むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

午前0時のサンタクロース

2013年12月22日 | こころ
子どもの頃、居間のサイドボードの上は飾り棚になっていて、その真ん中辺りにカタツムリみたいな形の置時計がのっていた。 毎時ジャストになると、「ゴーン、ゴーン」と時の数だけ高い音色が響いた。 楽しく聞こえる時があったり、時間だけどんどん先に行ってしまうようで淋しくなることがあったり、他の部屋でなつかしく耳を澄ますこともあった。
 
夜、家族がみんな二階の寝室に引き上げた後、階段の上から深海の底のような真っ暗闇を覗きこむと、かすかに「カチ、カチ」と振り子の音が聞こえていた。

その「カチ、カチ」を見たのは、父が時計の後ろの扉を開いて、ネジを巻いている時だった。 中では、先に卵の黄身くらいの丸くて平べったい重りのついた、アイスキャンデーの棒みたいな銅が、左右に揺れていた。 
「こんなところに秘密の仕掛けがあったんだ!」とわくわくして、ある誰もいない夜、こっそりほうきに乗った魔女を描き、黄身の重りに貼ってみた。 その奥に三日月を、下には街灯と、明りのともったビルと家を立つように貼りつけたら、ブランコみたいに魔女の飛ぶ、夜の街ができた。

その時計も十二時になると、きちんと12回のゴーンを打ち、次にやって来るのは一時だった。
どこにも0時なんてないのに、幼稚園で、午前0時というものがあると知り、夜中に何度も目を覚まして、枕元の緑色のパタパタ時計のゼロを見つけようとした。 母に聞くと、
「夜の12時というのが、0時のことなんだよ」
とおしえてくれたけど、すぐに信じられなくて、それはすり抜けてしまった幻の時間として、わたしの中にしまわれた。

そんな、すり抜けた時間にやってくるひとが、サンタクロースだった。

クリスマスの朝には、枕元に三越の紙袋が置かれている。 嬉しいのとびっくりで、鍵をかけて眠ったはずの窓を確かめに行って、隣で寝ていた祖母に「見た?」って聞いて、謎は深まるばかりだった。 
翌年は、「今度こそ会うんだ!」と寝ないでがんばっていたのに、気づいたら朝日で目覚め、枕元じゃなく閉めたはずのドアが開いて、それを支えるように紙袋が鎮座していた。 
「どうして今年は遠くに? わたしが用心してたから、見つかるのがこわかったのかな。 でも、廊下の方からきたのなら、家の中を歩いて? 戸締りされてるのに、見つかったらどろぼうと間違えられちゃうかもしれないのに。 お母さんたちも気づかなかったみたいだから、今年はよかったけど。。」 
と、謎はますます深まった。

そしてある年、幼稚園の父兄参加のクリスマス会で、先生が
「サンタクロース、いると思う人~♪」
と、お遊戯室の正面で手をあげて見せた。
わたしの前にいる三分の二くらいの子たちも、まっすぐ手をあげたけど、
「そんなこと聞くってことは、いないんじゃないかな。」
と、へんに思った。

またそれから何年かした小学三年生の夕方、仲よしのみやちゃんと坂道を歩いていたら、
「わたし、サンタさんにおもちゃお願いしたよ。 何にした?」
と、弾んだ声で聞かれ、心の中ではっとした。
「わぁー、みやちゃんは、まだサンタクロース信じてるんだ。 一人っ子だからかな。 大事にしなきゃな。 このまま信じ続けられるといいのに。」 
と思って、いつの間にか謎のことすら忘れていたわたしは、
「うーん、まだ考えてなーい。」
と、前を向いたまま答えた。

いつしか魔女の飛ぶ時計はなくなって、れっきとした0時も現れて、サンタは遠くのひとになっていたけれど、12時と1時の間に探した0時も、紙袋を届けてくれるサンタクロースも、夢中になった想い出だ。


あなたにとって、今という時をやさしく感じられるクリスマスになりますように☆
Merry Christmas




十代に、家族でよく過ごした京都を久しぶりに歩きました。 清水寺を目指している途中でにわか雨が降ってきて、駆け込んだ鴨川沿いのカフェ。 運ばれてきたクレープから目を上げると。。



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