むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

碓氷関所跡(群馬県)

2018年02月14日 07時24分01秒 | 関所・宿場
碓氷関所うすいせきしょ
別名横川関所
設置1615年~1623年(元和年間)
廃関1869年(明治2年)
指定史跡県指定史跡
場所安中市松井田町横川573 地図


碓氷関所は1616年に、江戸幕府によって設置されました。
中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。
東西に門があり、西側を幕府が守り、東側を安中藩が守っていました。


東門の位置

前方は横川宿です。
中山道の街道上にある東側の門がここにありました。
中山道は江戸を起点とする五街道の一つで、東海道とともに江戸から京都を結ぶ重要な街道で
関東入国の関門として取り締まりが行なわれた場所です。


碓氷関所跡

現在は県道として車が行き交う道路になっているので番所跡に
移動して復元されています。


東門

安中藩が管理していた東門です。
門柱および門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものです。
屋根材6点と台石も当時のままのもので復元されています。


案内看板

醍醐天皇の899年(昌泰2年)に群盗を取り締まるために碓氷坂に関所が
設けられたのがはじまりのようです。
そしてこの地に関所が移ったのは徳川幕府が幕藩体制になってからのことです。


碓氷御関所絵図

この絵図を見ると、石垣もそのままで番所の建物があった一段下あたりに
現在の東門が復元されているのが確認できます。


門裏

関所の高麗門でこれほど大きい蕪懸魚が付いているのは関所の門としては珍しいのかなと。
よく見る関所の門はもっと装飾性の少ない梅鉢懸魚が使われていることが多いと思います。
但し、当時のものではなさそうなので関所でここまで装飾されていたのかどうかは疑問ですが…。
重要性を強調して表現してるのでしょう。(確かに目を惹かれます)


稲荷社



おじぎ石

通行人はこの石に手をついて手形を差し出し通行の許可を受けました。
おじぎ石の奥の石碑は「史跡碓氷関所之碑」です。


関所資料館

現在休館中で、どーしても観覧したい場合は「安中市教育委員会 学習の森 電話 027-382-7622」に
問い合わせて都合がつけば観覧可能とのこと。(安中市の公式サイト閲覧)


妙義山

間の前には雪で神秘的な妙義山が見え、雪と晴れのコントラストがとても素敵でした。


駐車場

関所跡の近くには見学者用の駐車場があります。
この日は前日に雪が降ったため雪で駐車がためらわれたのですが、この隣にも駐車場があるので
ゆっくり横川宿も含めて見学可能です。
近くには「碓氷峠鉄道文化むら」や峠の釜めしでおなじみの「おぎのやドライブイン横川本店」もあります。



この後、碓氷関所跡とともに五料の茶屋本陣も合わせて訪問しました。
茶屋本陣は大名や公家などが休息したところです。
関所で参勤交代の際、大名と大名のすれ違いで出会わない様に待機する場所でもあったということで
関所跡とセットで訪れるとおもしろい場所ですのでぜひ茶屋本陣にも立ち寄ってみて下さい


平成30年2月3日訪問



信濃をめぐる境目の山城と館 上野編
宮坂武男
戎光祥出版
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大戸関所(群馬県)

2017年12月17日 10時21分44秒 | 関所・宿場
大戸関所おおどせきしょ
設置1632年(寛永8年)
廃止1868年(明治元年)9月
指定史跡
場所吾妻郡東吾妻町大戸 地図


大戸関所は信州街道の要点をおさえる場所として重要な関所でした。
草津温泉をはじめとする湯治客や善光寺参りや武家商人の荷物、各地の産物の輸送路とされていました。
この道は江戸と北信州を結ぶ最短距離で中山道を凌ぐほどの活気を呈した街道にありました。


関所の門

関所の通行の門限は、明六つから暮六つ(午前6時から午後6時)までと定められていました。
通行手形によって往来の旅人を厳重に取締り、関所破りは重罪として処刑されたようです。
死罪とは…とても厳しかったんですね。


石碑

大きな大戸関所跡の碑が建っています。
部分的にしか読めないのですが石碑横の看板の内容が書かれているようです。


案内看板

大戸、荻生、本宿の3ヶ村は要害地域を守る関所付の村として関所番人をを出し、
警備に当たったり、関所破りを監視するなどの負担を義務づけられていました。
また、近隣の11ヵ村は関所普請村に充てられていました。


