私の始めたデイサービス

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小規模多機能物語21

2006年11月28日 | 日本生活介護
(2)スウェーデン型福祉の見直し④-「人類の普遍」ではなく、「ヨーロッパの普遍」

 「福祉国家スウェーデンのゆきづまりは事実であるが、めざしてきた理想社会が失敗したというよりは、スウェーデンの努力がグローバルな資本の論理の前に屈服せざるをえなかったという見方が正しいように思う。たしかにそれは、まぎれもない一つの悲劇である。」(同上 訓覇法子)
 福祉理念のグローバル化の前に経済のグローバル化が一歩早く進展し、あるいは、地球環境問題と呼ばれるものに促される形で、移民という形の国境を越えた経済活動が一国制度にとどまっている福祉国家を直撃しているのである。
北欧的福祉国家が実のところ、ヨーロッパ近代の一つの形態であり、日本もまた北欧的福祉を福祉国家の理想として追い求めてきた。しかし、今日、このようなヨーロッパ近代の理念そのものが、実は「人類の普遍」ではなく「ヨーロッパの普遍」ではなかったのかとして疑われているのだと言ってよい。
 福祉国家のかかえる苦悩が、単に制度の問題であるならば、制度に対して漸次的に改良を加えることで対応することもまた有効な政策となるであろう。あるいはそれが可能であり有効であるという確信を持ち続けることはそれほど困難なことではないだろう。だが、今や、問題は「制度の外」から理念を撃つ形でやってきているのである。
 こうした事態に対して、「これからは、一国単位の『福祉国家』の枠組みを越えて、地球規模の再分配を追求し、『福祉世界』を目指す努力が必要になる」と大阪大学の斉藤助教授はいう。しかしこうした主張がどれほどの実効性を持つものとして主張されているのか私は疑わしく思う。
(続く)

小規模多機能物語20

2006年11月24日 | 日本生活介護
スウェーデン型福祉の見直し③-「普遍主義」と「自由の制限」

 それは、福祉国家自らが作り上げた豊かな層の出現もさることながら、まったくの外部から発生している。庶民階級よりもさらに貧困な層の流入、すなわち外国人移民の流入に伴う階級構造の変化であり 、そのことが、「階級を超えた連帯」の内実を問う問題として登場しているのである。事実、北欧諸国からは、流入する移民が高負担なしに高福祉を享受しているということへの不満の声が聞こえてくる。
 「スウェーデンが伝統的に同質社会であったことも、『私たち意識』の基礎をつくり出し、非常に質の高い『社会連帯』を結成することになった」(訓覇法子『スウェーデン人は今幸せか』NHKブックス621 日本放送出版協会)とされるその「同質社会」が崩れ始めているのである。
 「給付は平等で適度に限定された水準を保つ」とされた社会的な合意の存在こそが、まさに福祉の「普遍主義」が維持される根拠であったのだが、その黙示的な合意が壊れつつある。
 ところが、流入する移民に対して、移民の制限、社会への同化を条件とした受け入れなどの施策を実施することは、そのまま「普遍主義」の理念に反する「自由の制限」に他ならない。だから、こうした「自由の制限」を「普遍主義」は自らの内に位置付けることができない。なぜならば、ここで掲げられる福祉国家の理想は、一国の理想でもヨーロッパの理想でもなく、人類の理想として普遍化されたものであり、諸国民がこの理想の実現を目指して奮励努力することによってやがてはグローバルに実現されるものとみなされるものだからである。
(続く)

小規模多機能物語19

2006年11月21日 | 日本生活介護
(2)スウェーデン型福祉の見直し②-普遍主義がかえって普遍主義を壊す


 また、エスピン・アンデルセンは彼の著書「福祉資本主義の三つの世界-比較福祉国家の理論と動態」の中で、そうした福祉国家の苦悩を普遍主義的な福祉システムの宿命であると説明している。
「普遍主義に基づく連帯は、歴史的に見れば特定の階級構造にのみ適合するもの」で、それは「人口の大多数が『庶民階級』で構成されていて、したがって給付は平等で適度に限定された水準を保つことが望ましいと見なされる」ような階級構造であると。(G.エスピン・アンデルセン著 岡沢憲芙・宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房)
 しかし一方で「普遍主義的なシステムは地位の平等をおしすすめる」ことから、「労働者階級が豊かになり新しい中間階級が台頭するにつれてこのような構造はもはや維持されなく」なり、結果的に「普遍主義はその意図せざる結果として二重構造をうみだしてしまう。」そして、「豊かな層は、普遍主義制度の平等で限定的な給付を補い、自らの生活水準に照らして適切と考える福祉の水準を達成するために、民間の年金や労使間のフリンジ・ベネフィットに依拠しようとする。」
 エスピン・アンデルセンは、「普遍主義」によって形成された新しい中間階級の登場が「普遍主義」を壊すのだという。それは、普遍主義が徹底することによって、かえって豊かな層が登場し独自の利害を主張するということなのだが、しかし、危機の本質はもう少し別のところからやってきている。
(続く)

