比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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武州妻沼・・・聖天様の・・・歓喜院

2009-07-09 | 道をゆく 埼玉イイなっ
武州熊谷市妻沼・・・聖天山歓喜院(しょうでんざんかんぎいん)の中をブラブラしています。

貴惣門から中門への参道。
中門をくぐって進むと仁王門、ご本殿(いまは改修中)。
この参道は静寂なお寺の雰囲気というよりは一般家屋とごっちゃ交ぜという感じ。
中門の右はお祭り広場、ブランコなどの遊具、鳥のゲージ。像の噴水などきわめて庶民的です。

中門・・・四脚門・・・甚五郎門とも。懸魚の模様などに室町期の特徴があるそうですが建造年不明。1670年寛文の大火でも類焼を免れた唯一最古の建造物。

中門の右が田山花袋の小説「残雪」に出てくる割烹旅館「千代枡」。
左手にオイナリさんの「聖天寿司」


中門の脇に看板が。

東国花の寺百ヶ寺」・・・そういう寺のラインナップがあるとは知らなかった。
武州路十二支霊場」・・・そんなのも知りません。
幡羅新四国十三番札所」・・・どういうものか知りません。
幡羅(はたら)・・妻沼あたりを中心にした昔の地域名のようです。このあたりは古代に渡来した「秦氏」の一族の定住した土地だったのでしょうか。

聖天山歓喜院本坊・・・聖天サマの境内から少し離れてヒッソリと佇む修行場。
門の左側に板碑(石塔婆)があったが写真には収めなかった。

またの名を長楽寺・・・ふだんは非公開です。年に2回内拝できます。

1179年・・・武蔵国幡羅郡長井の庄の庄司(荘園の管理人みたいなもの)斉藤別当実盛が開設した。
武州嵐山町大蔵館で源義賢が討たれたとき義賢の子駒王丸(のちの木曾義仲)を匿い木曾に送り届けます。その後は源氏についたり平氏についたり、この時代の武士は所領を守るために風見鶏を決め込んでいたのですね。武士は二君に仕えずなんてウソでしたか。時移り平家方として木曾義仲と北陸で戦い討ち死に。命を助けた義仲に討たれるなんてドラマですね。
ご本尊の歓喜天は・・・聖天、大聖歓喜大自在天、象鼻天とも。
抱擁した象頭人身の双身像、なにやら淫猥な匂いがしてきます。インドのヒンドゥー教の神様でしょうか。仏教に取り入れて密教では大日如来の権現(生まれ変わり)・・・上手いこと変えました。難しくなったので詳しくはWikipediaを。

ご本殿は改修中・・・オイナリさんを買って次ぎ行こう。



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