技術主義的思考」という、一つのイデオロギーであると述べている。
「フォードが徹底して利用したラインシステムによる大量生産方式は、二十世紀アメリカの技術主義を典型的に示しています。それは、ただ作業を機械化してゆくだけではなく、人間の作業の完全な分離、合理化、分業化を徹底するわけです。
(中略)それは一種の生産過程の科学的管理で、ただモノをつくるのではなく、人間を生産のプロセスの一環として組み込み、このプロセスを科学的、実証的にデータ管理しようとする。その意味で、生産プロセスも経営も合理的に抽象化され、マニュアル化されるわけで、これを『方法化』といってもよいでしょう。この方法化された合理化のプロセスを、それ自体として追求すること。その志向を『技術主義』といっておきたいと思います。技術主義とはただ生産プロセスを機械化し、人間の手作業を機械に置き換えていくということではありません。生産プロセスの全体、人間の作業、人間の活動を『方法化』し、技術的にマニュアル化し、合理的に管理していくという発想そのものが技術主義なのですね」(佐伯啓思『20世紀とは何だったのか』-「西欧近代」の帰結)
(続く)

小規模多機能物語11

2006年10月19日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来④-サービスの標準化を通じて企業が参入する

 今でこそ「擬似市場のコントロール」が必要だとして市場への不信は表明されているが、当初、市場原理の導入は、サービス供給量を増大させ、その結果、サービスの質や効率があがりコストが削減されるとして楽天的に受け止められていた。
そして、サービスの市場化・効率化は、多くの民間企業の介護事業参入に対する基本的なキーワードとなった。介護の産業化での事業コンセプトは、サービスの標準化に基づく効率的なサービス供給を目指すものとされている。
 民間企業は、福祉のように、旧態依然の、遅れた、ブラックボックスになっている業界なら、自分たちならもっとうまくやれて十分な利益が出せると考えたし、また、事実そうなった。あたかも外食、流通業の店長さんのように一部の管理職がマネジメントをしっかりやれば、介護は3K労働者(危険、汚い、きつい)によって担われることが可能であり、このことによって介護のコストを押さえることが可能であると考える。周知のように 外国人労働者の解禁問題もこうした路線の延長にある。
ティモシー・ダイヤモンドの著作には、「人間を生産のプロセスの一環として組み込み、このプロセスを科学的、実証的にデータ管理しようとする」過程が見事なまでに描かれている。
 そしてこのような、福祉施設の産業化の問題は、単に介護の世界にとどまらず、全社会的な現象でもあろう。むしろ、産業の論理が介護の世界を急速に覆い始めているのである。
(続く)

小規模多機能物語10

2006年10月16日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来③-老人ホームの錬金術

 「老人ホームでの居住と介護の仕事が書類化の過程でカルテに書き込まれ、単位に数えられると、ホーム内での生活は外から管理され、検閲され、価格を付けて所有される。老人は金にかえられるのである。こうした関係や生産手段はビジネスとしての介護が発展しうる基盤を提供した。所有権はただ単に日常生活に降り立つ抽象的な力として表われたのではない。むしろ、それはその存在を抽象し変貌させて、それ自体の量的・概念的計画と両立する談話(原文ママ)にしたのである。官僚的支配は絶えず拡大して日常生活にまで及び、さまざまな専門家、管理者、認定者らは仕事の慣行にしたがって日常生活に彼らのカテゴリーに関連した名前をつける。」(ティモシー・ダイヤモンド『老人ームの錬金術』法政大学出版 2006年)
 「老人ホームは介護施設であるが、特殊な力関係に基づく官僚組織でもある。ビジネスとして成立する過程で、介護サービスは売買されうるものとなる。この過程には所有と、収益を上げるために計量し価格を付けることのできる財貨やサービスの形成が含まれる。それは老人ホームに住む者と彼らを介護する者が商品化され、単位化されて原価計算を可能にするため、一定の力関係の強制と生産手段を必然的に伴う。」( 同上 ティモシー・ダイヤモンド)
 介護保険は、新たに保険料という負担を求めることから、「保険料は支払ったが、サービス不足からサービスは受けられない」(「保険あってサービスなし」)という事態を避けるために、俗に言われる市場主義へと大きく舵を切り、様々な主体を事業参入させることによるサービス供給量の拡大を意図した。かくして「市場主義」や「市場原理」はわが国の介護の基本的な方向となった。介護の産業化が始まったのである。
(続く)

