【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

106.【和田賢秀の墓】

2012-03-05 | “訪れました“
【和田賢秀の墓】


“和田”ふつうに読めば”わだ”なのですが、この人の読み方はそうは
読まず”にぎた”または”みぎ(き)た” と読みます。名前は”けん
しゅう”または”かたひで”です。


和田賢秀は南北朝時代の武将で、楠木家と姻戚関係にあったとされて
います。賢秀は楠木正行の家臣として勇将としても知られていて・・
といろいろあるわけですが今回、この歯願大笑でご紹介するのは“歯”
に関係があるからなので、そちらの方を書きたいと思います。

それでは、和田賢秀の墓”についてです。

大阪の”四条畷の戦い”の際、楠木正成が討ち死にした後も、敵将の首を
討とうと孤軍奮闘していました。しかし力尽き敵方に首をはねられる事に
なりますが、首をはねられても敵将の首に噛みついたまま睨んで放さなか
ったといいます。そして敵将はそれが原因で死んだとされていて、その地
の人々は和田賢秀の事を歯噛様(はがみさま)といい、いつの間にか”歯
神様”というようになったのです。

実際に行ってみると・・・

対面2車線ですが、結構交通量の多い道沿いにいきなり森のようなところが
現れました。



近づいていくと、表はこんな感じでした。


中に入ると大きな大きな木が立っていてその真横にお墓がありました。


このような碑と説明板が建っていました。
 



お墓そのものはごく普通の感じでした。”源秀”と刻まれていますが、
このようにも言われていたようです。






・・・おまけ・・・

実はこの日はもう一か所交野市の 西念寺 “墾田地蔵石仏” という
ところを訪れたのです。 ”歯痛をはじめ何にでもよく効く・・・“と
いう事で行ってみましたが、何の歯にまつわる話も、説明も、石造等も
ありませんでした。 せっかく行ったので写真だけでも載せておきます!
写真くらい載せとかないと、お地蔵さんがスネはったらあかんので・・・。