むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

格式を重視した薬医門【検定】

2016年08月30日 06時04分00秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント


平屋建ての城門で最も格式が高いとされる門は『薬医門』(準1級)


学習メモ


平屋建ての門の中で最も格式が高い門が薬医門です。

室町時代から武家の門に使われていた正式な門の様式で、
鏡柱と控柱という柱の上に切妻造の屋根を架ける形式です。
扉が雨にぬれるのを防ぐため、屋根を前にずらして正面側の軒を長くするように造られています。
けれどもそれでは、大きな屋根のために城内からの視界が遮られ、
門のすぐそばにいる敵に対して射撃できないという欠点がありました。
そのため城門には向かず、防備よりも格式を重視した場所に使われる程度になりました。

準1級 公認参考書「お城のすべて」P90より
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伊予国守護所【検定】

2016年08月29日 07時32分36秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント


伊予国守護所として伊予統治の中心であり、秀吉の四国平定の際、河野氏が明け渡した城は『湯築城』(2級)


学習メモ


湯築城は大きな堀と土塁が特徴である。

河野氏が伊予国守護所として伊予を統治し、外堀に二重の堀をめぐらせ堅固な城を築造。
長宗我部正親が侵攻帰属するが、天下統一を目指す豊臣秀吉が小早川隆景に命じて河野氏に降伏を勧め、
約1カ月の籠城の末開城した。
その後、小早川隆景が入封するが福島正則と交代となり加藤義明が伊予に入ると
新たに松山城を築き湯築城は廃城となる。




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現存最古!独立式望楼型天守【検定】

2016年08月23日 08時10分00秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント


入母屋造の建物を天守台の上に設け、その屋根の上に物見と呼ばれる望楼を載せた天守を望楼型天守と呼ぶが、入母屋造りの建物が一階建てとなっている天守は『丸岡城』(1級)



学習メモ


1階は入母屋造り、2階3階は望楼型天守。


1階は下見板張に入母屋屋根で通し柱が無く瓦が石瓦で出来ているのも特徴である。
現存最古の天守と言われているが改修の説があるので犬山城とどちらが最古か決着はついていない。
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破風のない層塔型天守【検定】

2016年08月19日 06時30分04秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント



層塔型天守である津山城天守にはあるものが無いため、屋根に邪魔されずに自由に鉄砲を放つことができるシンプルな外観であった。あるものとは『破風』(準1級)


学習メモ



津山城天守は層塔型天守の先駆けで、天守といえば優美な千鳥破風というイメージであるが象徴的な破風を使わない外観で、高層天守に見られる通柱を設けず、半間ずつずらして柱を立てる構造になっていた。

破風を持たない天守の一階の四隅には石落が設けられ、57箇所の矢狭間と103箇所の鉄砲狭間
が配備され厳重な防備であった。

1873年に天守や櫓などの建物は払い下げとなり取り壊されて、現在は天守台などの石垣が残されている。

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未完成の隠居城【検定】

2016年08月18日 06時51分33秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント



元和の一国一城令によって未完の城となった高岡城の縄張は築城の名手とされた大名が行った。それは『高山右近』(2級)



学習メモ


前田利長の隠居城として築城された高岡城。

縄張は利休七哲の一人として数えられる茶人であり、築城の名人として名高い高山右近
高岡城築城に着手してからわずか5ヶ月で未完成の高岡城に利長は入城するが、完成を見ることなく死去。
翌年一国一城令の布告により高岡城は未完成のまま、わずか5年で廃城となった。

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毘沙門天の化身【検定】

2016年08月16日 12時30分00秒 | お城のことを学んでみよう!
城郭検定のポイント


戦国の武将はそれぞれ軍神を祀って、勝利への加護を願った。上杉謙信が居城(春日山城)に祀ったのは『毘沙門天』(3級)

学習メモ



春日山城中北に上杉謙信が信仰する泥足毘沙門天を祀る毘沙門堂があった。

謙信の死後、上杉家の家督を継いだ上杉景勝ガ豊臣秀吉の命で越後から会津へ転封となった時も徳川家康によって会津から米沢へ転封になった時も泥足毘沙門天はいっしょに持ち込まれていた。

現在は米沢城西の上杉御廟所近くの上杉家菩提寺法音寺に祀られている。




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川中島の戦い~妻女山~(長野県)

2016年08月08日 04時53分25秒 | 古戦場
1561年(永禄4年)
第四次川中島の戦いで、上杉謙信は海津城の南西約2kmの位置にある妻女山に本陣を構えた。



上杉謙信鎗尻の泉

妻女山への道を案内看板通りに進み、高速道路脇を通過して間もなくすると石碑が見えてくる。

湧水

妻女山に伝わる民話
川中島の合戦の時妻女山に陣を置いた上杉謙信は、戦いの勝利を神仏に祈願するため、時折麓の会津比売神社や岩野村にあった聖観音菩薩像に赴いていた。
ある日のこと、帰途についた謙信は、あまりにのどが渇いたので、馬から降り家来の直江山城守に、「槍をかせ!」と命じ「妻女におわすよろずの神よ、我に清き水を与え給え!」と地に伏し一心に祈り、そしておもむろに立ち上がって空高く槍を構え、「えい!やっ!」と地面に槍の石突きで強く突いたところ、そこから勢いよくきれいな水が湧き出したのである。

