むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

八幡山砦(群馬県)

2018年11月29日 15時07分15秒 | 百名城以外の城
八幡山砦はちまんやまとりで
別名上の城・中城
構造
築城者小幡氏
築城年代不明
指定史跡
場所甘楽郡甘楽町小幡 地図

小幡にある八幡神社の背後に聳える山頂は眺めが良く、周囲の城址をぐるりと一望出来ます。
砦は公園化されていて展望台もあり、そこからの眺めは妙義山や群馬サファリパークも望めます。


案内看板と駐車場

八幡宮を目指して行くと駐車場があるのでここで案内看板を確認して
八幡宮にお参りしながら八幡山の山頂を目指すと良いです。
登山道は幾つかあるので案内看板の地図で確認して
好きなコースを選ぶと良いでしょう。


小幡八幡宮

小幡陣屋の鬼門封じのために江戸時代初期に富岡市妙義町高田から
本殿と御神体とも移し祀られています。
毎週日曜日にはご朱印が用意されています。



さっそく登って行きましょう!


本殿

天井には絵が描かれているので覗いてみてください。



この天井画は狩野派の流れをくむ狩野探雲(佐藤探雲)が江戸時代中期に描いています。
中央の龍は本殿に向かい邪気をはらい、龍を囲むように花鳥、人物、動物類が描かれています。



八幡宮でお参りを済ませ、いざ頂上を目指します。



ここで危うくマムシを踏むところでした
しばし、マムシと睨み合い…
マムシが草むらに去ったので再び頂上目指して登ります。


八幡山夕陽ヶ丘公園

頂上に到着しました。


展望台

頂場には展望台があります。
以前から何かあるなと思って登ってみました。
砦か物見になりそうな場所だなあと思っていたらやはり砦として使われていました。


展望台からの眺め

高速道路の向こうには富岡市が広がります。


妙義山

西には妙義山が見えます。


国峰城

南側の眼下には小幡陣屋、顔を上げれば国峰城。


一郷山城

右は八束城、奥には牛伏山が見え、そこには一郷山城があります。
更に右には写ってないけど天引城も。


麻場城

東には麻場城や白倉城と周囲には沢山の城址を見渡すことが出来ます。
見渡すというよりは囲まれてる感がある気がします^_^;



南側へ降りる道です。
こちらは軽自動車であれば通れそうな比較的広い道になっています。



今宮神社付近に出て来ました。



広場になってますが、なんでしょう?
このまま県道204号線へ下り小幡陣屋の大手門跡の方へ向かいます。


甘楽町歴史民俗資料館(別館)

甘楽町歴史民俗資料館(別館)に、はじめて立ち寄ってみました。
別館の方は展示物は少ないですが無料で見学出来ます。


一階

旧有賀茶屋が、町の歴史民俗資料館別館として公開しています。
中は自由に見学することが出来ます。


二階

明治期に建てられたという蔵で梁がかなり低い位置にあるので
頭をぶつけない様に。
でも、これが歴史のある建物であることの象徴でもあります。


養蚕農家群の街並み

明治時代から昭和40年頃まで雄川沿いに立ち並ぶ養蚕農家の町並みが
今でもその風情を残しタイムスリップしたかのような気分になります。



以前に茶屋の二階で武者行列を観ながらお抹茶を頂いた記憶があります。


雄川堰(大堰)

歴史は古く、生活用水として使用され、下流では水田の水として使用されていました。
蚕を飼育するための竹の籠を洗ったりしていました。



道路の下にも人が入れそうな溝があります。
これはいったいなんでしょう?とても気になります。


芋車

江戸時代から雄川の水流を利用して里芋やじゃが芋、人参などの野菜を洗っていました。


井戸と道祖神

五穀豊穣・縁結び・子宝・健康・旅の安全を願い、疫病神、貧乏神を立ち防ぐため
祀られてきた道祖神。


小幡八幡宮

小幡八幡宮から登り、砦から南に下り、雄川沿いを散策しながら
一周して小幡八幡宮に戻って来ました。


おみくじ

ここでおみくじを引いてみました。結果は…ナイショ。


狛犬

かわいい狛犬です。
おみくじもこの狛犬のデザインのもの「狛くじ」というのをを引いてみました。


八幡山砦の散策に行き、一周して天気が良かったのでぶらぶらと城下町の散策もしてまいりました。
春の桜が咲く時期はとても賑わっている場所です。
たまにはのんびりこんな散歩も良いものです。



平成29年4月16日訪問
平成30年10月20日再訪問
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駒場城(長野県)

2018年11月26日 08時02分16秒 | 百名城以外の城
駒場城こまんばじょう
別名阿智城
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡村指定史跡
場所下伊那郡阿智村駒場 地図