小規模多機能物語9

2006年10月13日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来②-東京都○○区の介護職の話

「現在私は、通所介護、特養、短期入所、訪問介護、居宅介護支援を一括して経営する社会福祉法人でリハビリ担当の職員として勤務していますが、そこで最近感じるのが、『以前の福祉の世界にあった、わりとのどかで牧歌的だった世界がほとんどなくなってしまった』ということです。利用者が事業者を選ぶようになった、という介護保険の制度上仕方ない面もあるのかもしれませんが、やたらと『サービス業』であることを強調され、上っ面のマニュアルにそった接遇研修や業務の標準化、パソコン入力による記録の充実などが推奨されています。人件費削減のための職員の非常勤化(現在特養の入浴業務はほとんどが非常勤だけで行っている)、利用者の転倒することを過剰に恐れ、報告書などの書類作成にも追われ、管理色ばかりが強まっていく現場とそこで精神と身体をすり減らしてしまう、現場スタッフ……。
 介護という仕事が本来持っていたはずの、猥雑で雑多な『なんでもあり』の面白さ、マニュアルや標準化といった世界とはもっとも遠かったはずの、手作りできわめて人間臭い世界がどんどん失われているような気がしています。そしてこのような世界ではお年寄りもまた、言葉は悪いですが飼いならされてしまい、妙に順応して、おとなしくなってしまっているようにも思います。……」
 これは、東京の福祉施設で働く一職員の発言である。そしてこのようなことは特に目新しいことではない。こうしたことは、介護の産業化として、アメリカでは以前から起きていたことで(「すでに実現した未来」ドラッガー)あり、それが日本でも急速に拡大しているのだといってよい。実際に、まったく、別のところから同じ発言が聞こえてくる。
(続く)

小規模多機能物語8

2006年10月12日 | 日本生活介護
(4)介護の産業化の進展-すでに実現した未来①-介護の産業化の始まり

 施設介護に入所することは「住み慣れた自宅を離れ、家族や友人たちとも別れ……これまでの人生で培ってきた人間関係をいったん失い、新しい環境の中で再び築くことを強いられる」ことであり、「心身の弱った人」にとって「大変な精神的負担を伴う」ものであり、「生活の継続性が断たれてしまう」。また、施設では集団的に行動するため、「自分自身で生活のリズムを決めることは難し」く、「このような生活の中で……自分の役割、存在意義を見失い、自立への意欲や人生に対する関心を失っていく」。だから「施設への入所は最後の選択肢」なのだ云々。(「2015年の高齢者介護」より)
「2015年の高齢者介護」においては、大規模施設はよくないものだと極めてネガティブに描き出されている。もちろんその意図は、施設ではなく在宅の魅力を際立たせるものだとしても、どこか一面的な印象を与える。ここには、在宅介護は家族に介護者がいて初めて可能であるという限界や制約を少しも論じることなく、施設は悪いもので、だから在宅はいいものという主張しかここには見当たらない。
 多分、ここでの施設の描き方はそうした「政治的な」意図があるからだろうと納得してみても、それでもなお妙な違和感は残りつづける。それは、ここで施設の弊害として描かれているものは、施設だからという問題よりも、むしろ介護保険導入以降急速に進んだ介護の市場化・産業化の姿のように思えてならないからだ。
(続く)

