むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

下仁田町本宿(群馬県)

2017年01月31日 06時57分30秒 | 関所・宿場
設置 文禄年間
廃止
場所 甘楽郡下仁田本宿
【 地図 】


中山道の本庄宿から藤岡宿に入り下仁田宿を経て軽井沢の追分宿までの間の街道を
姫街道」と呼びます。
女の人も容易に通れることから姫街道と名付けられました。



姫街道に従って国道254号線から逸れて軽井沢方面へ向かう道に進みます。


案内看板

本宿への入口には本宿や藤井関所(西牧関所)周辺の案内看板が掲げられています。


旧道を進むと道はとても狭く、周囲の土手は何段かになった石垣が至る所で見られます。


本宿

本宿には古い町並みが残されており、街道沿いの民家にはこうした立派な門や屋敷が残されています。


古月堂

明治24年創業の菓子処で地元に親しまれています。


本宿どうなつ

古月堂の看板商品でもある「本宿どうなつ」
中は白いんげん豆を使用した白あんの特製どうなつが人気です。


この街道は信州米の輸送路に使われており、佐久で収穫された米を
江戸まで運びました。

またこの地域では畑は多く見られますが水田は少ない。
稲が育たない地域だったため佐久の米に頼っていました。

信州米と砥石の集積場として栄えた宿場町です。


平成29年1月29日訪問


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

鷹ノ巣城(群馬県)

2017年01月30日 06時56分44秒 | 百名城以外の城
鷹ノ巣城】たかのすじょう
別名】御郭
構造】丘城
築城者】小幡三河守通家
築城年代】不明
指定史跡】―
場所】甘楽郡下仁田町吉崎 地図


上州には「鷹ノ巣城」というのは二か所存在し、ここ下仁田町と安中市板鼻にもあります。
安中の鷹ノ巣城は「板鼻城」と呼ばれこちらの方が城の規模が大きい。


鷹ノ巣城大崩山物見

大崩山の断崖上に物見があったとされる。
近くまで行くと岩盤で出来た絶壁が人を寄せ付けない迫力があり、とても登れる気がしない。


御郭

廃園となった下仁田保育園の側から車で入ると保育園隣に吉崎公園がある。
「御郭」と呼ばれる主郭と思われる場所です。



西の奥にはいろいろな碑が並んでいます。


二の郭
主郭と二の郭との区切りには石垣が積まれています。
石垣は東側の二の郭との区切りにも積まれています。


階段

北側からの入口は階段になっています。


千野孫十郎顕彰碑



忠魂碑



忠霊塔


青岩の碑


石垣
碑の裏側に行くと石垣が見られます。
しかし、これらの石垣はいつごろのものかわからず、築城時のものなのか畑との区切りの為に
住民が積んだものか定かではありません。


あずまや



大手道

東側にも入口がありますがこちらは軽自動車がやっとな細い舗装路です。



正直、あまり遺構らしい遺構が残っておらず公園も寂れ、隣の保育園も廃屋のようで
あまりおもしろ味のない城郭でした。



青岩公園

吉崎公園の近くに青岩公園があります。
青岩の石畳がみられる河原の公園です。
川辺に降りられたりきれいに整備された公園で、吉崎公園は寂れてしまっていますが
こちらの公園が今は地元住民の憩いの場になっています。



平成29年1月29日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

小泉城(群馬県)

2017年01月26日 07時33分22秒 | 百名城以外の城
小泉城こいずみじょう
別名
構造平城
築城者富岡直光
築城年代1489年(延徳元年)
指定史跡
場所邑楽郡大泉町城之内 地図

富岡氏の居城として6代に渡り栄えた城。
北条氏の傘下に入り現在の城の形が成形された。



大手橋

ここにパンフレットが入っているらしいが、この日は空っぽでした。残念・・。


駐車場

公園周囲にはいくつか駐車場があります。
この駐車場の隣にはトイレも完備されています。


水堀

鴨が沢山泳ぐ水堀が張り巡らされています。


本丸

本丸を囲う土塁はしっかり残されています。
隅には櫓台跡も見られる。

小泉城碑
本丸にある小泉城の碑



水堀を渡る橋を通り、二の丸へ。



城内にはいくつもの碑が存在していていろいろな種類の碑が移設されているようです。



他にも碑がいくつかあるのですが、どうやら住宅地の開発でいくつもの碑などが
この城跡の公園に集められたようです。


漆明地蔵尊

漆明地蔵尊は、太平洋戦争末期にB29爆撃機の空襲による中島飛行機の航空院生百余名の犠牲者の
命福を祈るため現在の大泉郵便局の敷地内に建立されたものをこの地に移したものである。