駒場は東山道と三州街道と下条海道が合流する交通の要所で、
戦国時代には織田・徳川軍と武田軍の争いの通過点ともなった場所です。
また、駒場の山中で病に倒れた武田信玄をこっそり火葬したという長岳寺があります。



阿智公園目指して進みます。
グーグルマップに案内してもらうと阿知川の対岸に連れて行かれてしまうので
自分で地図を見て阿智公園までの道を確認しましょう。
※阿知川沿いの細い道を案内されたらNGです。



所々にある道案内の看板に従って進みます。



分かれ道には案内看板が出ています。
矢印の方向に進みます。
ここより先は道が狭くなって路面も荒れて来ます。
ジムニーやパジェロミニ向きの道です。



いよいよ郭内に突入です。このすぐ先が終点の駐車スペースになります。


駐車場

道幅いっぱい、小枝いっぱい、路面ガタガタのダートを何とか終点まで登って来ました。
予定していた登城ではなかったので、このような狭くて荒れた道を突き進むことに
なるとは…


城址碑と池

もともと井戸があったのか公園化する時に造られた池なのか?わかりません。


眺望

眺めが良く眼下には阿智村、遠くには伊那谷が見渡せます。


阿智公園入口

時間も無いので、小走りに急いで主郭まで散策。


あずまやとベンチ

少し登った所に眺望の良い場所にベンチとあずまやがあります。


眺望

ベンチの場所からの眺望です。
左下には中央高速道路と国道153号線が見えます。
そしてここから見える山々には沢山の城址があります!


主郭虎口

ここを登りきるといよいよ主郭です。


主郭

城址によくある遊具があります。
もう遊ばれている形跡はありません。
それはここに来るまでの道のりが既に物語っています。



これだけ眺めの良い場所なので、ここまでの道の整備がちゃんと出来ていれば
憩いの場所となっていたであろうに…残念な公園です。


竪堀

主郭から二の郭との間の堀切を覗いているのですが
藪になっているのでよく見えません。
ちなみに目視ではかなりはっきりした竪堀が確認できました。


腰郭

また、もと来た道を駐車場に向かって引き返して来ました。
主郭から駐車場までの間にはいくつかの腰郭があります。



振り返ってみると腰郭と腰郭の間を廻り込むように道が付けられています。
もしかするとこの道も腰郭のひとつだったもしれません。


看板

駐車場から東側の郭へと登ってみました。



国道153号線を飯田市方面に向かって走っているときに
この看板が目にとまり、思いつきで寄り道した次第です。
ライトアップの設備もあって夜はこの「こまんば城址」の看板が浮かび上がっているのでしょうか。


秋葉社

この郭には神社が祀られています。



さらに東側の下にある腰郭にもあずまやが見えます。


本来の目的は苗木城の登城と、帰りに飯田城へ行くことでした。
苗木城の帰りに清内路峠を抜けて阿智村に入ったところで山の上に「こまんば城址」の看板が!
公園ならばすぐ行けるだろうなんて思って向ってみたら…
とても公園への道とは思えないような狭くて荒れた道でした。
立派そうに見えたのに…誰でも行ける公園ではなく、しかっり山城です。
くれぐれも、公園ではなくガチ山城のつもりで登城しましょう。


平成30年11月11日登城


歩いて旅する中山道 六十九次の宿場&街道歩きを楽しむ
ウエスト・パブリッシング
山と渓谷社
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西平城(長野県)

2018年11月24日 13時46分53秒 | 百名城以外の城
西平城にしだいらじょう
別名
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所飯田市山本 地図

いつ、だれが築城したかは定かではありません。
しかしこの辺りは松尾小笠原氏が支配していたことが知られています。
そのことから久米ヶ城の支城ではないかと推定されるも、文献なども残っていないため
確かなことは解っていません。


入口

浄玄寺の入り口に西平城の登り口の案内看板があります。


浄玄寺

こちらの駐車場をお借りして周辺を散策しました。


山門

浄玄寺の山門は、1758年(宝歴8)年に建立された赤門で、
清内路から切り出した木材を2年がかりで運び出して建立しました。
竜・象・獅子などの彫刻が特徴で彩色造りの山門は全国的にも珍しいと云われています。
付いてる動物たちが可愛く見えるのは気のせいか・・・^_^;


尾上松助の墓

松助は江戸歌舞伎役者で、三代目菊五郎の次男として生まれ
三代目松助を継承した人物です。
松助一座が山本に来賓した際、この時の舞台上で亡くなりました。
安政四年五月十九日のことでした。享年四十五歳。
この台座には当時の関係者や役者の名前が刻まれています。



