【新庄城】しんじょうじょう
【別名】沼田城・鵜沼城
【構造】平城
【築城者】戸沢政盛
【築城年代】1625年(寛永2年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】山形県新庄市堀端町 地図
新庄盆地のほぼ中央に位置し、江戸時代初期に最上氏が領地を没収されると
新庄に6万石で入った戸沢政盛が羽州街道の西にある湿地帯に新庄城を築城しました。
創建当時は三重の天守を持つ近世城郭でしたが、1629年(寛永6年)に火災によって焼失。
すぐに再建するも、1636年(寛永13年)に再び火災により天守を含む本丸、二の丸が炎に包まれてしまいました。
その後、城は再建されましたが天守が再建されることはありませんでした。
二の丸跡
駐車場が本丸にあるので、二の丸側から乗り入れることになります。
こちらは二ノ丸内屋敷になり、西の丸とも呼ばれていました。
虎口
本丸と二の丸を繋ぐ虎口です。
本丸
本丸に駐車場があります。
土塁に囲まれた贅沢な駐車場です。
本丸土塁
南西に残る見事な土塁です。
外から見るとこのような土塁です。
角には隅櫓があったされ、武器櫓になっていました。
二の丸
本丸を囲むようにぐるりと巡る二の丸は、現在二の丸の堀は埋め立てられ
住宅や公園と化しています。
大手門跡
内枡形で、一の門、二の門で構成されていました。
石垣は大手門の石垣の一部なのでしょうか。
この堀を渡ると本丸です。
水堀
本丸の水堀は東と西に残っています。
表御門
表門も大手門同様に桝形状の造りになっていました。
櫓門跡
櫓門の石垣が現在も残っています。
本丸への出入口は表門と北門の二ヶ所があり、内桝形で櫓門として敵の侵入に備えていました。
時代が新しいとあって、隙間なく奇麗に積み上げた切込接の石垣です。
新庄城絵図
表御門の手前にある絵図です。
戸澤政盛公像
戸澤神社の鳥居の前にある戸澤政盛公像。
花手水
最近流行りの花手水。
コロナ禍になって急速にこのような癒しの空間が広がりました。
戸澤神社
戸澤神社は、戸沢家の始祖・衡盛と藩祖・政盛の御霊を新庄城本丸跡地に勧請し、
十一代藩主・戸沢正実を合祀し三方を祭神として祀っています。
戊辰戦争に官軍の旗印として与えられた菊花御紋の旗が宝物として保存されていますが、
この旗は靖国神社と戸沢神社にしかないと言われています。
御玄関跡
新庄藩政庁の正面玄関があった場所です。
この奥に、廊下を隔てて40畳敷の大書院、32畳敷の御広間などがありました。
天守台跡
ここにはかつて三層の天守が築かれていましたが、火災により焼失してしまいました。
護国神社
護国神社は、戊辰戦争の戦死者五十六名を祀る神社として戦死者を祀っています。
明治二十四年に、遺族らの希望により現在地に移されました。
天満神社
天満神社は、新庄藩主戸沢家の氏神として旧領秋田県角館時代から崇拝されてきた神社で、
学問の神様である菅原道真を主祭神とし、学業成就のご利益があると言われています。
撫で牛
道真公は丑年生まれで、牛をたいそう可愛がっていたといいます。
「撫で牛」の頭を撫でると頭が良くなるそうで、他に身体の悪い所があれば
同じ部分を撫でると治ると云われています。
う~ん、あっちもこっちも撫でたくなるなあ。
本殿・拝殿
江戸時代初期に建てれた本殿と拝殿が、昭和62年8月25日に
山形県指定有形文化財に指定されています。
虎口
本丸北側の虎口です。
現在は土橋になっていますが、絵図を見るとかつては木橋が架かっていました。
この小川が水路となって堀に水を引き入れています。
西丁
本丸の西側にある町で、役所や名門家臣のあった場所です。
かつてはここも水堀でした。
埋め立てられていますが、名残があります。
新潟経由で秋田入りする途中で寄ってみました。
三度目の天守再建してほしかったけど、なかなかそうもいかないですよね。
でも、土塁と水堀が見事で、櫓門の石垣も残っていたのでなかなか良いのではないでしょうか。
