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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

安曇野の春を探して・・・白馬村神城から・・・ブルーベリーの花が咲いてる

2020-07-02 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃5月・・・4月に続いて北安曇野に春を探してプチドライブ・・・
長野と松本をつなぐ国道19号線・・・安庭ICから県道31号線に。長野市中条、そして小川村。美麻から県道33号線で白馬村に。

白馬村神城堀之内・・・谷地川の狭い谷間を抜けて白馬村盆地に出たあたり。

畑仕事する夫婦・・・

ブルーベリー畑と白馬連峰・・・

ブルーベリーの花・・・ツツジの仲間ですからドウダンの花に似た小さな吊り鐘状の花を咲かせます。

アルプスの水鏡・・・田植え前・・・水を張った田んぼに雪の白馬連峰が逆さに映ってます。
※撮影日は5月12日。


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春の北信濃路・・・白馬連峰と・・・姫川の清流と・・・吊り橋と・・・桜の・・・白馬村大出

2020-06-29 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月25日、長野市から白馬村へ・・プチドライブ・・・
長野と松本をつなぐ犀川に沿った国道19号線から・・・県道31号線へ・・・長野市中条、小川村に、県道36号線に入り標高1000mの大洞高原を越えて・・・長野市鬼無里に入り国道406号線を西に。白沢洞門を越えて白馬村大出に。

白馬連峰姫川の清流吊り橋で有名な白馬村大出・・・はまだ5分咲き・・・

午後になると逆光になるロケーションです。

ミズバショウの花が・・・

ネコノメソウ・・・

水仙・・・

北信濃、アルプスを遠望するプチドライブはこれでオシマイ・・・です。
※撮影日は4月25日。


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信州松本平からの大展望台・・・長峰山は・・・春霞でした

2020-06-06 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四月中旬、信州安曇野市明科の長峰山(933m)から安曇野を眼下に飛騨山脈の山々が・・・見えません。
ここは北アルプスの展望台・・・冷えた朝、松本平、安曇平を雲海が覆うビューポイント・・・

出かけるときは晴れ模様でしたが春霞、常念岳。燕岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳など・・・残念ながら霞んで見えません。
左から右に流れている川は犀川(奈良井川、梓川→犀川→千曲川→信濃川)、上方から流れ込む川は穂高川

パラグライダー? ハンググライダー? の飛出し台でしょうか。

晴れていたら見えるはずの・・・
2014年10月に撮った・・・大町市の右に聳える爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳(2889m)、五竜岳・・・
※撮影日は4月14日。


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秋の北安曇野・・・白馬連峰の大展望台・・・岩蕈山の山頂あたりの紅葉黄葉の風景

2020-01-16 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

昨年の秋、白馬連峰山麓・・・紅葉を追いかけて。
北安曇野・・・白馬村北城岩岳・・・岩蕈山(1289m)・・・イワタケと読みますが読めないので岩岳と表記されるようになったようです。キノコのことだそうです.大糸線信濃森上駅に近い白馬連峰の前衛の小さな山です。ゴンドラができてスキー場ができて、気軽に頂上まで行けるようになりました。北アルプスを目の前に見られるマウンテンビューの山です。

岩岳ゴンドラ山麓駅から標高差約540mをゴンドラで一挙に登っていきます。
山頂まで落葉広葉樹林帯のため秋は高度、樹種によって紅葉黄葉の進み方が違い美しい三段紅葉が楽しめます。

標高1289m・・・岩蕈山ゴンドラ頂上駅あたりの風景です。





落葉広葉樹の紅葉、黄葉、常緑針葉樹の緑、落葉した白樺の白・・・自然の極彩色。


※撮影日は2019年10月28日です。


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秋の北安曇野・・・白馬村岩岳・・・紅葉の岩蕈山(いわたけやま)に・・・ゴンドラで登る