浄玄寺の中を歩いて登り口まで行けるルートと
お寺を通らず敷地外からアクセスするルートがありました。


登り口

浄玄寺の裏にある墓地にこの案内看板があります。



この先を登って行くと西平城へたどり着くようです。


最近、群馬県富岡市の西平城を検索していたら、よく見かけた長野県飯田市の西平城。
たまたま通りすがったので寄り道してみました。
登り口をちょっと覗いてみましたが、まだ藪のようです。
時間も無かったので登城は見送りです。
ということで、例によって入口までの紹介となりました。



平成30年11月11日入口まで


信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る
宮坂 武男
戎光祥出版
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岩櫃城(群馬県)

2018年11月23日 04時55分29秒 | 続百名城
岩櫃城いわびつじょう
別名吾妻城
構造山城
築城者斎藤憲行
築城年代1405年(応永12年)
指定史跡
場所吾妻郡東吾妻町原町 地図
スタンプ設置場所平沢登山口観光案内所(4月~11月)・東吾妻町観光案内所(12月~3月)

1521年~1528年(大永年間)には斎藤氏が城主となり吾妻一帯を支配していました。
甲斐の武田信玄は真田幸隆に岩櫃城攻撃を命じるも、二度失敗。
その後1565年(永禄8年)真田幸隆は得意とする調略と奇襲で落し、
以後上田城、沼田城の支城として真田氏の拠点となります。


岩櫃山

大河ドラマ「真田丸」オープニングでCG編集されて出てくる岩櫃山です。
てっぺんにお城や手前に滝などはありませんが密岩神社からの岩櫃山は迫力あります。


駐車場

近くにある駐車場は思っていたより広く50台ほどの駐車スペースがあります。


平沢登山口観光案内所

今回は続百名城のスタンプと、この観光案内所を見に来ました。


攻城団団員の皆さん必見!

入口のガチャです。
実はここに攻城団の御当地限定バッチが売られているのです!
お城EXPO2017の上州真田三名城のブースでプレゼントされていたものと同じです。
「続日本100名城 岩櫃城 選定記念バッチ」とされていますが、これは攻城団の御当地限定バッチなんです。
※現在品切れのため入荷待ち状態です。
攻城団でも販売していない、ここに来ないと入手出来ないものです。
そして私も着けている山城登城にはお供の「真田紐の熊鈴」もお勧めです。






模型

この模型がなかなか良い出来で、平沢登山口観光案内所の方もこの模型を使って説明して
くださいました。






この模型もお城EXPO2017の上州真田三名城のブースで展示されていたものです。


スタンプ設置場所

続日本100名城のスタンプがあります。



ちなみに冬季はこちらの観光案内所は閉鎖されています。




いざ、岩櫃城へ。
こちらは平沢登山口入口からの登城です。




入口には休憩所があり、パンフレットと自動販売機があります。
ここでガイドマップと飲み物を揃えていざ、出陣!



休憩所

休憩所には歴代城主が掲げられています。ちなみに縄張り図は探してみましたが見当たりませんでした(^^;



中城

登り始めてまず開けた所に見えて来るのは中城。


案内看板

中城を過ぎると、本丸と殿邸との分かれ道です。
ここは案内に従って登りの道を選びます。



本丸目指して坂道を登ります。
道は細いが人通りはあるので避け合います。



看板に従いひたすら登り続けると本丸の下まで来ました。
ここまで来ると結構疲れます。



丁度良いところにベンチがあるのでここで一休み。
本丸を下から見上げたところです。



ここを登ると右手に二ノ丸が見えて来ます。


二ノ丸跡  

三角形の二の丸はそれほど広くありません。



二の丸から見た折れのある竪堀。


大堀切

二の丸から本丸へ。


竪堀

本丸から竪堀を見下ろせるのですが、なかなかいい竪堀です。
誰が見てもしっかり分かる堀具合です。



いよいよ、本丸跡に到着。
真田丸の影響か、結構人が居ました。


東屋

休憩用の東屋もあるのでおにぎりくらい持って来るんだったなあと後悔。
ここには登城記念に一言書き込めるノートが置いてあるので早速一筆。


櫓台跡

主郭で一番高くなっていて、眺めも良く周囲を観察するための場所だったようです。


本丸土塁

登って歩ける武者走り状の土塁。


北枡形虎口

搦手道から本丸へ入る枡形の虎口です。
本丸を挟んで南側に大手道からの南枡形虎口が配されています。


四合目

城址は岩櫃山の四合目の高さに位置しています。


五合目

今回は、五合目まで足を延してみました。
この辺りも城としての手が入っているように見受けられます。



自然を利用した堀切のようです。
ここより北側の一段下には意図的に切ったと思われる堀切も見られます。



ガイドさんによると、発掘調査によりこの付近から石垣が見つかったとのことです。
その後武田氏によって改修されたものと見られています。


腰曲輪

南枡形虎口と二ノ丸から本丸に上る通路で本丸南面を守る郭とされています。


南枡形虎口

腰曲輪を通り南枡形虎口を抜けて本丸に入るのが本来のルートだったようです。


殿屋敷跡

南に少し下ったところに殿屋敷跡があります。



屋敷跡は現在畑となっています。


東吾妻町観光協会



岩櫃城バッチ

ガチャのカプセルから外した状態です。


今回一部内容の更新をしました。
NHKの大河ドラマ「真田丸」効果もあって知名度が上がり、続百名城に選定され
更にこの地を訪れる人が増えました。
途中の道にも案内看板が整備されたりと観光に力を入れている様子がよく表れています。



