むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

平塚城(東京都)

2022年02月11日 | 百名城以外の城
平塚城ひらつかじょう
別名豊島城
構造平山城
築城者豊島近義
築城年代平安時代末期
指定史跡
場所東京都北区上中里1-47-1 地図

平塚城は、豊島近義が城館を築いて後に石神井城へ移るまで本拠地とした城です。
奥州遠征の凱旋中に源義家が城に立ち寄り、この時近義に鎧を与えました。
源義家の死後、賜った鎧を城内に埋めて塚とし、城の鎮守として祀ったとされています。
その甲冑塚は高さがないことから平塚と呼ばれ、平塚城の語源ともなっています。



駐車場

有料ではありますが、平塚神社の駐車場があります。
手前にアルファベットの有料駐車スペースがありますが、神社参拝であれば無料で境内近くに置いくことが出来ます。
いずれにしても料金所窓口に一声かけるのが無難かも。


境内

平塚神社には、平安時代末期の英雄・源義家(八幡太郎)をはじめ、源義綱(賀茂次郎)、
源義光(新羅三郎)の三兄弟が祭神に祀られています。


石室神社(石神明神)

豊島氏の後、平塚城主となった蘓坂兵庫頭秀次は平塚明神を篤く祀った。
秀次はみまかりて社の外側に葬られるが、以降墳墓のあたりに毎年米が降るようになった。
村の長老は秀次の石墳を石神明神と崇めた。
石神明神は崇めれば必ず答えてくれ、水害や日照や疫病の除災に御神徳を顕したと伝えられる。



江戸時代、上中里村出身の針医で当道座検校でもあった山川城官貞久は、
三代将軍家光の病の治癒を平塚明神に祈願し、家光は程なく快復しました。
貞久は、お礼として自分の資金で平塚明神の社殿と別当である城官寺を再興し、
買った田地も城官寺に寄進しました。
そんな貞久の忠誠心に感激した家光は、貞久に250石の知行地を与え、
内50石を朱印地として平塚明神に寄進させたという逸話も残っています。


御料稲荷神社・大門先元稲荷神社

全国各地にある稲荷神社は3万とも4万とも言われていますが、
稲荷神社は「稲が生る」というのが語源であるという説(いろいろある)があるように
こちらの神様は御料と付くだけに、穀物の豊作を願って祀る神様ですね。


菅原神社(平塚天神社)

菅原神社と言えば、学問の神様と言われる菅原道真公を祀っている神社です。
菅原道真公とともに、大己貴命、豊島太郎近義命を合祀しています。


拝殿

私も、商売繁盛と子供の大学合格を祈願をしました。


社務所

平塚神社は、北区指定有形文化財の「紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」と、
古文書「平塚神社文書」が所蔵されています。
残念ながら、これらは一般公開されていないので見ることは出来ません。


蝉坂

「蝉坂」の名前の由来は、太田道灌が平塚城を攻めた際の「攻め坂」が転じたとの説があります。
蝉がいっぱいいたとかいう話ではなかったのですね(^^;

お城とはちょっと脱線してしまう話をします。
この日、稲荷神の御遣いであるお狐さまを見て来ていないのですが
この狐が咥えているもので授かるご利益が違うのだそうです。
巻物を咥えている狐は稲の豊作を願う神様ではなく、学業の神様なのだそうです。
今度から稲荷社を見たら意識して見てみたいと思います。


令和3年12月30日登城





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