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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

初夏の信州・・・安曇野の原風景・・・黒沢映画「夢・・・水車のある村」の舞台

2018-06-18 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

安曇野市穂高の大王わさび農場内を流れる万水川(よろずいがわ)、蓼川の合流点にある水車です。
日本映画界の巨匠黒沢明監督のオムニバス映画「」(1990年公開)の最終章「水車のある村」で撮影された水車小屋です。









※撮影は2017年6月29日。
大王わさび農場・・・1917年に砂礫主体の荒れ地15㌶を開拓して開場したワサビ農場。1970年代ごろから売店、散策路を作って公園化、現在年間120万人が訪れる観光農場に。「大王」の名前は安曇地方に古くから伝わる魏石鬼八面大王伝説に因んで。この大王については善玉であったり悪役玉であったり諸説ありよくワカラナイ。農場内に大王神社がある。

初夏の信州・・・安曇野扇状地・・・自然の恵みと人々の知恵と汗・・・ワサビ畑とニジマス養魚池の風景

2018-06-17 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州・・・安曇野・・・飛騨山脈から流れ落ちる信濃川水系の梓川、中房川、烏川、万水川、高瀬川の水に運ばれた砂礫が宏大な扇状地を形成し広がっています。扇状地に流れ出した水の一部は伏流水となって地中を流れ扇端地で湧水となって吹き上がります。人々はこの地形を生かしてワサビの栽培ニジマスの養殖を営んできました。こうした地形は長野県でもこの地域限定です。

湧水の流れる平地での栽培は安曇野市穂高地区特有のもの。ワサビ栽培の多くは山あいの渓流からの棚田栽培です。
ワサビの栽培は明治の中期、鉄道の開通により中央商圏への流通が可能になったことから商品化して、本格的にはじまりました。


ワサビ生産県別ランク・・・①長野(38%) ②岩手(23%) ③静岡(22%

安曇野の人々は旧来のナシ畑や桑畑を転用してワサビ栽培に切り替えた。
湧水の年間水温12~13℃前後、低水温、低栄養水質が病害を防ぎ、夏の高温期は寒冷紗で直射日光を遮っている。


扇状地の低水温の豊富な伏流水の湧水を利用したニジマスの養殖
※ニジマスが日本に持ち込まれたのは1877年アメリカから。
長野県では1926年県立犀川孵化研究所(現長野県水産試験所)が明科町(現安曇野市)で種苗、養殖技術の開発研究をはじめた。
本格的に民間で養殖がはじめられるようになったのは大平洋戦争の終ったあとの1950年代から。


ニジマス生産県別ランク・・・①静岡(22%) ②長野(16%) ③山梨(14%)
※撮影は2017年6月29日。

信濃路安曇野・・・桜の季節・・・白馬アルプスオートキャンプ場から・・・白馬連山と松川の清流

2018-06-12 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村・・・白馬大橋あたりから・・・桜と白銀の山々。



白馬村北城・・・白馬大橋を渡った松川左岸・・・白馬アルプスオートキャンプ場






オートキャンプ場に・・・雪形の説明板・・・これだけではわかりませんね・・・山全体の写真があって→印があれば・・・
※撮影は4月21日。
※白馬アルプスオートキャンプ場・・・65台収容のオートキャンプ場、要予約、駐車料無料、テントサイト料、入場料は有料。

春の北安曇野・・・白馬山麓・・・小さな公園から・・・桜と白銀の山々

2018-06-11 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村・・・
森上(もりうえ)集落のなかに・・・公益法人白馬村G&B海洋センターの脇の小さな公園から桜と白銀の山。

五龍岳残雪・・・武田菱の雪形が見えます。

満開の桜の樹の間から・・・唐松岳・・・


※撮影は4月21日。

春の北安曇野・・・白馬連山の雪融け水を集めて・・・松川の水飛沫

2018-06-10 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村・・・
松川・・・白馬岳大雪渓、杓子岳、鑓ヶ岳、不帰ノ嶮、唐松岳を水源として白馬村北端で姫川に合流。
国道148号線松川橋あたり、雪融けの水が清冽。
白馬鑓ヶ岳から不帰ノ嶮、唐松岳・・・



白馬鑓ヶ岳、杓子岳・・・
※撮影は4月21日。


春の北安曇野・・・白馬村北城・・・野平(のだいら)の一本桜

2018-06-09 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村北城(ほくじょう)・・・野平(のだいら)からの風景。
標高680mの大出から標高780mの野平へ。姫川の右岸の菅沢の渓谷の右岸の小さな河岸段丘です。

野平の一本桜、右に白馬鑓ヶ岳、左に不帰ノ嶮が・・・桜色と白銀色のハーモニー・・・

畑ではトラクターが入って農作業のはじまりの季節です。

不帰ノ嶮・・・八方尾根・・・



桜と・・・五龍岳、唐松岳。
※撮影は4月21日。
※野平・・・1875年(明治8年)野平村が北城村に、1956年白馬村に。2014年11月の神城断層地震(M6.7、震度6強)では18世帯51人が緊急避難、集落の生活道路が崩落、分断。
※野平の一本桜・・・北城村発足60周年(1935年)記念で各戸に一本づつ配られた桜の苗木の一本らしい。たまたま畑の一隅に植えられた桜が数十年のときを経て素晴らしい景観に。観光のために植えたものではない。生活道路、農道に訪れるのだ。畦道に入るには細心の注意を払ってほしい。信州の村びとは心優しい。挨拶を交わしてほしい。
※白馬駅あたりから車で20分くらい。駐車場2カ所が用意されている。