平成28年2月28日登城
平成30年5月19日再登城
平成30年11月18日再登城



続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス
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横尾八幡城(群馬県)

2018年11月21日 07時55分28秒 | 百名城以外の城
横尾八幡城よこおはちまんじょう
別名
構造山城
築城者尻高三河守
築城年代1521年~1528年(大永年間)
指定史跡町指定史跡 
場所吾妻郡中之条町横尾 地図
車サイズ軽〇 普通△ 大型☓

横尾八幡城は尻高三河守によって築城され、後に塩原源太左衛門が城代となり
1580年(天正8年)真田昌幸の吾妻進出によって富沢豊前守が配されました。
昌幸は長男信之に上州利根・吾妻の二郡の支配を命じ、北条氏の攻撃に備えさせました。
横尾八幡城に吾妻の武士63名を番衆とし、二組に分けて交代で番をさせ
白井城から北条軍が攻めて来た時も番頭以下の将兵が固く守り、これを退けたとされています。



入口

県道231号線から入るルートです。
入口に案内看板があるので入口としては判りやすいと思います。


案内看板

だいぶ錆びて読みずらいですが案内看板が設置されています。
大手道の方は集落から登ることになるので車で来た場合はこちらの道から
主郭の近くまで行くことが出来ます。


縄張図

腰郭が主郭を取り囲んでいます。


三叉路

突き当たりを看板に従い左に曲がります。



道幅は狭く、横や上から枝が迫って来ているので車は傷だらけになることを
覚悟して下さい。



駐車場は無いですがここに2台ほど駐車出来るスペースがあります。
そしてこの先は大手道で案内看板脇から郭に入れます。


案内看板

この先は細長く主郭を囲む三の郭です。


三の郭

人が通るだけの小道が付けられていますが、周囲は草や篠が生い茂り
郭の様子はわかりません。


二の郭

二の郭に出ましたが、やはり人が通る道以外はこのような藪で
郭の様子はわかりません。


虎口(大手)

主郭入口部にあたる虎口にやって来ました。


あずまや

虎口を過ぎると拓けた郭があります。
ここが主郭で、入ってすぐにあずまやがあります。


主郭

城址である標柱と石仏があります。


土塁

2m位ありそうな見事な土塁。
主郭を囲むように土盛されています。


虎口

南側に付けられた虎口。
この虎口は後世に造られたもので本来はここに出入り口も小道もなかったものと思われます。
ちなみに搦め手側の虎口は東側にあるはずなのですが…藪に突入するのは避けて
歩きやすいこちらへとやって来ました。



この笹藪の先に井戸跡があるらしいのですが踏み入ることは断念。



ここを下ると大手道に出ます。


大手道

この先を下ると集落へと繋がる大手道です。
そして両脇には帯郭のような墓地が並んでいます。



点々と続く墓地に大手道から主郭への虎口があります。
これが本来の大手口となります。




そして一周してきました。
この先に先程車を置いた案内看板の前に出ます。



帰り道、〆は紅葉で。
でも余所見して脱輪しないようにね^^;


主郭以外はほとんど笹藪で入って行けないので実際の郭の容姿はわかりませんでした。
今回単身で乗り込み、猪の足跡もあったので熊鈴をガンガン鳴らしながら、大きな独りごとをしやべりながら
恐る恐るの登城でしたが、大手道に出て見たらお墓、お墓、お墓…。
な~んだ、意外と人里に近かったんじゃん!とホッとしました。^^;
お墓を見てホッとするってどういう心境?と自問自答してしまいました。
(死んだ人より熊や猪の方が怖いってことです。



平成30年11月18日登城



真田信之 真田家を継いだ男の半生 (角川選書)
黒田 基樹
KADOKAWA/角川学芸出版
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桃瀬の水牢(群馬県)

2018年11月19日 05時30分42秒 | その他史跡
桃瀬の水牢ももせのみずろう
別名
構造水牢
設置者斎藤氏
設置年代1521年~1528年(大永年間)
指定史跡町指定史跡
場所吾妻郡中之条町横尾1648 地図