標柱

下の方に注目すると「想像復元」と書いてあります。
正直というか、わかりやすいというか…
以前訪れた時には御番屋という建物は無かったので
想像と言えど雰囲気が出ていいんじゃないでしょうか


御番屋



国定忠治がこの関所を破り、最後に磔になった場所として知られているようですが
私も名前だけは耳にしたことはあるものの、どんなお芝居なのか、どんな物語なのかを存じません。
「赤城の山も今宵限り」なんてセリフもこんにゃくのCMで聞いたことはありますが
関所破りや殺人などの悪事を働き、最後はこの地で磔の刑に処せられた江戸末期の博打うちで、
その一方で、天保の大飢饉の際に、私財を投じて民衆を助けた侠客とも伝えられています。
単なるヤクザ者か、それとも弱きを助ける侠客なのか真実はわかりませんが
いずれにしても現代ではあまり受け入れられない物語なので最近は耳にすることもなくなって来ました。
今回どんな物語なのかと調べてみて、お芝居としてでなく歴史として史実の方を語り継げられたら
良くも悪くもいつの世でも受け入れられるようになるのではないのかと思いました。


平成29年12月16日訪問



お江戸アートマスクBOXセット 4枚入り
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望月宿(長野県)

2017年09月27日 06時46分28秒 | 関所・宿場
望月宿もちづきじゅく
街道名中山道(六十九次)江戸から数えて二十五番目
本陣望月歴史民俗資料館
場所佐久市望月247 地図


奈良平安期の信濃には16の牧がありました。
約80頭の馬を朝廷に献上したと言われていて、その中でも望月は突出していました。
中秋の名月になると信濃より馬が送られてくるので、その代表格であった場所がこの地であったため、
この地を「望月」と命名されました。
街道沿いには、「望月歴史民俗資料館」や国の重要文化財に指定されている、
出桁造りの旅籠「真山さなやま家」(大和屋)があります。


望月宿

本陣前です。
望月城から下って来て芦田城へ向う途中、せっかくなので望月宿で足を止めてみました。


道路元標

望月歴史民俗資料館の門の脇に立つ道路元標。
道路元標が立っているところは各村々の中心と言うことなので、
望月歴史民俗資料館あたりが望月宿の中心地だったということになります。


望月歴史民俗資料館

中山道望月宿の本陣跡地にある望月歴史民俗資料館。
中山道六十九次の二十五番目の宿場町として栄えた頃の様子を資料で紹介しています。


祝言道祖神

とてもかわいらしい道祖神です。
望月にはこのような夫婦道祖神がいくつかあります。


釣瓶沢の「水割場石」と「水樋」

蓼科山の水源五斗水(ごとみず)水源から引いた用水に設置されていました。
全水量の九分を布施村(望月)に、一分を五兵衛新田村(浅科)に分けていました。
その時に使われていた「水割場石」と「水樋」が展示されています。
また、明治11年~17年に水争いが起きたために水量が9:1に決められていました。


水樋

木樋は昭和18年に畳石用堰(たたみいしようせき)として布施村によって設置され、
木材は天然のカラマツを刳り抜いて造られています。


駒つなぎ石

望月宿は道幅が五間で、その中央に川がながれており、
旅人や荷継ぎの馬などに利用されていました。



この石は馬や牛を止めるために使われていたものです。
馬には動かせないのですが人間が持てる重さになっているそうです。



敷地内にはあづまやもあり、休憩も出来てちょっとした公園風になっています。


観光地としても賑わっていて、カメラを手に古い町並みを散策している人を多く見られます。
この日も数人の観光客とすれ違い、私もゆっくり歩いて散策したくなったのですが、この後
二つの城祉に登城計画があったので後ろ髪をひかれる思いで望月宿を後にしました。


平成29年9月23日訪問

歩いて旅する中山道 六十九次の宿場&街道歩きを楽しむ
クリエーター情報なし
山と渓谷社

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気賀関所(静岡県)

2017年08月04日 07時33分33秒 | 関所・宿場
気賀関所きがせきしょ
別名
設置1601年(慶長6年)
廃関1869年(明治2年)
指定史跡
場所浜松市北区細江町気賀11560 地図