城之内古墳

この古墳は元々宅地内にあったものを発掘し保存のためにこの地に移したものである。
出土した遺物から7世紀後半頃(古墳時代後期)のものと考えられています。


城之内の百庚申

百庚申は小泉神社西側の小泉城土塁跡一帯に江戸中期から明治時代に造立され、現在の地に移されました。
数えていないですが、85基もあるらしい。


土塁

北側の土塁。
あちこちに残る土塁はとても良好で見事です。


鴨の移動風景

この城の堀には沢山の鴨が住んでいて堀から堀へ移動しています。
途中、移動先の堀を目指してこちらの動きを見ながらぞろぞろ歩いているところがおもしろくて
しばし観察しちゃいました。
また、頭の上の木の枝にも鴨がとまっていました。木にとまってる鴨をはじめて見ました。


三の丸

公園の門ですがこの先は中学校です。
ここも駐車場になっています。


中学と公園の境目にある二の丸と三の丸の間の土塁。




小動物園

公園内には遊具と小動物園があって、うさぎとにわとりとインコが居ました。
遊具は現在新しいものを建設中でした。



小泉神社

小泉神社は学問の神様、試験合格の神様である菅原道真公を祀った神社です。
試験の時はこちらの神社の合格御守りを持参されたし。だそうです。



城郭検定1級に望む時にはぜひお参りに来よう!
でもやっぱり実力かな・・・努力は必要ですね。




大泉にある小泉城。なんだかややこしい。
元々この地は小泉氏の「小泉」という地名だったそうですが大川村と小泉町が合併したことで
大泉という地名になったそうです。

平成29年1月14日登城


フジミ模型 建物 No.08 1/150 宇治平等院 鳳凰堂 2005年改修版
フジミ模型(FUJIMI)
フジミ模型(FUJIMI)
コメント (2)

蟻塚城(長野県)

2017年01月24日 05時42分05秒 | 百名城以外の城
蟻塚城(ありづかじょう)
別名 中の城(なかのじょう)
構造 山城
築城者 笠原氏
築城年代 14世紀(室町時代)
指定史跡 市指定史跡
場所 伊那市美篶笠原
【 地図 】

蟻塚城は本丸から袖郭まで7段で構成され雛段式に築かれています。
また、この城は中の城と呼ばれ前身に天神城、後ろに守屋山城(砦)の間に構築されています。
高遠城の西の守りを担っていたのではなかろうか。



伊那市美篶笠原バス停にある看板で位置関係を確認。



看板で見た辺りに行くと案内看板があります。
それに従い御射山神社目指して進みます。


下馬

神社の隣はかつてマレットゴルフ場だったようです。
現在は運営しているのかわからない状態ですが夏場はやっているのかな?


入口

神社入口に建てられた看板。
脇道から登城することも可能ですが、せっかくなので神社の表を通って登城します。


御射山神社入口

本丸に向かって段々になっているのが見えます。


三の郭


御射山神社本殿

ここが二の郭になります。
諏訪氏との関係が深く保科氏の時代は信仰が厚く、のちに鳥居氏の時代に代わると残念ながら信仰が薄れてしまったようです。
現在の社殿は昭和25年に焼失してしまい2年後に再建されたものです。



本丸は御射山神社裏に道がつづく。


井月の句碑
神社の裏手に回るとさすらいの俳人「井月」の俳句の句碑がありました。
井月は越後の武家の生まれで、安政5年頃上伊那各地を渡り歩き1700もの俳句を残した人物です。
ここから近い場所にお墓もあります。
興味のある方はそちらにも立ち寄ってみるのも良いのでは。



ここを登ると本丸です。


本丸


蟻塚城祉の碑

石碑の背後には屏風か着物の襟のような高い土塁があります。



あまり高い所に登った感覚は無いのですが、木が切ってあるのでとにかく見晴らしが良い。



高い土塁の裏側に続く砦への道。


守屋山城へ

守屋山城へ続く道



この先は道がよくわからないので迷子になりかねないのでここまで。




この城は私の父親に教えてもらったのですが、このような城跡を知っているとは思いもよらなかった。
松本城はもちろん、姫路城、名古屋城、鶴ヶ城、犬山城と子供の頃連れて行ってもらったことはありましたが
天守閣のあるものだけに興味があるのだと思っていたのですが、今になって城の話をすると以外にも土の城も
知っていたりしたことに驚きです。

