むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

孫根城(愛知県)

2023年04月20日 | 百名城以外の城
孫根城まごねじょう
別名
構造山城
築城者梶信勝
築城年代不明
指定史跡
場所愛知県豊田市梶町横大 地図

孫根城は、梶金平信勝により築城され七代にわたり梶氏が居城。
1536年(天文5年)梶与吉信家が足利氏に攻められ、落城すると本多忠知が入城しました。
その後、梶一族はは本多氏の家老となっていたことが梶一族の墓(古石塔群)から推測されています。
1571年(元亀2年)に武田氏に攻め入られ、落城しています。



案内看板

大沼足助線から大横に向けて曲がったところに案内看板があります。
春日神社まで舗装路が伸びているので、神社までは車で行くことが出来ます。


春日神社

春日神社の周辺でも堀切らしきものを見ることが出来ます。



舗装路脇にある孫根城への入口には看板があるので
それに従って林の中へと進みます。



尾根を進むルートと堀の中を進むルートがありますが、
看板は堀の中を差しているので、案内通り進んでみることにしました。



ところどころに看板やピンクのリボンがあるので、迷うことなく進むことが出来ます。


尾根

しばらく細尾根が続きます。



しばらく歩くと、また看板が見えて来ました。
この先は郭のある城域になります。


堀切

大きな堀切があります。


六の郭

なんとなく土塁も見られます。


土橋

堀を土橋で渡ります。


堀切

堀は崖に向かって落ちています。


三の郭

ここまで来ると、小郭が段々にあるのがわかります。
段の中ほどにある小郭は、なぜかここだけ土塁に囲まれていることから
何か重要性があるのかと勘ぐってしまいます。


二の郭

段状の一番上の小郭で、主郭の真下にあたります。



御社があるので、ここでまたお賽銭を用意して合掌します。


主郭

そして、頂点にある主郭です。
主郭は、わりと広い平地になっているのですが木があるためにちょっと藪っぽさがあります。
これが伐採されるときれいに平地の様子が分かると思うのですが。



中央に窪みが見えます。
この窪みは数ヶ所あって、他の郭でも見られました。
最初井戸跡?と思って気になったのですが、一説によると狼煙の遺構とも云われているようです。



郭の周辺は切り立っていて、しっかり防御の役割を果たしています。



下を覗くと腰郭が見えるのですが、どこから行けるのかは分かりませんでした。
先ほどの社の裏手に廻れるような道もあったのですが、途中で途切れてしまっています。



さて、そろそろ帰るとしましょう。



七の郭まで戻って来ました。
いわゆる城としての郭はここまでです。



堀中の道を抜けると、春日神社へ到着します。


もう日が傾きかけた頃の登城となりました。
主郭から折り返した頃には日が沈み、少しばかり焦りました。
しかし、整備の手が入っていたので道に迷うことなく行って来られました。
まずまずの遺構が残っているのでそれなりに楽しめました。


令和4年10月29日登城


今回の参考本



増山城(富山県)

2023年04月04日 | 続百名城
増山城ますやまじょう
別名和田城
構造山城
築城者二宮円阿
築城年代1363年(貞治2年)以前
指定史跡国指定史跡
場所砺波市増山 地図
スタンプ設置場所砺波市埋蔵文化センター(9:00~17:00)
御城印砺波市埋蔵文化財センター窓口
空撮USHISUN Aerichan  提供 ushisun











続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス

横手城(秋田県)

2023年04月03日 | 百名城以外の城
横手城よこてじょう
別名朝倉城・阿櫻城・韮城・龍ヶ崎城・衝城
構造山城
築城者小野寺氏
築城年代1532~1537(弘治年間)
指定史跡
場所秋田県横手市城山町29-1 地図

横手城は、城主の小野寺義道が反徳川方にあったため岩見国(島根県)へ配流され
1602年(慶長7年)に佐竹氏が城主になると、久保田城の支城として
伊達氏、須田氏、戸村氏と城代が置かれていました。
戊辰戦争では庄内藩・仙台藩・山形藩からの攻撃に遭い、城は炎上し廃城となりました。



三の丸

横手城の登城口としての古道「七曲」を登って来るのが本来ですが、
歩かずに三の丸まで車が乗り入れ出来るので、車で来てしまいました。


武者溜り

三の丸にある武者溜りです。


駐車場

途中にも駐車場がありますが、三の丸まで車で来ることが出来ます。



この先二の丸には、天守閣型展望台が建てられています。
シンボル的な建物です。


模擬天守

中は資料館になっていて、歴史的資料だけでなく、美術・工芸などを展示しています。
最上階は展望台になっていて横手の市街地など一望出来ます。



これは何という日本語?と思いきや
「よくいらっしゃいました」という方言なんだそうです。
地元の方と会話する機会がなかったのでこのような言葉を直接耳にすることはなかったのですが
歓迎して頂き、ありがとうございました。



昭和40年に、東北地方で最初に造られた模擬天守です。
確か我が家に昭和40年と刻まれた会津の鶴ヶ城の瓦があったはずだが?
と思ったのですが鶴ヶ城は復元天守でした。


