猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

中村 圭子 「昭和美少年手帖」

2007年03月05日 13時19分05秒 | 雑記
           河出書房新社 2003年6月30日 初版


 この妖艶な美少年の表紙にフラフラと釣られて・・・この本を買ってしまったのはア・タ・シです。漫画ブログの中では有名な 漫棚通信さん → 漫棚通信ブログ版の過去記事でこれが載ってまして・・・。


 中村 圭子さんとは、東京文京区の弥生美術館 → 弥生美術館・竹久夢二美術館 の学芸員の方です。これは中村さんが編んだ昭和の美少年の挿絵などを集めた本です。弥生美術館は昔から好きなところで、この本に出ている 高畠 華宵の 「さらば故郷(ふるさと)」 という丁稚奉公にあがるらしい少年と別れを惜しむ犬の絵は以前こちらで見ました。
 この本の写真の部分には、他に 伊藤 彦造、山口 将吉郎、山川 惣治、石原 豪人(ごうじん)らの小説挿絵が並んでいます。

 「文学に描かれた美少年」 や 「昭和の少女まんがに登場した美少年」、「美少年の時代による顔の比較」 などの読み物等も有りますが、まずはじっくりと昭和初期の挿絵画家の絵に見入る・・・。
 私はやっぱり華宵の頬がふっくらして赤く染まった少年が好みかしら、いやいや山口 将吉郎の 「木村 長門守重成の奮戦」 の馬上の木村 重成もよいわ~~(よ・よだれが・・・) 木村重成は豊臣氏滅亡の折の大阪冬の陣・夏の陣の際の大阪方の武将です。年若く美丈夫であったということで、私は司馬 遼太郎氏の 「城塞」 (新潮文庫 上・中・下3巻) で彼の奮戦をうっとり読んだものだ。滅びの美学でした。

 それにしても、表紙の少年はエ・エロイ。これを描いた高畠 華宵には男色の好みがあったということで、弟子の美少年に囲まれて暮らしたということですが、それでなくてはこんな絵は描けませんねー。

 明治中期には、 「美少年」 という言葉は単に 「良い少年 心清き優秀な少年」 という意味で、頻繁に使われたという記述にもびっくり。
教育的な性格を持つ少年雑誌の中に 「美少年」 という言葉があふれていたと言うのですから、今読むと仰天するかも。当時は容貌の美しさはおまけのようなものだったのですね。それが大正末期に華宵の描く両性具有的美少年の怪しい魅力の挿絵が爆発的人気を得ると、ニュアンスが変わってきたものなのでしょう。

 「昭和の少女まんがに登場した美少年」の中に、「風と木の詩」 のセルジュや、「草迷宮・草空間」 の草、「月の子」 のショナ、などが絵入りで。「日出処の天子」 の厩戸の王子、「夢見る惑星」 のイリス王子、「摩利と新吾」 の摩利と新吾、「化粧曼荼羅」 の白貴、ボーイフレンド系として 「ホットロード」 の春山などたくさんの我々になじみのある名前 (これらは名前のみ) も載ってましたよ。
コメント (11)
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