次はどこを教えてもらえるのか楽しみです。


平成29年1月4日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

高見城(埼玉県)

2017年01月16日 07時21分25秒 | 百名城以外の城
高見城(たかみじょう)
別名 四津山城
構造 山城
築城者 石井政綱
築城年代 1180年(治承4年)
指定史跡
場所 比企郡小川町高見
【 地図 】


鉢形城と松山城の間にあり、交通路を抑える重要地点であった。
上杉軍の内乱により「高見原合戦」が繰り広げられた場所でもあります。



鳥居をくぐり参道を登って来るといよいよ城の入口です。



神社があるため、道は舗装されています。


腰郭

この先舗装が無い道は城郭へ。
急な階段を登ると直に本郭にある神社へと続いています。


女道

行きは舗装ではないが、「女道」と言われる比較的ゆるい山道を登って本郭を目指します。
体力に自信のある人は、「男道」の急な階段で本郭から攻めるのも良いでしょう。



女道を進むと本郭跡という看板に突き当たります。
向かって左に行くと本郭、右に行くと二、三の郭に行くことが出来ます。
ここで疑問。

本郭跡との表記がある看板ですが、馬出サイズの小さな高まりがあって
本郭にはとても見えない。のでこの看板はちょっと違うんじゃない?という気がします。
なので、神社のある本郭の看板で鳥瞰図を確認。
本郭の続き?でも堀切もあるし、段差もかなりあるし・・・空白の郭。
専門家ではないのでよく分からないのでこれはもう少し調べて分かったら訂正したいと
思います。


二の郭跡

本郭は後から行くことにしてまずは二の郭へ。



あまり広くない二の郭。
郭は土塁で囲まれています。


虎口

三の郭から二の郭への入口にある虎口。


堀切

二の郭と三の郭の間の堀切。土橋もあります。


三の郭跡

堀切を経て細長い帯郭のような三の郭に出ました。



樹木が無ければ眺めが良いと思われますが、残念ながら眺望は望めず。


堀切跡

本郭目指して引き返して来ました。
女道から来た分かれ道を過ぎると本郭と二の郭の間に堀切があります。



堀切を過ぎるともうひと登りで本郭に到着です。


本郭跡

眺めの良い神社に出ました!


四津山神社

この日は正月間も無いこともあって、地元のお年寄り二名と入口の階段ですれ違いました。
足が達者ではなさそうなのに時間をかけて昇り降りしたであろうと思われます。
よほど御利益あり!とみた。



ベンチがあり、眺めも良いのでここで一休み。
持参した塩おにぎりを食べるのが登城の醍醐味です


男道

こんなに急な階段を昇り降りして神社に参拝しに来るんですね。
いっぱい登城できるようにお願いしてきました(^_-)
男道の階段を下って帰路へ。


犬走り跡

城郭入口には普通の山道のような犬走りがあったんですね。



帰る頃には日が暮れ始め懐中電灯装備で登城したのですが懐中電灯の出番も無く
無事下山して来ました。



平成29年1月7日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

武蔵松山城(埼玉県)

2017年01月15日 14時26分35秒 | 百名城以外の城
武蔵松山城むさしまつやまじょう
別名
構造平山城
築城者上田友直
築城年代1399年(応永6年)
指定史跡国指定史跡
場所比企郡吉見町北吉見 地図
城郭検定出題あり


