島津家といえば薩摩、薩摩といえば明治維新と西郷隆盛が連想される。戦国時代に、勇猛果敢さで、その名を轟かせた薩摩兵。その兵士たちを縦横無尽に指揮し、九州を制覇した島津四兄弟。外様大名の雄として、徳川幕府も一目置いた薩摩藩は幕府を倒し明治維新を成し遂げる。その礎を築いた薩摩の太守・島津義弘は、戦国大名・島津貴久の次男であった。豊臣秀吉の九州制覇の直後、長男の義久は出家・隠居を余儀なくされる。兄に代わって薩摩の太守となった次男の義弘は、武将・戦略家としても優れていたが、政治的な大局観と、屈従を拒む強烈な意志を併せ持っていた。家臣を大切にした彼を、家臣たちも強く慕い、彼の指揮の下、果敢に戦いへと身を投じた。大友宗麟との合戦(耳川の戦い)においては、義弘は6千対6万という圧倒的な戦力差をはね返し、薩摩島津の名を天下に轟かせた。義弘はまた、慶長の役の際には、味方の退却を援けるため、最後まで半島南端に留まり、勢いに乗って押し寄せる明の大軍を迎え撃ち、7千の兵で20万の明と朝鮮軍を徹底的に打ち破り、「石曼子」(シーマンズ)と恐れられた。
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