水牢は、人を水の中に入れる水責めの一種で主に年貢の取り立てに
使われたといわれています。
水牢跡は沼田藩の中でも吾妻東部だけに残されている遺構で
全部で八ヶ所あったと伝わり、この地が最も原型をとどめている場所です。
吾妻東部にしか見られないものなので、中世における岩櫃城主斉藤越前守(岩下衆)が使ったものと推定され、
それを近世になり真田伊賀守も使っただろうと考えられている数少ない貴重な遺跡です。



水牢

12m四方に粗朶(そだ)をゆい、木戸を設け、周囲は石垣で、
女は水を70cm位にし、子供のある者は背負わせ単衣(ひとえ)にさせ
5人ぐらいを袖に縄を通してつなぎ入れたといわれます。



男は首の浸かるまで入れたといい、体温低下により死んだ者もいたという。
この悲惨な姿を見て、人々にすがり年貢を納めたのだといわれている。


入口

ロマンチック街道を走っていると、このような看板が目にとまり急遽寄り道しました。


横尾八幡城から岩櫃城へ移動中に六文銭の看板が目に飛び込み、Uターンして確認。
行ってみると…なんとも悲劇な現場に来てしまいました。
しかもこの付近だけにあった話とあって、この地に住んでいた人たちはなんとかわいそうな…。
なんともひどい話だ。
本当に真田も便乗したのか定かじゃないが
生活用水に使ったという平和な話であってほしいと個人的に思ってしまいます。


平成30年11月18日訪問


戦国無双 ~真田丸~ - Switch
コーエーテクモゲームス
コーエーテクモゲームス
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落合五郎城(岐阜県)

2018年11月17日 07時44分26秒 | 百名城以外の城
おちあいごろうじょう
別名美濃落合城・落合城・落合五郎館
構造平山城
築城者落合五郎兼行
築城年代平安時代末期
指定史跡
場所中津川市落合 地図

平安時代の終わり頃、木曽義仲の家来であった落合五郎兼行が
美濃口の押えとしてこの地に館を構えました。
しかしここは推定の地で、発掘調査では確かなものがみつかっていません。


案内看板

おがらん公園入口にある案内看板。


鳥居

おがらん四社の扁額を掲げた鳥居。
境内には愛宕神社・山之神神社・天神社・落合五郎兼行神社の四社が祀られています。


お地蔵様

鳥居をくぐって右手に祠とお地蔵様がいらっしゃいます。


移築記念碑

おがらん四社の移築について記された石碑です。
四社のそれぞれの神様といつごろのものかが記されていてここにある由来も記されています。


主郭

神社の敷地を除いた部分がおがらん公園となっています。


城址碑と石灯篭

境内には寛延年間に建立された石灯籠と兼行顕彰碑があります。


おがらん公園集会所

集会所というだけに外にトイレがあったり、車での乗り入れも
出来そうですが、乗り入れる場所の傾斜があるので車高の低い車は底を擦るかも。


神社

二社違う形の社が構えられています。
四社とあるわりには周囲を見渡しても二社しか見当たりません。


眺望

畑の向こうに与坂の集落が見えます。



眼下には国道19号線、奥には中央自動車道が見えます。



近くには中山道の落合宿がある。
時間の都合で散策は出来なかったものの、この城址の散策より周囲の街道沿いの歴史を
訪ね歩く方がずっとおもしろそうです。
今度はぜひ宿場で歴史探訪して観たいです。


平成30年11月11日登城


中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
岸本 豊(中山道69次資料館長)
信濃毎日新聞社
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旧松葉家(岐阜県)

2018年11月14日 07時33分46秒 | その他史跡
旧松葉家きゅうまつばけ
別名
構造古民家
建築者松葉氏
建築年代明治初期
指定史跡県重要有形文化財
場所飛騨市神岡町城ケ丘1−1 地図

松葉家は手斧梁14本からなる小屋組で造られた古民家で
明治元年に神岡町割石地区に移築された建物で岐阜県の重要有形文化財に指定されています。


神岡城内

旧松葉家は神岡城内に移築、展示されています。
もともと萱葺屋根だったのが、現代の建築基準法により移築の際
萱葺屋根から銅板葺屋根に変わりました。


玄関

神岡城、旧松葉家住宅、鉱山資料館の3施設共通入場券で
こちらも見学できます。
さっそく中に入ってみましょう!


居間

吹き抜け天井の囲炉裏のある居間。
囲炉裏の前に座ってみると…尻に根が生えてしまいます^^;
やはり日本家屋は落ち着きます。


客間

客間には火鉢があります。


仏間

とても大きくて立派な仏壇があります。
そう言えば我が家の実家の仏壇も飛騨で造られたものだったことを思い出しました。
もちろん、ここまで立派な大きさではないもののかなりの上等品を選んでいるので
このサイズ、この細工から見ると相当のお値段がしたものだと思われます。


階段

手摺は木のそのままの形を活かして作られています。
とても味のある手摺です。


二階

二階、三階は養蚕用に配置された造りになっています。
曲線材を使用した手斧梁や柱が使用されているのが古民家らしく、見所でもあります。
二階は梁が低いのでうっかり頭をぶつけないように注意して下さいね。


三階

養蚕の道具や農家に欠かせない道具が数多く並べられています。



屋根の外見こそは銅板葺きですが、内部は合掌造りの当時のまま再現されています。


天井

屋根の内側は旧茅葺の手法である「マタダテ」部材の縄搦みが見られます。


玄関

ぐるっと三階まで廻って戻って来ました。
ふと下駄箱を見ると下駄がいっぱい並んでいます。
これも展示品?体験してもいいのかな?