上杉軍と北条軍が幾度となく奪い合った武蔵の国、松山城。
上杉方であった上田氏が北条方に寝返りその後、争奪戦が繰り広げられた城である。


松山城入口

東の住宅地側から四ノ曲輪方面に入る入口があります。
武蔵松山城は民有地なので園路以外は立ち入らないように注意書きがあります。


四ノ曲輪

西側に堀があり、堀の側には土塁があります。



三ノ曲輪へ
この先は大堀があり土橋を渡り三ノ曲輪へと進みます。


三ノ曲輪




三ノ曲輪と二ノ曲輪の間にも堀切があり曲輪の区別がされています。


二ノ曲輪




神社跡

足元に何やら建物があったであろう形跡が…。
気になったので帰宅後ネットで調べたところ、10年以上前には
ここに護王神社が残されていたようである。


松山城祉碑

傾いて倒れそうな松山城祉碑を木が支えている光景。
近くまで行くことが出来なくなっています。



兵糧倉へ続く道


本曲輪

ここにはかつて八幡神社があっとようで基礎が残っています。



本曲輪ながら手水舎が残るかつての神社跡



神社へ向かう階段であったであろう道を下ると県道に向かって山道が続く。


松山城跡入口




県道に出て来ました。
ここに駐車場は無いので近くの吉見百穴の駐車場を利用するのが良いと思います。


松山城主上田氏のしつこいまでの争奪戦ストーリーはなかなかおもしろいものがある。
上杉軍や北条軍に城を奪われては奪い返し、その策略はタイミングを謀って
援軍を頼み奪い返す執念。
援軍の武田信玄が吉見百穴を見て思いついたという「モグラ攻め」。
城の横っ腹に穴を掘るというという効果のない戦法もおもしろい。

また、松山城で飼っていた犬を岩付城に走らせて援軍要請をしたいう話も残っている。

話は簡単に書いてしまったのですが、こんな話を調べてみると
人間味のある内容でおもしろいエピソードのある城です。




城跡ではないのですが、
すぐ近くに吉見百穴があるのでここも一緒に見て歩くのもお勧めです。

お堂

このお堂は、
豊臣秀吉の関東平定のため石田三成が松山城を落城させた際兵火に遭い
一度は焼失してしまったのですが、江戸時代に再建され現在に至る。
懸け造りで京都の清水寺と同じ造りであるとされています。




岩室観音

代々松山城主が信仰し、守って来ました。
また、ここにある観音様は八十八体あって、四国八十八ヶ所の寺の本尊を模していて
ここに居ながら四国八十八ヶ所をお遍路したことになるという。
なんと便利な場所なんでしょう!という所です。

でも実際、このあたり見渡すと岩場に穴が開いていて祀られている光景を見ると
なんとも不思議な(神秘的な)気分になります。

御利益がありそうな雰囲気がします。

平成29年1月7日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

松山陣屋(埼玉県)

2017年01月13日 07時53分00秒 | 陣屋・館
松山陣屋(まつやまじんや)
築城者 松平直克
築城年代 1867年(慶応3年)
指定史跡 
場所 東松山市
【 地図 】

幕末は幕府直轄として領有され、川越藩松平直克が管理していた。
松平氏は国替えにより姫路から前橋藩主となるが、度重なる利根川の氾濫により前橋城は損壊し
1767年に川越藩に移転した。
川越藩に移転して100年後、再建した前橋城に帰城し、この地は前橋藩の飛び地となった。
この飛び地を治める必要性から松山陣屋が誕生した。


松山陣屋跡碑と看板

碑にある「前橋藩」の文字に最初は???と思ったのですが看板を見て経緯が分かりました。
群馬、埼玉と隣り合わせで領地も増えたり減ったりしてきた経緯もあるのですが
県境でもないこの地に飛び地としてあったことを知らなかったのでひとつ学びました。



経緯と配置図があるのですが、周囲は松山市の中心部とあって遺構はほとんど残っておらず
庁舎や総合会館、銀行など建てられているので見て歩く場所がほとんどありませんでした。



鉄砲場跡碑

ここなら何か遺構が残されているのかな?と思って来て来ましたが
残念ながら石碑以外は何も発見できませんでした。


八幡神社

神社の裏の方も探してみたのですが鉄砲場なるものの跡は私の目からはみつかりませんでした。
案内看板では「道源松」というのもあったようですがみつかりませんでした。
土塁跡もあるのではと期待したのですが、地図上では名残がわかるのですが現地では
素人目にもはっきりこれとわかるような土塁はありませんでした。


松山市の中心部にある松山陣屋跡は、ここに陣屋が置かれていたことを
確認して次の城めぐりに向かうとします。



平成29年1月7日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

青鳥城(埼玉県)

2017年01月12日 07時40分39秒 | 百名城以外の城
青鳥城(おおどりじょう)
別名 石橋城
構造 平城
築城者 不明
築城年代 不明
指定史跡 
場所 東松山市石橋
【 地図 】


築城者、築城年代は不明ながら源頼朝が1183年に青鳥城に陣をはったという記録から
平安時代末期にはすでに築城されていたようです。


看板

二の郭にこの案内看板は掲げられています。
この場所はラブホテル前なのでちょっと居ずらい場所でした(^^;


