【孫根城】まごねじょう
【別名】ー
【構造】山城
【築城者】梶信勝
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】愛知県豊田市梶町横大 地図
孫根城は、梶金平信勝により築城され七代にわたり梶氏が居城。
1536年(天文5年)梶与吉信家が足利氏に攻められ、落城すると本多忠知が入城しました。
その後、梶一族はは本多氏の家老となっていたことが梶一族の墓(古石塔群)から推測されています。
1571年(元亀2年)に武田氏に攻め入られ、落城しています。
案内看板
大沼足助線から大横に向けて曲がったところに案内看板があります。
春日神社まで舗装路が伸びているので、神社までは車で行くことが出来ます。
春日神社
春日神社の周辺でも堀切らしきものを見ることが出来ます。
舗装路脇にある孫根城への入口には看板があるので
それに従って林の中へと進みます。
尾根を進むルートと堀の中を進むルートがありますが、
看板は堀の中を差しているので、案内通り進んでみることにしました。
ところどころに看板やピンクのリボンがあるので、迷うことなく進むことが出来ます。
尾根
しばらく細尾根が続きます。
しばらく歩くと、また看板が見えて来ました。
この先は郭のある城域になります。
堀切
大きな堀切があります。
六の郭
なんとなく土塁も見られます。
土橋
堀を土橋で渡ります。
堀切
堀は崖に向かって落ちています。
三の郭
ここまで来ると、小郭が段々にあるのがわかります。
段の中ほどにある小郭は、なぜかここだけ土塁に囲まれていることから
何か重要性があるのかと勘ぐってしまいます。
二の郭
段状の一番上の小郭で、主郭の真下にあたります。
御社があるので、ここでまたお賽銭を用意して合掌します。
主郭
そして、頂点にある主郭です。
主郭は、わりと広い平地になっているのですが木があるためにちょっと藪っぽさがあります。
これが伐採されるときれいに平地の様子が分かると思うのですが。
中央に窪みが見えます。
この窪みは数ヶ所あって、他の郭でも見られました。
最初井戸跡?と思って気になったのですが、一説によると狼煙の遺構とも云われているようです。
郭の周辺は切り立っていて、しっかり防御の役割を果たしています。
下を覗くと腰郭が見えるのですが、どこから行けるのかは分かりませんでした。
先ほどの社の裏手に廻れるような道もあったのですが、途中で途切れてしまっています。
さて、そろそろ帰るとしましょう。
七の郭まで戻って来ました。
いわゆる城としての郭はここまでです。
堀中の道を抜けると、春日神社へ到着します。
もう日が傾きかけた頃の登城となりました。
主郭から折り返した頃には日が沈み、少しばかり焦りました。
しかし、整備の手が入っていたので道に迷うことなく行って来られました。
まずまずの遺構が残っているのでそれなりに楽しめました。
令和4年10月29日登城
今回の参考本
【別名】ー
【構造】山城
【築城者】梶信勝
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】愛知県豊田市梶町横大 地図
孫根城は、梶金平信勝により築城され七代にわたり梶氏が居城。
1536年(天文5年)梶与吉信家が足利氏に攻められ、落城すると本多忠知が入城しました。
その後、梶一族はは本多氏の家老となっていたことが梶一族の墓(古石塔群)から推測されています。
1571年(元亀2年)に武田氏に攻め入られ、落城しています。
案内看板
大沼足助線から大横に向けて曲がったところに案内看板があります。
春日神社まで舗装路が伸びているので、神社までは車で行くことが出来ます。
春日神社
春日神社の周辺でも堀切らしきものを見ることが出来ます。
舗装路脇にある孫根城への入口には看板があるので
それに従って林の中へと進みます。
尾根を進むルートと堀の中を進むルートがありますが、
看板は堀の中を差しているので、案内通り進んでみることにしました。
ところどころに看板やピンクのリボンがあるので、迷うことなく進むことが出来ます。
尾根
しばらく細尾根が続きます。
しばらく歩くと、また看板が見えて来ました。
この先は郭のある城域になります。
堀切
大きな堀切があります。
六の郭
なんとなく土塁も見られます。
土橋
堀を土橋で渡ります。
堀切
堀は崖に向かって落ちています。
三の郭
ここまで来ると、小郭が段々にあるのがわかります。
段の中ほどにある小郭は、なぜかここだけ土塁に囲まれていることから
何か重要性があるのかと勘ぐってしまいます。
二の郭
段状の一番上の小郭で、主郭の真下にあたります。
御社があるので、ここでまたお賽銭を用意して合掌します。
主郭
そして、頂点にある主郭です。
主郭は、わりと広い平地になっているのですが木があるためにちょっと藪っぽさがあります。
これが伐採されるときれいに平地の様子が分かると思うのですが。
中央に窪みが見えます。
この窪みは数ヶ所あって、他の郭でも見られました。
最初井戸跡?と思って気になったのですが、一説によると狼煙の遺構とも云われているようです。
郭の周辺は切り立っていて、しっかり防御の役割を果たしています。
下を覗くと腰郭が見えるのですが、どこから行けるのかは分かりませんでした。
先ほどの社の裏手に廻れるような道もあったのですが、途中で途切れてしまっています。
さて、そろそろ帰るとしましょう。
七の郭まで戻って来ました。
いわゆる城としての郭はここまでです。
堀中の道を抜けると、春日神社へ到着します。
もう日が傾きかけた頃の登城となりました。
主郭から折り返した頃には日が沈み、少しばかり焦りました。
しかし、整備の手が入っていたので道に迷うことなく行って来られました。
まずまずの遺構が残っているのでそれなりに楽しめました。
令和4年10月29日登城
今回の参考本