つくばい

茶室の庭の低い手水鉢。


茶室の庭

客間の障子戸を開け、この庭を眺めながらお茶を飲んだらほっこりしそうです。
欲を言うともう少し大きいお庭がいいけどそれはちょっと贅沢ですよね^^;



明治から昭和にかけての懐かしいような品々が展示された高原郷土館は飛騨地方のくらしの様子や
江戸時代からの民具や農具の展示とともに地元の方々のくらしの知恵がいっぱい詰まった
温か味のある住宅でした。
飛騨ならではの豊富な木材を自然のままに使用された造りを堪能あれ。
神岡城に訪れた際はぜひこちらにも立ち寄って懐かしさを味わってみて下さい。



平成30年10月14日訪問


民家再生の設計手法
降幡 広信
彰国社
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愛宕山城(群馬県)

2018年11月12日 08時08分55秒 | 百名城以外の城
愛宕山城あたごやまじょう
別名碓氷城
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所安中市松井田町坂本 地図

愛宕山城は江戸時代に愛宕社が歓請され、愛宕山と呼ばれるようになったのが由来です。
武田勢が上州侵攻のため構築したものを1582年(天正10年)北条氏によって改修され
その後、松井田城攻撃に備え大道寺氏によって手が加えられたものと考えられます。


入口

国道18号線沿いにあるこのあづまやが目印です。
この山の中の道が旧中山道で、旧中山道をあるて行くと城址への入口があります。



このような山道をどんどん進みます。



旧中山道とあって、普通に人とすれ違ったりして
以外に?にぎやかな山道です。



ちょっと広くなったこの場所には、外国人女性が休憩していました。
山城に行くのに山の中でこんなに人に会うとは思ってもみませんでした^^;



堀切の底を歩いているかのような旧中山道。
真上は城址、なんともワクワクしてくる道です。



堂峰番所の案内看板が右手に見えて来ました。


堂峰番所跡

この場所に住宅が二軒もあったとは…どこに?と見渡すも建物を建てられそうなスペースは
見あたらないのですが、城址側にでもあったのでしょうか…。


石垣

関門の土台となった石垣が道の両側に残っています。



この先はまだまだ旧中山道が続きますが、ここから道を逸れて
愛宕山に登ります。



あまり人が歩いていないのでクモの巣を払いながら小道を主郭目指して進みます。



なんとなく道であることがわかります。
周囲は平な郭がみえますが、藪です。


三の郭

平場の奥に低いですが、なんとなく土塁のような高まりも確認出来ます。



ちょっと前かがみなりながら、小枝のトンネルのような道を進んで行きます。
一見奇麗にみえる木々のトンネルですが、クモの巣のトンネルとも言えます^^;


二の郭

ここもやはり小藪で郭内の平場に踏み入れる気持ちにはなれず、眺めるのみ。



正面に見える土塁が主郭を囲む土塁が見えてきました。
ここが大手であり、主郭への虎口になります。


堀切

主郭を取り巻く堀切です。


主郭

土塁を登り、主郭の中の様子をみようとしたのですが、完全な藪で入って行けません!
ある意味すごい要害です!



手をのばして主郭内を撮影してみたのですがこんな状態です。



堀切を辿って南西へ廻ってみることに。


馬出

とりあえず馬出まできてみました。
写真ではわかりずらいのですが、堀と土塁と郭の形状から馬出と判別出来ます。



更に堀底に沿って道は先に延びています。
これが本来愛宕社への参道として使われていた道と思われます。


…と、ここで杉の枝(1m程)を片足で踏んで、その枝で片足が引っ掛かり
転んでしまいました。
しかし、これが1回では済まず同じことを2回やって
2回目に転んだ時は派手に転んでしまいました。
擦り傷と打ちみで涙を堪えて退城



旧中山道の堂峰番所跡まで戻って来ました。
ここで愛宕山城からの小道と旧中山道と合流します。


山ではケガをしないように注意しているつもりなのですが平坦な場所で転ぶとは
ショックです…足が上がらないお年頃なの?と。
この後は足が痛いのと心が痛いのとで坂本城の登城は断念して帰りました。


平成30年10月28日登城


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坂本城(群馬県)