虎口

民家の脇道を入るとすぐに本郭に到着します。
車はこの先に停めることができるのですが畑になっているようなのでちょっと遠慮気味に
置かせていただきました。
ちなみに私有地であることはご承知おきを。
(私有地の看板あり)


青鳥城祉碑

本郭入口に建てられた青鳥城祉碑


本郭

奥半分ほどは畑になっていて作物が植えられています。



青鳥城跡霊神碑

本郭南側に建てられている石碑。


土塁

本郭は土塁で守られています。周囲は堀も巡らされています。


天神社

西側の土塁の上に社があります。
反対側の東側の土塁の上にも社があります。これには何か意味があるのでしょうか。



土塁の上から本郭を見渡す。
広くて守りの堅い?良い畑です。


水堀

本郭東側にあるじめっとした感じの堀は、かつて水堀だったようです。


二の郭

本郭の北側に二の郭、三の郭と付け足すという造りであったようです。


こちらはざっくり散策して退散しました。



平成29年1月7日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

上ノ平城(長野県)

2017年01月11日 06時42分25秒 | 百名城以外の城
上ノ平城(うえのたいらじょう)
別名 丸山城(まるやまじょう)
構造 平山城
築城者 源為公
築城年代 平安時代末期
指定史跡 県指定史跡
場所 上伊那郡箕輪町東箕輪
【 地図 】


平安時代末期に源為公により築城され、鎌倉時代中期には諏訪氏同族の知久氏が治めることになるが、
知久氏が下伊那に移されると城は使われなくなったと考えられていたが、近年の発掘により
戦国時代も城は機能していたことが判明した。


三の堀

一の郭(主郭)と三の郭との間にある堀。
ここには案内看板も設置されており、ポストの中にはパンフレットが入っています。


本郭

広い芝生の広場があります。
眺めも良い。



奥の方にラベンダーが植えられています。


二の堀

一の郭より一段下がったところに堀があり、二の郭が広がります。


上ノ平城跡のサクラ

大きな桜の木がありました。
花が咲いたら見事なんだろうなあと想像できます。



御射山平方面に向かう道は眺めも良くあづまやと簡易トイレが設置されています。


五の堀

周囲は畑になっていますが遺構は良好な状態で残されています。



五の郭に残る堀も縦に横に残されています。



畑の間に残る堀。


四の郭


四の堀



ゑげ

「ゑげ」ってなんだろ?と思ったのですが、近くの日輪寺修法道場跡らしい。
どんな修行をしていたんでしょうね。





案内看板

北側の堀の中に掲げられた看板は古く、字が消えてしまいそうな状況です。
西側に道が整備されてそちらの道がメインになったことで新しく看板を設置して
こちら側はそのままになっているのでしょう。


入口看板

東側の入口看板。


発掘調査で土塁や建物礎石跡や生活の痕跡など出土されているそうですが、城としての機能は
短いのではなかろうか。



平成29年1月3日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

田中城(長野県)

2017年01月09日 06時55分50秒 | 百名城以外の城
田中城(たなかじょう)
別名
構造 平城
築城者 藤沢頼親
築城年代
場所 上伊那郡箕輪町三日町
【 地図 】


福与城主であった藤沢頼親が、福与城開城後三好氏を頼って京都に移る。
三好氏没落後この地に戻り「田中城」を築く。
近くを流れる天竜川を防備とした平城であった。


案内看板

福与城登城ついでに来てみて下さい。

田中城祉碑


土塁跡

石碑の下の土塁が唯一の遺構である。

よく買い物に行く「綿半スーパーセンター」の駐車場西側にあります。
こんなところに城があったの?と驚きました。
以前は田んぼしかない静かな農地だったのですが、バイパスが通り周囲に
いろいろな店が建ち並び町はどんどん様子が変わっています。

そんな中に地元の人も興味を示さず、でも買い物に来ると
お城があったのねくらいに素通りされる城跡です。

駐車場だけは綿半の駐車場をお借りすれば沢山あるし、トイレもお買い物も
出来ます。


平成29年1月3日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

福与城(長野県)

2017年01月08日 14時41分49秒 | 百名城以外の城
福与城ふくよじょう
別名箕輪城・鎌倉城
構造平山城
築城者藤沢頼親
築城年代1532年~1555年(天文年代)
指定史跡県指定史跡
場所上伊那郡箕輪町福与 地図


