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旋律を歌いたい

立春の今日 春のお花を と思ったのですが、このところの大寒波に沈丁花のつぼみくらいしかお庭には無いので、ちっとも季節感がありませんが、3週間前に瀕死の状態で両親の留守宅から避難させてきたシクラメンが、快気祝いと時を同じくして美しく甦ったのが嬉しくて登場させました☆

 何日か前の検索ワードに「旋律以外歌いたくない」という言葉があり、見た途端「そうだよねぇ」と お部屋には誰もいないのに声をあげて笑ってしまいました。余りに明確に「人の気持ち」を表していていじらしい。ほんとにねぇ。誰でもきれいなメロディを歌いたいですよねぇ。同感です。
 良く出てくるお話ですが、かおるせんせのいた頃の学芸大学は教員養成大学だったので、お琴や三味線必修、副科もきちんとせねばならず、ヴァイオリンをしたのですが これがひどい。自分で練習していて吐き気が出るほど音程を作れない という箸にも棒にもかからない代物でしたが、オーケストラの授業があり 「ん タタタ ん タタタ」などばかり いわゆるキザミ音型のハモリばかりでメロディラインらしきものはちっともなかった。第三ヴァイオリンじゃぁ仕方ないですよね。あはは。
 今 みなさんと作っている合唱音楽もソプラノ以外はすべてこんな感じですね。音の面白い最近の外国曲ほどこの傾向が。プーランク内声なんて気の毒なくらいメロディがとんでもない音。ウィテカもマンティヤルヴィもストループもペルトも。(敢えてひらがなで書いちゃった^^;)時によってはソプラノすらメロディラインが無いことも。これは音を楽しむしかアプローチはできません。そこでかおるめそっどの登場 となるわけですね。じゃじゃぁん!
 つまり「旋律を歌いたい」と思っていると 楽しめる合唱曲は限られてくる ということです。世界的な合唱の流れから言うと「旋律」にこだわるモノはむしろ少数派に思えます。日本でも武満、間宮、三善作品などにはこの傾向がみられますよね。全体の作りが面白く奥深いモノは パーツで見るとそれを歌う者にとってとっつきにくい という定理が当てはまるのかもしれません。 
 
 「旋律以外歌いたくない」と打ちこんでこのブログにたどり着いたあなた。あなたにこそ、楽唱の楽しさを伝えたいなぁ。メロディが無くても 音を楽しむ方法 って存在するのですよぉ。んごパコ族にお招きしまぁす^0^v いつかどこかで かおるれくちゃ体験して下さいませね!


 さぁて 今日のクライネスは入学試験でどの大学も使用できず、池上線沿線の某小学校体育館です。お見舞い経由で行ってまいりまぁす。
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