小規模多機能物語7

2006年10月11日 | 日本生活介護
(3)あいまいで訳がわからないもの-ここに人々の期待があった-

 こうして、小規模多機能事業所をめぐる期待の高まりは、夏を待たずして幕を閉じた。ありていにいえば、小規模多機能事業所の制度化は挫折したのだといってよい。しかし、このことは改めて小規模多機能事業所(あるいは小規模多機能事業所の政策化)に対して様々な興味を呼び起こす。
 小規模多機能事業所とは単に小さくて多機能なサービス提供の形、利用者に取ってみれば、便利な地域のコンビニといったところにすぎないのだろうか。それでは一体、何故これほどまでに人びとの期待を集めたのだろうか。小規模多機能事業所は、「通う、泊まる、住む」という機能に還元されないものとして、何か別のもの(オルタナティブ)として存在しているのではないだろうか。そして、アバウトであいまいで訳のわからないものであり続けながら何かしらいいものとして、受け止められ期待されたのではないだろうか。
 あるいは今、この国の福祉や介護をめぐって大きな変化が起きており、小規模多機能事業所は期せずしてそのことを私たちの目の前に示すような役割を担ったのかも知れない。小規模多機能事業所の期待と制度化の挫折はそんな印象を与えずにはおかない。
 小規模多機能事業所が、NPOや地域住民など、介護に実際に携わっている人たちによる自発的な起業と不可分に発展したという特徴は、こうした事業所がこれまでの福祉や介護のシステムの中から発展したものではなく、自然発生的に生まれてきたことを示している。つまり、小規模多機能事業所はこれまでの既存の福祉の中に自らの系譜を持っておらず、福祉や介護の制度の成熟の果てに発展してきたものではない、あるいは、諸外国をモデルとしたものでもないということができるのではないだろうか。この小規模多機能事業所を施設ニーズの抑制機能として一面的に描くのではなく、日本の福祉や介護に関する新しい、そしてオリジナルな動きとして評価することが必要なのである。

小規模多機能物語6

2006年10月10日 | 日本生活介護
(2)「小規模多機能型居宅介護」という新しい施設③-みんなの思っていたことと違う

 このように、厚生労働省は施設の入所を抑制する機能として小規模多機能事業所に着目したのであるが、宅老所の実態は、施設に行かなければならない人を努力して支えてきたという方が近いであろう。施設の整備が不十分で入所できないから、あるいは施設のケアの質が悪いから何とかして在宅で頑張ってきたのであり、その努力にこそミッションがあると理解されてきたのである。つまり、小規模多機能事業所は目の前のニーズに即して対応するというサービスのスタイルに意義があったのであり、決して在宅と施設を繋ぐ機能として意識はされてこなかったし、そのような役割を自らに課したものでもなかった。
 私はこのような両者の決定的な違いがどうして制度化の過程で生じてくるのか少々不思議に思ったものだ。通常制度化に伴って様々な利害が表面化することは一般的であり、それを当事者たちと調整することを通じて、つまり、「現場の声を届かせる」ことによって制度がよりよいものに変更されるといった道筋をたどる。とりわけこの制度が既存の宅老所を規制するための制度化ではなく、育成していくための制度化であればなおさらのことだ。しかし、実際は少しもそうはならなかった。
 今回の小規模多機能事業所の制度化にあっては、そもそもそうした議論の痕跡が見当たらない。つまり、当初より厚労省の関心は「入所の抑制」機能以外にはなかったのだと言ってよい。
 かくかあらぬか、批判の大勢は、よりよい制度を作っていくための注文というよりは、これまでの宅老所の実践を邪魔しないで欲しいといったネガティブなものに終始する。このことはこの制度がうまく機能しないのではないかという印象に妙なリアリティを与える。一体に、このような硬直化した制度設計であっても制度は間違いなく実行されるはずだという厚労省の確信はどこから生まれたものなのだろうか。
(続く)

『起業塾』でお会いしましょう!

2006年10月06日 | フラワーハウス
なんと、佐藤さんから『起業塾』の講師のお話をいただきました。

私は前回の『起業塾』に生徒の立場で参加させていただき、安西さんからは「もう立ち上げてるのになんで参加してるの?」と不思議がられましたが、私はほとんど勢いだけで「ふらわーはうす」を立ち上げてしまい、当時は不安な毎日を送っておりました。

そんな時2週間に一度の『起業塾』は決して大袈裟な話ではなく、私にとっては心の支えでした。
講義も楽しみでしたが、どちらかというと終わってからの懇親会はもっと楽しみでした(笑)
色々な方のお話が聞け、相談にも乗っていただき、『起業塾』に参加することを楽しみにまた2週間頑張る!というような生活でした。

「いつかは自分も『起業塾』で報告ができるようになりたい!」というのは私のひとつの夢でしたが、こんなに早く、しかもまだ軌道に乗り切れていない現況でお話をいただくとは全く考えておりませんでした。

最初は躊躇したのですが、色々と考えて、むしろ今のほうが、何年も実績を残されている先輩方よりも、より身近な話ができるかななんて思い、お受けしました。

当日はあまり上手には話せないと思いますが、今までの出来事、今現在の気持ちなど綺麗ごとだけではなく、辛かったことやムカついたことなど全て本音で包み隠さずお話させていただこうと思っております。

私の「出番」は12月14日だそうです。
みなさん『起業塾』でお会いしましょう!