NHK大河ドラマ「晴天を衝け」・・・最初は録画でちょこっと見てましたが・・・いまはオンタイムで視ています。
昨日、衆議院議員総選挙の期日前投票に出かけ、足を延ばして越生町黒山にある澁澤榮一の見立養子澁澤平九郎の墓まで行ってきました(以下、澁澤は渋沢、榮一は栄一で表記)。鳩山町役場から車で10数分、埼玉県道61号線、越生町黒山集落に入ったあたり、道路際に渋沢平九郎墓所駐車場の看板が立っています。
越辺川の上流の小さな橋を渡ると・・・
★平九郎自刃の岩・・・全洞院より西に県道61号線を数100m、T字路を左に進んで200m弱、道路わきに「平九郎自刃の岩」の碑が。
★平九郎茶屋・・・北武蔵、外秩父の山なみの顔振峠(こうぶりとうげ)には平九郎の名を冠したお休み処平九郎茶屋があります。
★渋沢喜作・・・栄一の従兄、武蔵国血洗島村の生まれ、青年時代から栄一と行動を共にして倒幕運動、徳川慶喜家臣、彰義隊頭取,、振武軍隊長、函館戦争(五稜郭の戦い)に参加、投降、入獄、栄一の奔走により釈放、大蔵省入省、退職。米、生糸などの問屋、東京商品取引所理事長など財界で活躍した。
★尾高新五郎(淳忠)・・・栄一の従兄、栄一の幼少からの寺子屋の師、飯能戦争に士分ではないが参加、敗走のあとは武蔵国下手計村に戻り隠遁。栄一の懇請により官営富岡製糸場初代場長に。国立第一銀行盛岡支店、仙台支店の支配人に。養蚕、製藍の改良・普及に尽力し「蚕桑長策」「藍作指要」を著している。
昨日、衆議院議員総選挙の期日前投票に出かけ、足を延ばして越生町黒山にある澁澤榮一の見立養子澁澤平九郎の墓まで行ってきました(以下、澁澤は渋沢、榮一は栄一で表記)。鳩山町役場から車で10数分、埼玉県道61号線、越生町黒山集落に入ったあたり、道路際に渋沢平九郎墓所駐車場の看板が立っています。
越辺川の上流の小さな橋を渡ると・・・
岩松山全洞院.・・・越生町龍ヶ谷の古刹,曹洞宗智山派龍穏寺の末寺(いまは無住)・・・本堂の右側を上がると・・・
苔むして水食、風食して戒名も読めませんが・・・渋沢平九郎の墓・・・新しいお花が供えられお酒も・・・享年22歳。
栄一は1889年、1902年の2度、この地を訪れた。
《蛇足》苔むして水食、風食して戒名も読めませんが・・・渋沢平九郎の墓・・・新しいお花が供えられお酒も・・・享年22歳。
渋沢平九郎・・・渋沢栄一が1867年主君徳川慶喜の命で渡仏のおり栄一の見立養子に。家の当主が長旅などで家を長く空けるとき、嗣子がいない場合はもしもの時に備えて養子を立てるのが当時の慣わしであった。栄一の妻千代の弟、栄一の幼少期の寺子屋の師であり従兄の尾高新五郎(淳忠)の弟。
栄一は1889年、1902年の2度、この地を訪れた。
1868年(慶応4年、明治元年)5月、江戸幕府壊滅、江戸城無血開城・・・江戸幕府の中になお徹底抗戦を叫ぶ士がいて彰義隊と名乗り上野の山に閉じこもりますが1日も持たずに鎮圧されます。この彰義隊に加わったのが渋沢栄一の盟友渋沢喜作、師の尾高新五郎、見立養子の渋沢平九郎、彰義隊の戦略と少し食い違いがあったようで分派して喜作を隊長として振武軍と名乗り武州西部に移動、武蔵国飯能町(現飯能市)あたりで一線を交えます(飯能戦争)。官軍の兵力3000人、飯能の能仁寺に本陣を構えた振武軍は数100人、あっという間に蹴散らかされ、四散。渋沢喜作、尾高新五郎らは正丸峠を越えて秩父から上州に逃れますが、渋沢平九郎は吾野から顔振峠を越えて黒山村(現越生町)へ。官軍の偵察隊と遭遇、手傷を追い割腹。首は刎ねられ今市(現越生町駅前あたり)の法恩寺前の高札場に晒され、のちに法恩寺に埋葬、亡骸は黒山の全洞院に手厚く葬られ村人たちは「御脱走様」と崇めたという。首、亡骸の素性が判明したのはのちのことです。
戦は、春秋に富む青年の前途を絶ちます。
戦は、春秋に富む青年の前途を絶ちます。
★平九郎自刃の岩・・・全洞院より西に県道61号線を数100m、T字路を左に進んで200m弱、道路わきに「平九郎自刃の岩」の碑が。
★平九郎茶屋・・・北武蔵、外秩父の山なみの顔振峠(こうぶりとうげ)には平九郎の名を冠したお休み処平九郎茶屋があります。
★渋沢喜作・・・栄一の従兄、武蔵国血洗島村の生まれ、青年時代から栄一と行動を共にして倒幕運動、徳川慶喜家臣、彰義隊頭取,、振武軍隊長、函館戦争(五稜郭の戦い)に参加、投降、入獄、栄一の奔走により釈放、大蔵省入省、退職。米、生糸などの問屋、東京商品取引所理事長など財界で活躍した。
★尾高新五郎(淳忠)・・・栄一の従兄、栄一の幼少からの寺子屋の師、飯能戦争に士分ではないが参加、敗走のあとは武蔵国下手計村に戻り隠遁。栄一の懇請により官営富岡製糸場初代場長に。国立第一銀行盛岡支店、仙台支店の支配人に。養蚕、製藍の改良・普及に尽力し「蚕桑長策」「藍作指要」を著している。
※コメント欄オープン。
古いブログで渋沢栄一の足跡をおっています。
機会がありましたら私のブログの右肩の検索欄で渋沢栄一と打てば出てきますから読んでみてください。
遠いアメリカで拙ブログ読んでくださいましてありがとうございます。