という言い伝えのある湧水がありました。


さらに山道を進む。。。


右手に展望台と神社、トイレ、駐車場が見えて来る。



松代妻女山招魂社

戊辰戦争の際、松代真田藩の藩士として従軍し、戦死した御霊と日清、日露、満州、日中、そして太平洋戦争終結までの尊い命を祖国日本のために捧げた郷土の戦没者の御霊を祀る慰霊施設である。

平和を願い二度と悲惨な戦争を起こさぬよう、毎年9月の第2日曜日を「慰霊の日」と定め、追善供養を行っているそうです。



妻女山展望台

ここから川中島平は一望できて海津城の動きを伺い知ることができた。
ここで謙信は武田方の戦の準備を察して山を下り信玄の本陣を目指し、武田軍の別働隊が妻女山に夜襲をかけた時にはすでに上杉軍は八幡原に布陣していた。
武田信玄の軍師山本勘助の作戦「啄木鳥戦法」は失敗に終わった。



この展望台は、信州のサンセットポイント100選のいとつで夕日鑑賞をしたり、夜景が鑑賞できるスポットでもある。




平成28年7月10日 訪問


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松代城(長野県)

2016年08月07日 07時28分12秒 |  百名城
松代城まつしろじょう
別名海津城
構造平城
築城者武田信玄
築城年代1560年(永禄3年)頃
指定史跡国指定史跡
場所長野市松代町松代44 地図
スタンプ設置場所真田邸
城郭検定出題あり

戦国時代、武田信玄が上杉謙信の北信濃侵攻に備え、山本勘助に命じて築いた城と伝わる。
当時の呼び名は「海津城」であったが、1711年(正徳元年)真田家三代藩主真田幸道に
政権が移ってから「松代城」と改められました。



松代城跡碑



南門跡

丸馬出より大手を望む。


太鼓門と前橋

堀の中から30本以上の折れた橋脚を発見、橋の掛け直しが4回以上行われたことが解っています。



橋詰門

NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング中で今回の内容の映像直後に流れる門の扉が開く映像は、
ここの門を使用して撮影されています。



門扉が開き、中に入ると枡形になっています。


太鼓門

時を告げる太鼓を備えていたことから太鼓門と呼ばれています。
本丸内では一番大きな門で、二層の櫓門です。
門礎石をそのまま利用して絵図面に忠実に再現、栩葺で切妻屋根で復元。


東不明門

当時の門礎石は保護のため地表下30cmに埋設し、現在手前に見えている礎石はレプリカで門のあった位置を示しています。
通常はこの門は閉じられていて、太鼓門前橋が使用出来なくなった場合など通用門として開門されたようです。
奥に広がるのは、本丸。


海津城跡碑

1921年(大正10年)の松代開府300年祭が行われた際に本丸に建立された碑。



内堀と本丸石垣と、木陰にぴったりな大きな柳の木。風流です。
左奥の土塁にトンネルのような埋門が見えます。


埋門

トンネル状に造られ、緊急時には埋めることが出来る門です。
「海津城内絵図」で確認すると二の丸の土塁に三ヶ所造られていたことがわかる。


井戸

絵図を元に二の丸に復元された井戸。
ちょっときれいすぎて歴史を感じない造りです(^_^;)


戌亥隅櫓台の石垣

城内で一番高い石垣で、野面積と算木積で積まれた櫓台石垣。
天守相当の大きさですが、天守が建てられた記録は残っていない。


高麗門



北不明門枡形

本丸北の搦め手の枡形門。
大手口と同じように、高麗門と櫓門と二つの門で枡形を構成されています。


北不明門櫓門

屋根は善光寺と同じ栩葺で復元されています。
千曲川の河川敷に接していたことから「水ノ手御門」とも呼ばれていました。


二の丸御殿跡

土塁で囲まれた二の丸東側には、二の丸御殿と呼ばれる建物がありました。


石場門跡

曲線的に造られた石垣が特徴的です。


櫓門の礎石

曲線的に造られた石垣が特徴的で比較的に小さくて平たい石で積まれています。
間口は約5.8mで、奥行は約3mである。
この礎石も本物は保存のため地下に埋められており、見えているのはレプリカです。


内堀(東側)

木橋の東不明門前橋が掛けられています。



周囲に無料の駐車場もあり、トイレも完備されています。

近くの真田宝物館真田邸もいっしょに見学してきました。
真田宝物館

ここは、レプリカではなく「本物」が展示されているミュージアムです。
今年話題の「真田丸」関連特別企画展示室にはドラマ内で使われた話の内容が史実通りだとわかる
本物の書状があったりして興奮しました。
最近博物館などに行くと古文書が読めるようになりたいなあと真剣に実感します。



真田邸

縁側に座って庭園を眺めてのんびり過ごしたくなる城外御殿。
ほんと、縁側は私のお気に入りの場所になりました♪
真田邸はこちらから閲覧できます。良かったらご覧くださいませ。


平成22年10月24日登城
平成28年7月10日再登城



御当地グルメ・おみやげ

松代は長芋の産地。そばに名物松代長芋のとろろが付いていました。(松代パーキングエリア)



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

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