気賀の関所は箱根、今切(新居)の関所とともに江戸に対する重要拠点でした。
1605年(慶長10年)には気賀の町が大火に見舞われ、
町並みはほとんど消失しましたが関所は被災を免れました。
気賀の関所では何度も茅葺の屋根を瓦葺に改装する願いを出しましたが、
「権現様(家康)のとき茅葺であった」という理由で却下され続けてしまいました。
その後、100年以上経ってから瓦葺となり、規模と構造はほぼそのままに明治時代まで残りました。
1869年(明治2年)の関所廃止令により、ほとんどの建物が解体されましたが、
現在ではその一部が民家の屋根として残されているのみとなってしまいました。


おんな城主「直虎」大河ドラマ館

浜松市の気賀にある今話題の大河ドラマ「おんな城主 直虎」のドラマ館があります。
昨年の大河ドラマ「真田丸」では少し並んでの入館だったのですが、この日はラッキーなことに
わりと人が少なくて混雑することなくゆっくり観て回ることができました。


井伊谷 井戸端セット

館内では「フォトスポット」以外での撮影が禁止となっています。



今人気の俳優さん小野政次役の高橋一生さん。
小野但馬守と言えば、本来とても嫌~な感じの役のはずなのですが人気ある俳優さんゆえに
ここでの小野政次はそれほどひどい人に描かれていない気がします^^;



撮影スポットながら、この井戸の中を撮影することは出来ません。


気賀関所

右の茶屋でお茶を飲んだり、着替え体験も実施中です。
着物や甲冑を着て記念撮影が出来ます。


お抹茶

ここでは一席 300円(菓子付)をいただけます。
この日のお菓子は長野県小布施の落雁でした。お抹茶は冷茶も選べます。


冠木門(高麗門)

「東御門」、「大門」とも呼ばれ関所の出入り口にありました。
毎日明け六つ(午前6時)に開門して暮れ六つ(午後6時)に閉門しました。
家康くんと直虎ちゃんが出迎えてくれました


本番所

「本御番所」、「面御番所」とも呼ばれ通行の旅人や荷物を取り調べをしました。


御制札場
関所に関する様々な決まり事が掲げられています。


向番所

姫街道の要の関所で、入鉄砲に出女の監視を中心に通行する人や荷物の取り調べを
行なっていました。


天水桶

防火用に雨水を貯めておく桶。
気賀の町が大火に見舞われたことで火災の用心をしていたのでしょうね。


遠見番所

遠くを見張るために建てられたもので、当時上階には釣鐘が掛けてあり、
下の部屋には大砲が納められていました。


牢屋

遠見番所の中には牢屋も再現されています。


御要害堀
この堀は御関所警護のための設備で、舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように木戸が設けられています。
また、この堀での網打等の殺生は禁じられていました。


町木戸門

この門は気賀関所西側にあって町木戸御門と呼ばれ、これより西側に気賀宿の町家が広がっていました。



井伊谷城、龍潭寺を訪れた後にドラマ館にやってきました。
気賀の町と言えばドラマの中では水に囲まれた土地のイメージでやってきましたが
船着場跡などは周囲で見られるもののテレビのセットで見るような光景とはまったく違っていて
子供に、「舟は?」などと言われました。
ドラマはドラマですからね。
でも舟が出入りしていたことは間違いないし、浜名湖もすぐ近くにあるのだから
もしかしたらドラマのような光景であったのかもしれませんね。。。

ちなみにドラマ館が設置されている間は気賀関所は無料ですので
ドラマ館に行く際はぜひこの機会に足を運んでみましょう

平成29年7月22日訪問


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
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墨俣宿跡(岐阜県)

2017年06月18日 06時04分55秒 | 関所・宿場
設置 1602年(慶長7年)
廃置 明治3年~5年
場所 大垣市墨俣町墨俣173
【 地図 】


墨俣宿は東海道と中山道を結ぶ脇街道として整備されました。
宿駅伝馬制度が敷かれてからは6つの宿駅が設けられ、墨俣宿もその一つでした。

美濃路は1600年の関ヶ原の戦いでは徳川軍勝利後、
家康が凱旋した道で「お悦び街道・吉例街道」と称されています。

史跡墨俣宿

本陣・脇本陣・問屋・渡船場が置かれ琉球使節や朝鮮通信使の通行をはじめ、
多くの人馬の往来で大変に賑わっていました。
将軍の上洛をはじめ、幕府へ献上の鮎鮨や、象などの珍獣も、この街道を通っていったなど、
一般民衆の旅の利用はもとより、多くの事件や物語、伝説、史跡、名勝なども沿道に残されています。