2020-01-14 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

昨年の秋、白馬連峰山麓・・・紅葉を追いかけて。
北安曇野・・・白馬村北城岩岳・・・岩蕈山(1289m)・・・イワタケと読みますが読めないので岩岳と表記されるようになったようです。キノコのことだそうです.大糸線信濃森上駅に近い白馬連峰の前衛の小さな山です。ゴンドラができてスキー場ができて、気軽に頂上まで行けるようになりました。北アルプスを目の前に見られるマウンテンビューの山です。

岩岳ゴンドラ山麓駅から標高差約540mをゴンドラで一挙に登っていきます。
山頂まで落葉広葉樹林帯のため秋は高度、樹種によって紅葉黄葉の進み方が違い美しい三段紅葉が楽しめます。








ゴンドラの窓から・・・不帰ノ嶮・・・針峰群・・・ 
※画像クリックすると山座同定図‥・峰の名前が。
※撮影日は2019年10月28日です。


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五月の安曇野・・・大町市常盤・・・アルプスと「みこしの歌」の像の見える風景

2019-08-11 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

安曇野の散歩です・・・安曇野市穂高から松川村、大町市常盤のあたりにやってきました。
豊かな田園地帯に農事に勤しむ農夫と天に向かって手を上げる母子増のブロンズが・・・
高嶋文彦氏作:1996年10月建立・・・「みこしの歌」・・
大町市常盤地区、高瀬川右岸土地改良区圃場整理123㌶竣工を記念して建立。
☆「みこし入道」伝説に因んだものです。見越し入道は妖怪、人の前に立って見越す。人は負けじと睨みあい「見越したあ」と叫ぶと退散するそうです。
現代的に考えれば、上から目線で押さえつける妖怪、それに立ち向かう民の平らな目線・・・


爺ヶ岳の山稜に「種まき爺さん」の雪形が見えたり雲に隠れたり。

餓鬼岳が見えます。
※撮影日は5月17日。

高嶋文彦(1940~2004年)・・・安曇野市三郷出身、彫刻家。弘前市駅前通り、八王子こども科学館、渋谷区民会館、長野市保健所、安曇野市大王わさび農場など全国各地に彫像。


※コメント欄open。


五月碌の安曇野散歩・・・アルプスと蝶と安曇野を愛したナチュラリスト・・・田淵行男記念館

2019-08-08 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

田淵行男・・・アルプスと安曇野を愛した写真家、蝶の研究家、昆虫の細密画家・・・1905年鳥取県で生まれる。旧制東京高等師範学校卒、教職、写真関係出版、映画制作などを続け、戦時中、安曇野に疎開、戦後は写真家として数々の写真集を発表、安曇野のギフチョウ、ヒメギフチョウを発見(安曇野はギフチョウ、ヒメギフチョウの混在地)。1961年安曇野市豊科南穂高に移住。北アルプスの山岳写真、高山蝶、安曇野の四季の風景、草木、虫などを撮り続けました。1989年死去。著書36冊、安曇野市名誉市民。
自然から読み取り学ぶ知識がもっとも正しい」という独自の信念のもと様々な作品や研究結果を残した素晴らしいナチュラリストでした。
この人の写真がいかに素晴らしいか・・・図書館などで写真集などをご覧になればわかります。田淵行男の写真がなぜ凄いか・・・それは写真の向うを愛したからです。

☆写真はギフチョウの細密画。田淵行男記念館公式サイトより。


1990年開館の田淵行男記念館・・・安曇野市豊科南穂高5078-2.
※撮影日は5月17日。


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五月碌の安曇野散歩・・・夭折の彫刻家・・・荻原守衛・・・碌山美術館

2019-08-08 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

5月、安曇野ブラブラ散歩です。穂高駅から数100m北へ、ひっそりと碌山美術館・・・

荻原守衛・・・碌山・・・1879年南安曇郡東穂高村(現安曇野市)、自作農の子として生まれる。小学校卒業後農業に従事、東穂高禁酒会の相馬愛蔵(のちに新宿中村屋店主)、研成義塾の井口喜源治らと交友、上京して絵画を学び、ニューヨーク、パリに留学、ロダンの彫刻を見て彫刻家の道に。帰国後、新宿で中村屋を営んでいた相馬愛蔵、良夫妻の後援を受けながら創作活動を続けるが、明治43年(1910年)30歳で夭折。
☆荻原碌山と彫刻「女」(国の重要文化財)・・・死の直前の作品であり絶作となった。写真はWikipediaより。