眺望




二の丸側から見た本丸。



二代将軍徳川秀忠の暗殺を謀った宇都宮城の「釣天井事件」で
配流された本多正純・正勝父子が亡くなるまでこの地で幽閉されていました。


小野寺氏彰徳碑

小野寺氏は、南北朝時代に下総国から稲庭へ移住し、この地に横手城を築城しました。
豊臣秀吉による奥州仕置きでは所領の3分の1を削られ、
関ヶ原の戦いの際は、西軍に味方したとみなされ、慶長6年に改易となり
石見国津和野に預けられ小野寺氏の時代は終わりを告げました。



一国一城令が発布され、当時久保田城の支城であった横手城は重要な拠点であることを
佐竹氏が幕府に働きかけたことでなんとか取り壊しを免れることが出来ました。


畑義三郎胸像

家業の醤油醸造業を営む傍ら、長年手弁当で公園の整備をやって来られた畑義三郎氏の胸像です。
戦争で荒廃した城山を見て、住民が憩える場所にしたいという思いで
雨の日も風の日も作業着に長靴を履いて、たばこ入れを腰に作業を行い、
市民に親しまれ、尊敬された人物とされています。


犬走跡

畑義三郎胸像の裏手にある土塁。
現在道路で本丸と武者溜が分断されていますが、古い絵図を見ると
この犬走を使って本丸へと往来することが出来たのではなかろうか。


大手門跡

七曲を登り切ったこの場所(写真の右手)に大手門がありました。



本丸への登り口です。
現在秋田神社の痛みが激しく立入禁止状態です。



本丸の周りを一周して入れる場所をさがしてみたのですが、
本丸へのどの入口も関係者以外立入禁止になっています。



横手城は韮城とも呼ばれていました。
それは、土が崩れないように斜面に韮を植えたことからそう呼ばれていたのですが、
敵が斜面を這い登ることができないようにもなっていたようです。


本丸跡

佐竹氏の時代に縄張の変化があったようですが、
本丸はほぼ当時のままであまり手を加えられていないようで、原型を留めたままのようです。


秋田神社

横手城は戊辰戦争で焼失しましたが明治12年、
ここ本丸跡に秋田藩主佐竹氏を祀るために秋田神社が建立されました。
焼け残った横手城の資材が使用されており、中には戊辰戦争で受けた銃弾の跡が残っているとのことですが
現在は立入禁止となっていて見学することは出ません。


案内看板



妹尾兼忠碑

妹尾兼忠の怪力伝説が刻まれている石碑と、
妹尾兼忠が片手で運んだという巨石があります。




本当はかまくらの時期(2月)に来てみたいとずっと思っていたのですが
なかなかタイミングが合わず、今回かまくらは断念。
以前県立近代美術館を訪れた際に、横手城を訪れるチャンスもあったのですが
その日は暑さと歩き疲れで体力が残っておらず、見送ってしまったので
今回は横手城を目的としてやって来ました。


令和4年7月16日登城


今回の参考本



公式 日本城郭検定過去問題集 改訂新版 発売されます!

三河亀山城(愛知県)

2023年04月01日 | 百名城以外の城
亀山城かめやまじょう
別名作手城
構造平山城
築城者奥平貞俊
築城年代1424年(応永31年)
指定史跡
場所新城市作手清岳 地図
空撮むぎとうしの歴史さんぽ  

亀山城は、奥平貞俊によって1424年(応永31年)に築城されました。
貞俊は、天授年間(1375~1380)に現在の群馬県からこの地に移り住んで
川尻城を築いた後、亀山城を築城してここに居城したとされています。
1575年(天正3年)に徳川方となって長篠城の城主となった奥平貞(信)昌の長篠の戦いで
功績をあげ、奥平氏は歴史に名を残すこととなった。



入口

周囲にいくつかの駐車場が完備されていますが
ここからの登城がいちばん歩きやすく便利です。


案内図

入口で縄張り図を確認!



本丸までは近いのですがその間にもいくつかの曲輪を見ることが出来ます。


腰曲輪

三日月状に見えるがここも武田氏が手を加えた城っぽい。


西曲輪




土塁がしっかり残る虎口が見えてきました。
離れた場所からもはっきり虎口がわかります。


西虎口

亀山城には虎口は二つあります。
虎口の土塁もとても良い状態で残っています。


縄張図

入口で見たものより古く、細かく記載されています。


本丸

ここまで来ると外から見えていた大きな亀山城址の看板が
間近にあります。



外周部の土塁の上に看板があります。
土塁が台のようになり、いい仕事してるのですが…それは遺構ではないのか?



真下には腰曲輪が見えます。


東虎口

こちら側の虎口が元々の虎口で、先の西虎口は後から造られたもののようです。


二の丸



大手址

ここがかつての大手道。
今は車でアクセスしやすい道で登城しちゃいます。





駐車場

駐車場に戻って来ました。


縄張りも見やすく、整備されているので容易に散策できるようになっています。
馬出や三日月状の堀など武田氏の縄張りを匂わす遺構が残り、奥平氏が手を入れ
利用していたんだなあといった感じのする城でした。

平成29年9月9日登城






今回の参考本


公式 日本城郭検定過去問題集 改訂新版が城の日に発売!