墨俣宿碑

大垣城・戸田氏十万石の城下町として繁栄し、当時美濃では最も大きい町でした。
天保期の「宿村大概帳」によれば、家の数903軒、人口は5136人、旅籠屋11軒、本陣1軒、
脇本陣1軒、問屋場1ヶ所、助郷村22ヶ所、茶屋6軒でした。


案内看板

中山道の垂井宿・追分(岐阜県垂井町)で分かれ、
東海道の宮宿(名古屋市熱田区)に至る約14里24町15間(約57km)で、
政治上・経済上からも重要な幕府直轄の街道となっていました。



当時は道の両側には大小の旅籠や商店・茶店などが肩を並べて建っており、
美濃路の宿場の中で最も賑やかな宿場でした。


脇本陣

脇本陣は、本陣のみにて大名などが泊れない時に利用した休泊施設です。
安藤家の子孫が代々勤めた。



明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。


七里の渡し(海路)や三里の渡し(木曽川河口)より安全性が高く、
関所の取締まりも厳しくないので遠回りでも女性にも重宝されました。
天候に左右されず予定通りの通行が可能なため、七里の渡しを嫌う旅人が多数利用していたようです。

墨俣城から近いので合わせて墨俣宿も散策すると一夜城だけでなく城下町の発展が
良く分かりおもしろいと思います。


平成29年5月4日 訪問


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西牧関所跡(群馬県)

2017年02月17日 05時24分31秒 | 関所・宿場








平成29年1月29日訪問


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下仁田町本宿(群馬県)

2017年01月31日 06時57分30秒 | 関所・宿場
設置 文禄年間
廃止
場所 甘楽郡下仁田本宿
【 地図 】


中山道の本庄宿から藤岡宿に入り下仁田宿を経て軽井沢の追分宿までの間の街道を
姫街道」と呼びます。
女の人も容易に通れることから姫街道と名付けられました。



姫街道に従って国道254号線から逸れて軽井沢方面へ向かう道に進みます。


案内看板

本宿への入口には本宿や藤井関所(西牧関所)周辺の案内看板が掲げられています。


旧道を進むと道はとても狭く、周囲の土手は何段かになった石垣が至る所で見られます。


本宿

本宿には古い町並みが残されており、街道沿いの民家にはこうした立派な門や屋敷が残されています。


古月堂

明治24年創業の菓子処で地元に親しまれています。


本宿どうなつ

古月堂の看板商品でもある「本宿どうなつ」
中は白いんげん豆を使用した白あんの特製どうなつが人気です。


この街道は信州米の輸送路に使われており、佐久で収穫された米を
江戸まで運びました。

またこの地域では畑は多く見られますが水田は少ない。
稲が育たない地域だったため佐久の米に頼っていました。

信州米と砥石の集積場として栄えた宿場町です。


平成29年1月29日訪問


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伊香保関所跡(群馬県)

2016年09月21日 06時59分43秒 | 関所・宿場
伊香保関所跡(いかほせきしょあと)
場所 渋川市伊香保町伊香保
【 地図 】

伊香保温泉の石段街の入口に復元された御番所


三国街道の裏往環と呼ばれる街道で、寛永8年に幕府の命により関所がこの地に設置されました。


伊香保村口留番所






取り調べ石

右側の石は「取り調べ石」と言われ、関所役人が座って取り調べをした石で
もう一方は「お辞儀石」と言われ、旅人が役人の前で平伏して手をついた石と伝わる。



当時は萱葺屋根の建物で周囲に木柵があり、東西に門扉が設けられていました。
関所番役人は伊香保の大屋二名(年番)下番二名の計四名で勤めていました。






中は資料館になっていて通行手形や古文書、武具などが展示されています。


平成28年9月18日再訪問


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
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関所・宿場跡

2008年01月01日 15時55分58秒 | 関所・宿場
北海道・東北地方

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宿場町旅情 写真紀行 (ノスタルジック・ジャパン)
清永 安雄
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