令和4年7月16日登城
【別名】沼田城・鵜沼城
【構造】平城
【築城者】戸沢政盛
【築城年代】1625年(寛永2年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】山形県新庄市堀端町 地図
新庄盆地のほぼ中央に位置し、江戸時代初期に最上氏が領地を没収されると
新庄に6万石で入った戸沢政盛が羽州街道の西にある湿地帯に新庄城を築城しました。
創建当時は三重の天守を持つ近世城郭でしたが、1629年(寛永6年)に火災によって焼失。
すぐに再建するも、1636年(寛永13年)に再び火災により天守を含む本丸、二の丸が炎に包まれてしまいました。
その後、城は再建されましたが天守が再建されることはありませんでした。
二の丸跡
駐車場が本丸にあるので、二の丸側から乗り入れることになります。
こちらは二ノ丸内屋敷になり、西の丸とも呼ばれていました。
虎口
本丸と二の丸を繋ぐ虎口です。
本丸
本丸に駐車場があります。
土塁に囲まれた贅沢な駐車場です。
本丸土塁
南西に残る見事な土塁です。
外から見るとこのような土塁です。
角には隅櫓があったされ、武器櫓になっていました。
二の丸
本丸を囲むようにぐるりと巡る二の丸は、現在二の丸の堀は埋め立てられ
住宅や公園と化しています。
大手門跡
内枡形で、一の門、二の門で構成されていました。
石垣は大手門の石垣の一部なのでしょうか。
この堀を渡ると本丸です。
水堀
本丸の水堀は東と西に残っています。
表御門
表門も大手門同様に桝形状の造りになっていました。
櫓門跡
櫓門の石垣が現在も残っています。
本丸への出入口は表門と北門の二ヶ所があり、内桝形で櫓門として敵の侵入に備えていました。
時代が新しいとあって、隙間なく奇麗に積み上げた切込接の石垣です。
新庄城絵図
表御門の手前にある絵図です。
戸澤政盛公像
戸澤神社の鳥居の前にある戸澤政盛公像。
花手水
最近流行りの花手水。
コロナ禍になって急速にこのような癒しの空間が広がりました。
戸澤神社
戸澤神社は、戸沢家の始祖・衡盛と藩祖・政盛の御霊を新庄城本丸跡地に勧請し、
十一代藩主・戸沢正実を合祀し三方を祭神として祀っています。
戊辰戦争に官軍の旗印として与えられた菊花御紋の旗が宝物として保存されていますが、
この旗は靖国神社と戸沢神社にしかないと言われています。
御玄関跡
新庄藩政庁の正面玄関があった場所です。
この奥に、廊下を隔てて40畳敷の大書院、32畳敷の御広間などがありました。
天守台跡
ここにはかつて三層の天守が築かれていましたが、火災により焼失してしまいました。
護国神社
護国神社は、戊辰戦争の戦死者五十六名を祀る神社として戦死者を祀っています。
明治二十四年に、遺族らの希望により現在地に移されました。
天満神社
天満神社は、新庄藩主戸沢家の氏神として旧領秋田県角館時代から崇拝されてきた神社で、
学問の神様である菅原道真を主祭神とし、学業成就のご利益があると言われています。
撫で牛
道真公は丑年生まれで、牛をたいそう可愛がっていたといいます。
「撫で牛」の頭を撫でると頭が良くなるそうで、他に身体の悪い所があれば
同じ部分を撫でると治ると云われています。
う~ん、あっちもこっちも撫でたくなるなあ。
本殿・拝殿
江戸時代初期に建てれた本殿と拝殿が、昭和62年8月25日に
山形県指定有形文化財に指定されています。
虎口
本丸北側の虎口です。
現在は土橋になっていますが、絵図を見るとかつては木橋が架かっていました。
この小川が水路となって堀に水を引き入れています。
西丁
本丸の西側にある町で、役所や名門家臣のあった場所です。
かつてはここも水堀でした。
埋め立てられていますが、名残があります。
新潟経由で秋田入りする途中で寄ってみました。
三度目の天守再建してほしかったけど、なかなかそうもいかないですよね。
でも、土塁と水堀が見事で、櫓門の石垣も残っていたのでなかなか良いのではないでしょうか。
令和4年7月16日登城