信州上田の・・・六文銭の写真帳
安曇野市穂高の穂高神社に来ました。
古代九州、福岡県糟屋郡安曇郷から信州梓川、烏川、中房川の扇状地一帯に移住したという安曇族の祖神綿津見命、穂高見命を祀る神社です。
創建は653年、祖神は穂高見神、綿津見神。ワタツミとは海の神の古語。
二の鳥居から正面に神楽殿、その奥に拝殿。
神楽殿の奥に拝殿。この奥に本殿。右に樹齢500年以上といわれる御神木の杉が。
☆本宮です。奥宮は上高地の奥の明神池が御神体。奥穂高岳の頂上が峰宮。
神楽殿の奥に拝殿。この奥に本殿。右に樹齢500年以上といわれる御神木の杉が。
☆本宮です。奥宮は上高地の奥の明神池が御神体。奥穂高岳の頂上が峰宮。
※撮影日は5月17日。
海人・・・安曇族・・・福岡県糟屋郡安曇郷(現在の福岡市東部、滋賀島に通じる海の中道の付け根のあたり)に住した海の仕事を生業とする一族といわれます。6世紀の中期から7世の初期に、全国に散じたといわれますがその理由は確かなことはわかりません。朝鮮半島において新羅、百済の覇権争い、大和朝廷が百済に援軍を送るなどした時期です。527年九州筑紫の豪族磐井氏が朝鮮仁出兵しようとするヤマト王朝軍を阻んだ事件・・・磐井の乱・・・で磐井氏に与したことで逃亡離散を余儀なくされたという説もありますが・・・定かではありません。祭神の中に飛鳥時代の武人665年朝鮮半島白村江の戦いで戦死した安曇連比羅夫が祀られています。命日の9月27日は本宮の例大祭「御船祭り」です。
一族の散らばった足跡は全国に安曇、阿曇、厚見、渥美、熱海、温海、安積、安住という地名で残っています。そのほとんどが海辺部ですが、信州安曇族は山間部に定着しました。安曇族がいかなるルートで信濃国の中部に入ったか・・・謎です。
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