むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

安土城(滋賀県)

2011年05月04日 06時07分15秒 |  百名城
安土城あづちじょう
別名
構造山城
築城者織田信長
築城年代1576年(天正4年)
指定史跡国指定史跡
場所近江八幡市安土町下豊浦 地図
スタンプ設置場所安土城天守信長の館・安土城郭資料館・安土城跡信長廟前
城郭検定出題あり


琵琶湖畔に築かれた城の象徴でもある「天主」が岐阜城とともに起源となった城である。
信長の「天下布武」にかけた絢爛豪華な五重六階の(吹き抜け構造)天主はさぞかし見事であったであろう。
しかし、安土城完成から3年足らずで何者かの放火によってその見事な姿は消えてしまった。
残念すぎる。

案内看板




大手道

料金所で入城料を支払い出発!


直線的な大手道

左側「伝徳川家康邸跡」、右側「伝羽柴秀吉邸」
徳川家康邸側の石垣は発掘調査によって幕末に築いた石垣を組み直したために
新しい石材も加わえられています。



ここでは最大の屋敷であったようです。



手前は厩、二階建ての櫓門で石垣の上の階と繋がって居住空間があったようです。



石段の高さがまばらなのでとても疲れます。足腰にくる~。





石仏

大手道の石材として使われたものがそのまま残されています。
石材が足りないので近隣の石仏までも使ってしまうとは信長らしいというか…。
「うつけ者」と言われてもおかしくないと思います。(城も燃えるわなあ)
下見て歩かないと、うっかり踏んでしまいそうになります。


黒金門から二の丸への階段

この先の二の丸に謎の巨石と言われる石があります。
「蛇石の謎」…巨大な石を1万人を動員して運んだとされる石の謎ががここに残されています。
「修羅」で運ぶ途中巨石が滑り、150人以上が下敷きとなり押し潰されたと記録されているのですが
その苦労して運んだはずの巨石は実は今もみつかっていません。
二の丸に残る巨石は1万人で運ぶほどの巨大さではないし、150人が押し潰されるサイズでは
ないので疑問です。
そんな大きな石はどこへ行っちゃったのでしょうか…謎のままです。


二の丸下

正面右側へ延びる階段の先は伝長谷川秀一邸跡があります。
ここまで登って来ると信長側近の屋敷が建ち並んでいることになります。


伝二の丸石垣

人間と比較すと石垣の高さがよくわかります。


本丸跡

二の丸から本丸へ。ここが本丸御殿跡といわれる。


御殿跡

広くて周囲は石垣で区切られています。
左奥には三の丸があるのですが行くことは出来ませんでした。


天主閣跡の標柱

いよいよ天主閣のあった天主跡です。


天主台礎石群

礎石部分が不等辺八角形平面の天主台。



ここからの眺めはさぞかしすばらしかったのでしょうね。



山岳部を削り出し、石垣で囲まれた天主の基礎。


信長廟所

本能寺で自害した信長の遺骨は発見されていないが、秀吉が一周忌の時に
この地に廟所を造った。
信長の遺骨こそは無いが御霊はここで眠る…。


安土城天主 信長の館

復元された地上6階部分。
万博出展のため5階と6階部分だけ復元されました。


5階内部

原寸大の復元で、5階は正八角形でとても特徴的な造りになっています。
柱、天井、床は朱色に染められています。


6階内部
6階は正四角形で、5階の明るい朱色とは対照的に外部は金箔、内部は黒で仕上げられています。





「天下布武」を夢見て築き上げた安土城。
天主こそ無いですが石垣の造りが見事で階段状に建ち並ぶ邸宅など城郭としての
在り方もとても興味深い造りになっているので想像するのがとても楽しいですね。
ロマンがぎっしり詰まったワクワクする城祉です。

私が訪れた時はまだVR(バーチャルリアリティー)なんかは無かったので
頭の中で想像して思い描いたものですが、今はVRを使ってありし日の安土城を
観ることが出来ます。

いつかまた体力があるうちに行ってみたいなあと思う城祉です。



平成23年5月4日登城
平成29年3月27日再編集



よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書
クリエーター情報なし
学研プラス
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観音寺城(滋賀県)

2011年05月04日 01時01分52秒 |  百名城
観音寺城 かんのんじじょう
別名佐々木城
構造山城
築城者佐々木氏
築城年代1335年(建武2年)?、1471年(文明3年)?
指定史跡国指定史跡
場所近江八幡市安土町石寺 地図
スタンプ設置場所石寺楽市会館(12月中旬~3月中旬は休業)・観音正寺・桑実寺・安土城郭資料館
城郭検定出題あり



画像準備中




平成23年5月4日登城



日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本城郭協会
学研プラス
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彦根城(滋賀県)

2011年05月04日 01時01分50秒 |  百名城
彦根城ひこねじょう
別名金亀城
構造平山城
築城者井伊直継、井伊直孝
築城年代1604年(慶長9年)
指定史跡国宝 国指定史跡 国重要文化財
場所彦根市金亀町1-1 地図
スタンプ設置場所彦根城表門券売所
城郭検定出題あり