2018年11月09日 08時02分57秒 | 百名城以外の城
坂本城さかもとじょう
別名城の峰城
構造山城
築城者甘楽大夫朝政
築城年代不明
指定史跡
場所 地図

碓氷湖の南に虚空蔵山狼煙台を眼下に築かれた坂本城は、中山道、東山道守るための位置にあり、
愛宕山城ともに松井田城の西の抑えとして重要な位置にありました。


林道赤沢線

この道を進むと坂本城の大手道へと繋がる入口があります。


城山橋

この橋が見えて来たら近いです。



この橋の先の右側に鉄塔があります。


鉄塔

赤と白のこの鉄塔が見えて来たらすぐです。
この鉄塔を過ぎたら右側を注意して見て行って下さい。
次の写真の場所が登り口です。


入口

ここからの道が大手道らしい。


ルートは2本あるらしく、ダム側の赤い橋「ほほえみ橋」からの登城口と
宮坂武男氏が紹介している東麓の城山橋の先を登るルートとあるようなので
登城口を探しに行って来ました。
こちらも、草木が枯れるのを待って登城してみたいと思います。


平成30年10月28日入口まで
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西平城(群馬県)

2018年11月08日 05時09分14秒 | 百名城以外の城
西平城にしだいらじょう
別名大島上城
構造山城
築城者不明
築城年代室町時代
指定史跡
場所富岡市野上西平 地図
小幡氏の関連城と思われる西平城は別名大島上城と呼ばれ、西平城に対して
小幡氏に仕える家臣の小間氏の城である大島下城が北の丘陵地に築かれていました。



入口

上信越自動車道に沿って走る側道脇に入口があります。

余談ですが、この入口の手前に「大島の火祭り」という
お盆の行事として毎年8月16日に毎年その年にふさわしい一文字を決め
火文字にする場所(斜面)があります。
この習わしは1200年続いているそうです。
毎年どんな文字が浮かび上がるのか楽しみです。(予想はしてみますが当たったことがない)
別名「百八灯」とも呼ばれています。
「百八灯」は他にも丹生東城でもお盆に灯されます。



大手道

入口の確認が出来たのでここからは歩いて登城です。
しかし、この先はまだ藪でクモの巣にひっかかりまくり
これはもっと寒くなって見通しが良くなってから訪れるとしよう。


というわけで、今回は入口の確認のみということで。。。。
入口はこの他にもあるとのことなので、もう少しリサーチしてみてからにしたいと思います。


平成30年10月21日入口まで
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大山城(群馬県)

2018年11月07日 08時13分15秒 | 百名城以外の城
大山城おおやまじょう
別名
構造山城
築城者野宮淡路守信勝
築城年代不明
指定史跡
場所富岡市神農原 地図

大山城は宮崎城や神農原城の対岸にある鏑川の断崖上にあります。
この周辺には上信越自動車道で削られてしまった城址など五つの城址が並ぶ
軍事的に重要な地帯であったことが偲ばれる場所でもあります。
城主は野宮淡路守信勝から28代まで続き、天正18年豊臣秀吉勢に抵抗し国峰城が落城とともに衰退。
後に茂木姓を名乗り茂木氏の祖となりました。


駐車場

上信越自動車道の橋脚の袂に数台分の駐車スペースがあるので
駐車場なわけではないのですがこちらに車を停めて川に沿って進みます。


入口

ガードレールの切れ目から侵入します。



この川に沿って進むと看板が見えて来ます。


入口看板

道路から見えた看板がこれです。



ちゃんと整備されています。
城址主郭まで判りやすい道が付けられています。


虎口

北側からの侵入は鏑川と断崖により侵入は不可能なので
こちらの侵入路が大手道となります。


横堀

横堀が続くこの帯郭はロープが張られていて、侵入禁止?という雰囲気だった(表示は無い)ので
今回この先へは行っていません。


竪堀

四の郭の東側に付けられた竪堀を虎口から見上げています。
この竪堀、山崎一氏の縄張図にはちゃんと表示されている堀です。



階段が付けられいますが、当時はこの堀を経て、主郭、二の郭、三の郭へと
出入りしていました。


四の郭

虎口の真上にある小ぶりの郭。
虎口を守るためのに横矢を掛ける郭であろう。


三の郭

東側にある三の郭。
郭の更に東側は沢になっていて間には武者走りが備えられています。


宮崎城祉

対岸に見える中学校が見えます。
この中学校が宮崎城で、その左手の尾根が神農原城になり、宮崎城、神農原城と睨み合っています。


竪堀

主郭と三の郭の間にある竪堀です。
大きめの竪堀で東側からの侵入や攻撃に備えられています。


二の郭

菱形に広がる二の郭は、主郭より少し高い位置にあります。
主郭と二の郭の間には堀切があり、先に見たロープを張られた横堀のある帯郭と繋がっていて
大事な通路になっていました。