この城は藤沢氏の城館跡である。
武田晴信の伊那攻略にあい、藤沢権次郎を人質に出して和議を結んだが、
城は放火され藤沢氏は城を出たとされる。






こちらに駐車スペースあります。


福与城跡入口



縄張図

第一の郭、第二の郭、北郭、南郭と大きく4つの郭に分かれており、
南郭の先に屋敷が建ち並ぶ城郭となっている。


本城を望む

入口を進むと正面に見えて来るのが本城です。




大堀切があり、土橋のようになっているトンネルの上を通って本城へ登ります。
堀の中にトンネル…ちょっと遺構に似合わないし、でっかい土管のようでおかしいです(^^;


主郭




主郭北側は平地です。



主郭南側には石碑と社があります。




本郭と北城との間の堀。


北城

主郭から一段下がったところに北城が広がります。


二の郭

二の郭は姫屋敷になっていたらしい。


姫屋敷跡

こちらは眼下に箕輪町、奥に伊那谷が広がっているのが見渡せる。


トンネル

二の郭を進むと堀の中を通りトンネルを抜けて福与城入口に戻る。



鎌倉沢の谷側(東側)から見た一の郭。


ここに福与城跡があることは以前から知っていたのですが百名城をメインに城めぐりをしていたので
身近な城跡をいっぱい見逃していたなあと感じました。



平成29年1月3日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント

龍ヶ崎城(長野県)

2017年01月05日 07時28分06秒 | 百名城以外の城
龍ヶ崎城(りゅうがさきじょう)
別名 竜ヶ崎城(りゅうがさきじょう)
構造 山城
築城者 諏訪継宗
築城年代 文明19年頃
場所 上伊那郡辰野町伊那富
<地図>


城山登山口

お墓の横にある登山口。土手を登る小道を一段登ると池上寺の裏手にある龍ヶ崎公園に出ます。


案内図

登山口にある龍ヶ崎城の案内看板にある図。
いろいろな石物群を見ながら細い山道を登ります。


龍ヶ崎公園

まだあまり高い位置ではないのですが眺めが良い公園に出ます。


御社宮司社跡の碑

龍ヶ崎公園内にある石碑。
諏訪大社上社の支配下であったため、諏訪大社上社の御神体と言われる守屋山がよく見える龍ヶ崎の池に
社殿を建てて御社宮司神を祀ったものと思われている。


杖(スキーストック)

これを杖にして登るのかあ…と思うとちょっと険しさを感じる。


龍ヶ崎観音堂

登り始めてすぐにある観音堂。
馬頭観世音菩薩が祀られていて、この地で龍馬を放牧し献上していたことから地名にもなり
村内で多くの馬を飼育していた。
死んだ馬の供養のため建てられたらしい。

龍ヶ崎の馬頭観世音群

平安時代から「宮所の牧」とされ、朝廷に馬を献上した地で
馬との関わりが深い地域である。


石憧

六地蔵が祀られている
元々別の場所にあったものをこの地に移したようである。





くねくねと曲がりながら細道を登ります。
足元は松の葉がいっぱいで滑りやすい。


七まがりの石造物群

龍ヶ崎公園と城山山頂とのほぼ中間にあたり、馬頭観音など26基の石造物があります。
登り始めて「まだ半分かあ」とちょっとがっかりした場所。



このような細道がずっと山頂まで続きます。


三角点

三角地点まで登って来ました。
木のベンチがあって、眺めも良くなってきます。


木戸跡

まだまだ続く山道。
このあたりには木戸があったらしい。
この辺まで来ると空気も冷たく日陰には雪が残っています。



空が見えて山頂が近い予感がしてきました。
このあたりには堀切が見られるようになってきます。


三の郭

龍ヶ崎城跡の看板があり、小さな郭や腰郭が見られる。


木花開耶姫命

二の郭にあるこんもりとした高まりにこのような碑があります。
高まりの真ん中はお椀のように凹んでいます。



二の郭の先に堀切があり、土橋を渡り主郭に登ります。


堀切と土橋

主郭から二の郭を見下すと堀切と土橋が良く確認できます。


主郭

とても良い眺めです。
郭の周りは土塁があり、お皿のような郭になっています。


土塁

襟のように造られた土塁。
この先にも郭が続いているようですが、ここの大堀切の先は紐が張ってあったりして
あまり整備もされていないようなので主郭までで引き返すことにします。



主郭から登って来た方向を眺めると、馬出しのような格好の二の郭が
眼下に見える。


平成29年1月3日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
コメント