西洋の教会を思わせる静かな佇まい。1958年開館。2009年国の有形文化財登録。
友人であった同時代の彫刻家高村光太郎はじめ戸張弧雁、中原悌二らの作品も展示されています。


※撮影日は5月17日。

信州に行くことがあったら・・・上田の戦没画学生慰霊美術館無言館・・・安曇野の松川村のちひろ美術館と・・・ならんで・・・ぜひ訪れたい美術館です。


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五月・・・安曇野散歩・・・安曇族の始祖を祀る・・・穂高神社

2019-08-07 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

安曇野市穂高の穂高神社に来ました。
古代九州、福岡県糟屋郡安曇郷から信州梓川、烏川、中房川の扇状地一帯に移住したという安曇族の祖神綿津見命穂高見命を祀る神社です。
創建は653年、祖神は穂高見神、綿津見神ワタツミとは海の神の古語。

二の鳥居から正面に神楽殿、その奥に拝殿。

神楽殿の奥に拝殿。この奥に本殿。右に樹齢500年以上といわれる御神木の杉が。

☆本宮です。奥宮は上高地の奥の明神池が御神体。奥穂高岳の頂上が峰宮。
※撮影日は5月17日。
海人・・・安曇族・・・福岡県糟屋郡安曇郷(現在の福岡市東部、滋賀島に通じる海の中道の付け根のあたり)に住した海の仕事を生業とする一族といわれます。6世紀の中期から7世の初期に、全国に散じたといわれますがその理由は確かなことはわかりません。朝鮮半島において新羅、百済の覇権争い、大和朝廷が百済に援軍を送るなどした時期です。527年九州筑紫の豪族磐井氏が朝鮮仁出兵しようとするヤマト王朝軍を阻んだ事件・・・磐井の乱・・・で磐井氏に与したことで逃亡離散を余儀なくされたという説もありますが・・・定かではありません。
祭神の中に飛鳥時代の武人665年朝鮮半島白村江の戦いで戦死した安曇連比羅夫が祀られています。命日の9月27日は本宮の例大祭「御船祭り」です。
一族の散らばった足跡は全国に安曇、阿曇、厚見、渥美、熱海、温海、安積、安住という地名で残っています。そのほとんどが海辺部ですが、信州安曇族は山間部に定着しました。安曇族がいかなるルートで信濃国の中部に入ったか・・・謎です。

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五月・・・安曇野散歩・・・国営アルプスあずみの公園の花フェスタ

2019-08-05 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

長野県安曇野市、常念岳を水源とする烏川が安曇野に顔を出して烏川扇状地(東西16㎞、南北6㎞)を形成、その扇頭にあたる堀金烏川、穂高柏原、穂高牧之地籍に跨る国設アルプスあずみの公園(里山文化ゾーン)を尋ねました。2004年開園、約100㌶。あずみの公園は大町、松川地区に自然体験ゾーン253㌶があります。






あずみの公園の中を流れる「烏川幹線水路」です。昭和28年(1953年)竣工。
戦後間もない工事なので自然石を使った手造りです。土木遺産になるべき疎水です。


烏川水路・・・常念岳を水源とする烏川の水流、須佐渡を抜けると扇状地の安曇野に、河道以外は伏流水となって地下深く滲みこんで扇端で泉となって地上に出ます。扇状地の中は全く水がありません。そのため人々は古来より扇頭地で取水し水路を作り農業用水として使ってきました。烏川から取水した堰(せぎ、用水路)は・・・倉田堰、上川五ヶ村堰、下川堰、牧堰の4ヶ所。昭和のあの戦争のあとの1953年県営事業として4つの堰を一つにまとめて作られたのが須佐渡頭首工から取水された烏川水路です。幹線水路の一部が国設アルプスあずみの公園内を流れています。

※撮影日は5月17日。


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