2017年11月15日のブログ白馬山麓・北安曇野・・・野平(のだいら)・・・野沢菜の秋」→クリック
2017年5月24日のブログ五月の白馬山麓・・・安曇野・・・白馬村北城・・・野平(のだいら)の一本桜」→クリック

桜咲く安曇野・・・白馬山麓・・・姫川・・・大出(おおいで)の吊橋の風景

2018-06-08 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村北城(ほくじょう)・・・大出(おおいで)からの風景。

姫川の瀬々らぎ、吊橋・・・岸辺の柳が青めき桜満開。残雪の白馬連峰

ミズバショウ・・・



ネコノメソウ・・・

菜の花と白馬三山・・・


※撮影は4月21日。
アクセス・・・白馬駅あたりで国道148号線(糸魚川街道、千国街道、塩の路)と分かれて国道406号線(鬼無里街道)、大糸線踏切、姫川の橋を渡るとすぐ、駐車場2カ所。
姫川・・・1級河川、白馬村神城佐野の新海湿原、姫川源流湧水自然探勝園を水源として新潟県糸魚川で日本海へ、延長60㎞、ヒスイの産地であり縄文時代の遺跡から出土するヒスイは姫川のものと検証されている。姫川の由来は神話によれば出雲国の大国主命が懸想したといわれる土地の豪族の娘の奴奈川姫にちなんでといわれる?そして二人の間に生まれた子が諏訪大社の祭神建御名方神という?
白馬村硬式サイトより→クリック

※2017年11月12日のブログ白馬山麓・・・北安曇野・・・大出の吊橋の秋」→クリック
※2017年5月23日のブログ桜咲く・・・白馬山麓・・・安曇野・・・姫川・・・大出(おおいで)の吊橋の風景」→クリック
※2017年5月12日のブログ春の白馬山麓・・・大出・・・姫川の清流・・・吊橋・・・水芭蕉・・・茅葺・・・水車小屋」→クリック

冬の松本ブラブラ(終章)・・・400年の城下町・・・市場町で栄えた中町通りを歩く

2018-01-13 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬の松本平・・・12月15日、松本市役所6階の展望室からお城を見ています。
お城の下は城下町? 丸の内、大手町と呼ばれたあたり。
お城を見て、文明開化の象徴みたいな信州教育の原点旧開智学校校舎を見たあとは、お城下の街並みの残る縄手通り、中町あたりに行きます。

中町通り」です・・・残念ながら今は「中町」ではなく「中央2丁目」。

400年の城下町松本、戦乱が落ち着いた江戸時代、東西南北の交通の要衝(善光寺街道、野麦街道、千国街道、甲州街道への道、伊那街道、保福寺峠から上田、江戸への道、犀川通船)の松本は生産物の集散の市場町として大いに栄えました。当時の問屋街は江戸末期から明治初めに度重なる火災により焼失しましたが、火災に強い蔵の街として復興をはたし、いま、その姿を伝えています。

アテもなくブラブラ歩くのがいい町です。新しい出逢い、発見があります。

松本市中町(正式には中央2丁目)・・・左←「蔵の井戸」・・・飲用可。
「美し原」の北麓を源流とする女鳥羽川、南麓を源流とする薄川が作った扇状地の扇端に位置する松本市街地は伏流水が豊富に湧き出ます。



左←松本民芸家具(創業1944年)のショウルーム・・・



右→中町蔵の会館(蔵シック館)・・・元「大禮酒造」の母屋、離れを移築。
※撮影日は12月15日。
※冬の松本ブラブラ歩きのブログはTHE END.


※コメント欄開いています。

冬の松本市街・・・縄手通りを歩く

2018-01-12 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

冬の松本平・・・12月15日、松本市役所6階の展望室からお城を見ています。
お城の下は城下町? 丸の内、大手町と呼ばれたあたり。
お城を見て、文明開化の象徴みたいな信州教育の原点旧開智学校校舎を見たあとは、お城下の街並みの残る縄手通り、中町あたりに行きます。

縄手通り」です。
そのむかしお城の堀と女鳥羽川の清流に挟まれ「縄のように長い土手」(女鳥羽川扇状地端の自然堤防)があったといいます。明治4年(1871年)四柱神社が建立され参道ができ祭事には両側に露天商が並びやがて商店街に。
通りに沿って女鳥羽川の清流には河鹿蛙が美しい鳴き声を奏でていたそうです。

車馬通行止め、狭い道、低い軒先が独特の明治、大正、昭和の雰囲気を醸し出します。

縄手通りの象徴「」です。
いつのころからか女鳥羽川が汚れ蛙の姿が消えた。
清流をふたたび蘇らそうと願い1972年「かえる大明神」を祀り、以来「蛙の町」と呼ばれるように。

美ケ原」の「王が鼻」が見えます。ここは山の都です。

女鳥羽川沿いの縄手通り商店街。薄緑色の屋根の6階建てモダンな建物は松本市営上土住宅。

ハラが減った・・・ここらで昼飯・・・「じゅげむ」。

鍋焼きうどん
※撮影日は12月15日。



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