比企の丘

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秩父札所「音楽寺」…困民党の駆け抜けた小鹿坂峠

2013-04-16 | 秩父事件を追って
秩父札所34ヶ所23番、臨済宗南禅寺派松風山音楽寺、824年開基。
秩父盆地、秩父市街から荒川を挟んで西の長尾根丘陵の中にひっそりとたたずむ静かな観音堂。



いまから129年前、この静かな山の寺の境内を「逆賊、暴徒」と呼ばれる農民の集団が駆け抜けていきました・・・
秩父困民党事件」です。


1884年(明治17年)11月1日、明治新政府のデフレ政策で借金苦にあえぐ農民が救済を求めて下吉田村(現秩父市)椋神社に集まり蜂起、その数3000人・・・翌11月2日、下吉田村を出発した農民の集団は、長尾根丘陵小鹿坂峠を越えてここ音楽寺で休息。寺の梵鐘を打ち鳴らし山を駆け下り荒川を渡り大宮郷(現秩父市街)に進出、その数は10000人に膨れ上がったといいます。


事件は10日後の11月10日長野県佐久の野辺山高原方面で困民党壊滅の結末を迎えます。江戸時代の強訴、一揆が明治時代にそのまま持ち込まれたような体制側と非体制側との衝突、体制側に刃向った暴動としてこの事件は終わりました。この事件は日本が近世から近代に生まれ変わる時代、民政とは何かを問いかけた事件です。

音楽寺の境内の一隅にこんな墓石が建てられています。

 

墓は1978年、秩父困民党決起100年記念事業委員会が浄財を集めて建立したもの。墓の隣に困民党のことを書いた碑があります。
写真をクリックすると拡大します。
音楽寺を訪ねた方に・・・どうかこの一文を読んでください。

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