将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、1604年(慶長9年)より築城が開始されました。
彦根城は、明治に解体の危機にみまわれましたが、明治天皇が北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、
随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したため
保存するようにと大命を下されたことで解体を免れました。









開門とともに大勢の人が入城します。
この日はすぐに入城制限がかかりました。





ひこにゃん

ひこにゃん登場!
大勢の人でカメラを使わないと私の背の高さでは人垣で見えません。


入側






内堀



内堀

黒門橋から見た内堀。



山崎郭に続く道


玄宮園




平成23年5月4日登城



城めぐり手帖「現存天守編」 ~自分だけのトラベルノート
萩原 さちこ
技術評論社
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石田会館(滋賀県)

2011年05月03日 11時29分11秒 | その他史跡
石田会館いしだかいかん
別名石田屋敷跡
指定史跡
場所長浜市石田町 滋賀県長浜市石田町 地図


石田三成生誕の地

石田三成の誕生した屋敷跡



平成23年5月3日訪問



城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
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長浜城(滋賀県)

2011年05月03日 09時40分17秒 | 百名城以外の城
長浜城ながはまじょう
別名今浜城
構造水城
築城者羽柴秀吉
築城年代1575年(天正3年)
指定史跡市指定史跡
場所長浜市公園町 地図
城郭検定出題あり

羽柴秀吉は1573年(天正元年)浅井氏の小谷城を陥落させた武功により織田信長より浅井領12万石を拝領しました。
はじめて城持ちの大名となり、当時今浜と呼ばれていた地を「長浜」と改名しました。
城づくりに必要な材木を小谷城などから転用して築城され、後に三代目の城主として、山内一豊が5年間在城しています。
後に廃城となった長浜城の石垣や部材は、大通寺(長浜市)などの寺社や彦根城の築城に利用されました。
彦根城天秤櫓は長浜城の遺構と伝えられています。








長浜城歴史博物館

1983年(昭和58年)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」を復元されました。
内部は歴史博物館として公開されています。


眺望

天守からの眺望。
曇っていて見えずらいのですが正面の山が「山本山」で右に長い山が賤ケ岳合戦場のある山です。







平成23年5月3日登城



お城のすべて (学研雑学百科)
三浦 正幸
学研パブリッシング
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小谷城(滋賀県)

2011年05月03日 01時01分49秒 |  百名城
小谷城おだにじょう
別名
構造山城
築城者浅井亮政
築城年代1523年(大永3年)頃
指定史跡国指定史跡 
場所長浜市小谷郡上町 地図
スタンプ設置場所小谷戦国歴史資料館(火曜日休館、祝祭日の場合は翌日)・12月28日~1月4日は長浜市役所湖北支所またはJR河毛駅コミュニティハウス
または戦国ガイドステーションに設置
城郭検定出題あり

戦国大名浅井亮政、久政、長政の三代の居城であった小谷城。
浅井長政は織田信長の妹お市を妻に迎え織田家と同盟関係となるのですが、
浅井家と同盟にある朝倉家を織田信長が攻めたため、浅井氏は織田家との同盟を解消し
姉川で朝倉軍と共に織田軍と戦うことになりました。
その後、小谷城は信長により落城し長政親子は自害して、お市と娘(茶々・初・江)は
織田家に返されることとなり、嫡男万福丸は殺害され万寿丸は出家させられたと伝わります。



小谷城戦国歴史資料館

ここから小谷城跡登山道入口までシャトルバスが運行しています。


番所跡

ここでバスを下車して、本丸目指して登山です。
入口には山城にはよくある木の杖が設置されています。



足場はそう悪くないのですが、やはり歩きやすい靴が良いです。結構歩きます。


御茶屋跡

番所跡のすぐ上にある曲輪で、主郭の最先端に位置します。
小さな御殿と庭あり御茶屋という名が付いているものの、軍事施設だったようです。


馬洗池

馬洗池は涌水ではありませんが、かつて使用されていた頃は
水が絶えることが無かったと云う。



今もしっかり水が湛えられています。


御馬屋跡

結構樹木があったと思われますが、切って眺めも良く整備されています。
この辺りは馬関係の一画で、北の柳の馬場にも通じていています。


浅井家供養塔

桜馬場にある浅井家供養塔です。


桜馬場からの眺め

織田軍が陣を敷いた虎御前山が見えます。


黒鉄門跡

この先が本丸になります。


大広間跡

広大な大広間で御殿があったとされる。
この広間からは井戸跡と蔵跡が見つかっています。


本丸

本丸は鐘丸とも呼ばれ、大広間より一段高く石垣を積んだ上に
天守にあたる櫓が付属した建物があったと考えられています。
本丸の背後には大堀切があり、小谷城主要部分はここで二つに分断されています。



NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を視てドラマ館といっしょに訪れました。
さすがに込み合っていて、山城ながら多くの観光客でいっぱいでした。
帰りのシャトルバスの時間もあったのでこの日は本丸までで引き返して来ました。
まだまだ広い城跡なので、ぜひまたゆっくり登城してじっくり巡ってみたいものです。


平成23年5月3日登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス
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