主郭

二の郭より一段低い場所に位置する主郭は、城内でも最も広く一番奥地に築かれています。
北と西は鏑川の自然の要害と断崖で守られています。



奥に見える土塁の上が二の郭で、手前に広がっているのが主郭。


鏑川

主郭西側の断崖から下を覗き込むと川が見えます。
このような所に足を滑らせたらひとたまりもありません^^;


主郭土塁

主郭南側の土塁です。
この土塁の向こう側は堀切で、その堀切から二の郭の外側をぐるりと巡って
大手道へ出ることが出来ます。



橋脚を仰ぎ見ながら帰ることに。
無計画に偶然寄った城址ですが、なかなか良い城跡でした。大満足です。



斜面の道に付けられたロープには手すりとして使えるように
持ちやすい親切に瘤が作られています。
これに掴まりながら降りて来ました。


大山城は予定外の登城でした。
この辺りにはいくつか城址があったんだよねと言いながら上信越自動車道に沿って
キョロキョロしながら車を走らせていたら、偶然看板がちらりと見えて、
「ちょっと待ったあー!!」と車をバックさせて確認に行くと
やっぱり城址と書いてあるよと、早速攻城しました。
こんな人気のなさそうな場所なのに、しっかり整備された城址があるとは、驚きました。

この城址が整備されていたのは絶滅危惧植物が自生しているためでした。
キンラン、ギンラン、ササバギンランを絶滅から守るための保護活動がされているからで、
これらの植物がある場所にはロープが張られているので踏んだり荒らしたりしないように
注意しながら散策しました。
保護活動のおかげで城址も守られて一石二鳥のようです。



平成30年10月21日登城


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編
宮坂武男
戎光祥出版
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八幡山城(岐阜県)

2018年11月03日 09時09分22秒 | 百名城以外の城
八幡山城はちまんやまじょう
別名
構造丘城
築城者河尻権守
築城年代1491年(延徳3年)
指定史跡市指定史跡
場所飛騨市神岡町朝浦601 地図

八幡宮山城は、江馬氏ゆかりの武将河尻権守が荒廃した八幡宮を
城内に取り込むように築城しました。
しかし、二代目玄蕃の時領主江馬時正と交戦し城を攻略されてしまい敗走してしまいました。
その時城は八幡宮とともに兵火に掛けられ焼失。
その後江馬氏は1528年(亨録元年)社殿を再建、祭事を復活させました。
後に金森家臣大坪玄陸正興が高原船渡八幡宮に弓箭を寄進した記録も残り
廃城後も八幡宮は武将の崇敬が厚かったことがうかがわれます。



朝浦八幡宮(一の鳥居)

神岡大橋側にある一の鳥居です。
こちらは木製の鳥居です。


参道

社務所前に少し駐車スペースがあります。
とにかく周囲に駐車場が無いので神聖な場所に乗り入れるのはあまり好きではないですが
社務所前の参道の脇に停めさせていただきました。


主郭(二の鳥居)

二の鳥居の先はいよいよ主郭です。


手水鉢

手水鉢の脇で何を焼いていたのでしょう?
大きな鉄板があります。焼き芋?なんて食欲の秋に満ちた想像をしたりして^^;
ここは神社です!
そんなわけありませんよ。



ぐるりと散策してみましたが、城としての遺構らしきものはみつかりません。


拝殿

本殿は棟板によって1839年(天保10年)3月27日に
朝浦村の住人である石田春皐が造営したことがわかりました。


縁の下

高床式で風通しの良い造りになっています。


翼廊

権現造で複雑な格好の造りになっています。
翼廊の下を通過することが出来ます。


八幡山城標柱

蟻川公園側からの入口です。
こちら側には八幡山城であることがわかる標柱が立てられています。


藤波八丁遊歩道

藤波橋から神岡大橋までの渓谷(八丁)の間の景色が美しく、
遊歩道が整備されています。



高原川に架かる赤い橋(藤波橋)からの眺めです。
周囲の木々も色付きはじめ、もう少しすると色鮮やかな紅葉とともに
絶景がみらるようになることでしょう。


藤波橋

藤波八丁遊歩道から見た藤波橋と神岡城です。
八幡山城と神岡城は高原川を隔て、この距離で位置しています。


八幡山城は今回予定していた場所ではなかったのですが、通りかかったところに城址あり!
傘松城の案内看板を発見し、振り返った神社も怪しいなあと思ったらやっぱり城址。
傘松城は時間的に行けそうになかったので、とにかく目の前にある城址を攻めてみよう!ということに。
この辺り、ちょっと見ただけで山城の多いこと。
とても半日や一日では半分も見て廻ることは無理です。
また来年、どこにするか絞り込んで訪れてみたいと思います。


平成30年10月14日登城


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