小規模多機能物語18

2006年11月16日 | 日本生活介護
(2)スウェーデン型福祉の見直し①-スウェーデン型福祉の限界

 それでは一体、スウェーデン型の福祉システムから逸脱した小規模多機能事業所は日本の固有のローカルで取るに足らない存在なのだろうか。私にはむしろ、小規模多機能事業所の登場が、逆にこれまであまり吟味されることなく「よいもの」として言われ続けてきたスウェーデン型福祉とは異なる、もう一つの福祉社会を目指すものとして登場しているように思える。
 その背景には、昨今このような「大きな安心を給付する」北欧型福祉システムがかつてのような輝きを失い限界を露呈しているということもあるだろう。それは大枠で言えば次のような議論である。
 福祉国家においては、国家が多くの施策を推進することによって、国民の自発性・能動性が失われ、国民の国家や官僚への依存心や公務員労働者の非効率が増大し……と言われる制度の硬直化・非効率化とそれにともなう高コスト体質が財政的負担を倍化している。さらに介護労働が3K労働化することによる職員の勤労意欲の低下などがあげられる。
「公的セクターによるサービス生産の独占状態は、競争がなく非効率で、生産性も低く、利用者の選択の自由も妨げているとされた。また、各種世論調査でも、公的サービスに対する市民の不満が蔓延していることが示された」(同上 斉藤弥生)「現在、スウェーデンの高齢者介護では、特に都市部において、介護職員の不足が大きな課題となっている。欠勤率や離職率が高く、また就職希望者も減少している。介護職員の労働環境の良し悪しは介護サービスの質に直結するため、深刻な問題と受け止められている」(同上 斉藤弥生)
(続く)

小規模多機能物語17

2006年11月13日 | 日本生活介護
(1)福祉の普遍主義④-福祉国家という「政治的なシステム」

 このように、福祉国家とは別の側面から見れば、ひとつの「政治的なシステム」である。
スウェーデン福祉国家が社会民主主義者によって担われてきたという事実は、逆に、例えば、アメリカでは「社会民主主義が育っていなかったから普遍主義は育たなかった」 と言われるように、社会民主主義者がいなければ「福祉国家」は成立しないという論理と裏腹である。
 ここにスウェーデン型福祉国家の政治的なメッセージが強く見てとれる。つまり、福祉と民主主義は一体なもの、「人類の進歩の結果」として実現されるものと観念されているのである。
 介護保険が、今日の小規模多機能事業所というものを、その理念を無視する形で機能主義的に描き出さざるを得なかったのも、「普遍主義」に対する「ニーズベイスト」、官僚統制に対する自主独立、制度化への努力ではなく実行の優先などなど、「制度が成熟して福祉国家が実現」されるという論理とは別の所から小規模多機能事業所が発生しているからである。しいて言えば、小規模多機能事業所の流行は北欧型の福祉国家の展望とは別の場所から発生しているのである。
(続く)

小規模多機能物語16

2006年11月09日 | 日本生活介護
(1)福祉の普遍主義③-スウェーデン型福祉と社会民主主義

 こうした「普遍主義」に対置されるのが「選別主義」である。そして、「選別主義」に基づいて行われるのが「弱者救済型」の福祉であり、その代表的なものはアメリカの福祉であるとされる。選別主義は、対象となる個人または家族あるいは親族が生活を維持する試算や所得をもたないかどうかを調査し、給付を決定することであり、その調査は『ミーンズ・テスト』 と呼ばれている。
 そしてまた、スウェーデン型福祉国家の形成過程においては「『社会民主主義』(ソシアル・デモクラシー)の政治思想と社会運動が大きな役割を演じてきた」(斉藤弥生 大阪大学助教授「スウェーデンの高齢者福祉と社会的民主主義」)とされる。
 「比較福祉国家研究では、スウェーデンは社会民主主義レジームに分類される。同レジームの国々では、強力で包括的な社会権が保障され、福祉サービスはミーンズテスト(資産調査)不要の普遍的給付が基本となる。社会民主党による政権運営が政策に大きな影響を与え、介護や保育は、基礎的自治体が独占的に生産、供給してきた点が大きな特徴であった。」(同上 斉藤弥生)
(続く)

小規模多機能物語15

2006年11月06日 | 日本生活介護
(1)福祉の普遍主義②-市場の失敗を救済するもの

 古来福祉は、産業革命以降の市場経済の進展とともに市場経済の矛盾が顕在化し、福祉が社会的な課題として浮上した。当初、福祉は自力救済路線としてイメージされていた。その代表的なものが社会主義革命や協同組合運動などの社会運動であった。福祉政策が国家の政策として取り入れられたのはビスマルク以降である。
 このように、福祉国家は「市場の失敗」に対応するものとして構想され実践されてきた。スウェーデンを始めとする北欧の福祉国家はその代表的なものである。一方、アメリカにおいては、福祉や介護は市場主義の中に置かれ、そこからこぼれた部分に対して「弱者救済型福祉」として実施されてきた。
 スウェーデン型の普遍主義とアメリカ型の市場主義・弱者救済型福祉は常に比較されてきたが、日本においては、スウェーデン型の福祉政策が理想とされてきた。
 スウェーデン型の福祉国家の特徴は、「高福祉・高負担」にあるといわれ、そこで国民は負担の見返りに「大きな安心が給付」されており、このような社会的な合意の存在こそがスウェーデン型制度の真髄であるとされる。そして、スウェーデンの社会保障と社会福祉の最大の特徴は「普遍主義」の理念によって政策が組み立てられていることである。
 「『普遍主義』の社会保障制度は、……すべての国民・住民あるいは居住者の『必要』に対応する給付を用意する」(福祉国家から福祉社会へ-福祉の思想と保障の原理、正村公宏 2000年3月15日、筑摩書房)
(続く)