むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

矢島城(長野県)

2019年11月11日 06時18分38秒 | 百名城以外の城
矢島城やじまじょう
別名北林城・矢島屋敷
構造丘城
築城者北林氏
築城年代不明
指定史跡
場所上田市常磐城207 地図

矢島城はかつて北林氏が築城し、北林城と呼ばれていました。
1335年(建武2年)諏訪の神氏一族の矢島氏が北林氏を川中島方面に追放し、
北林城に居城を移しました。
太郎山の麓に位置し、上田平一帯を見通せる居館となっていました。



搦手口

かつてはこのカーブまで堀切がありました。
このカーブに駐車できるスペースがあるのでこちらに駐車しました。



二重の堀になっていたようですが、道路を造った時に外側の堀は
破壊されてしまったようです。
それでも内側の堀は良く残っているのでここを下った瞬間に「おお~」となります。


空堀

見事な堀と土塁が見られます。


虚空蔵沢

反対側も虚空蔵沢側に堀が落ちています。
東斜面、沢側は矢竹が生い茂っています。


虎口

土塁に遮られているために、
この先を曲がるまで城内の様子がわかりません。


主郭

畑になっています。
というのも、こちらは私有地のため地主さまの御好意により
見学が許されているとのことですので、くれぐれも畑を荒らすような行為が
あってはなりません。


土塁

土塁に残るわずかな石垣も見えます。


矢島稲荷社

矢島稲荷ということは、北林時代ではなく矢島氏がこの地に
移って来てからの稲荷でしょう。
矢島屋敷とも呼ばれていたので屋敷神として祀られていたのでしょうか。



西側は、北側から周り込んだ堀を挟んで段々に小郭がと堀が続いています。



主郭、二ノ郭は畑になっていて傾斜しています。
大手道がこの中を通っていますが、畑への無断侵入が躊躇われるため
上から眺めるだけに留まりました。


全国山城サミット上田・坂城大会 プレ大会

この日は「全国山城サミット上田・坂城大会 プレ大会」が開催され
「らんまる攻城戦記」の管理人さんであるらんまるさんに会いに行って来ました。
しかも、萩原さちこ氏も来るとあっては行かないという選択肢はない。
というか、実はこの日は娘の学校の用事があったにもかかわらず、旦那に任せて参加してしまいました。^^;
らんまるさんとは名刺交換をし、さちこさんには家に何冊かあるさちこ氏著書の本の中から、
私が買った一番最初の本を持参して、ラッキーなことに、サインを頂くことが出来ました。
言葉を添えていただけたのも感激でした。


横沢氏の「矢島城」の話を聞いてすぐ近くですぐ行けると言っていたので
帰りには、攻城団からの繋がりのほむほむさんと早速矢島城に寄ってみました。

来年の山城サミットに備えて、この冬は長野の山城を中心に巡ってみようかな


令和元年11月2日登城


関東周辺歴史トレッキング 攻める山城 50城 山を歩き、山城に出合う旅へいざ出陣!
萩原 さちこ
山と渓谷社


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成島館(山形県)

2019年11月06日 06時56分08秒 | 陣屋・館
成島館なるしまだて
別名
構造平山城
築城者大伴駿河麻呂
築城年代777年(宝亀8年)
指定史跡
場所米沢市広幡町成島1057-2 地図

成島八幡宮は将軍大友駿河麻呂が777年(宝亀8年)に蝦夷討伐に際し、
天皇に願い出て創建されたのが始まりです。
米沢では最も古い神社で、伊達氏、上杉氏の領主によって改修が行われています。
伊達政宗は、仙台市の国宝大崎八幡宮へと分霊し、今でも祀られています。


入口

成島八幡宮の参道入口です。
ここには神社の案内看板や数々の石碑があります。


鳥居

こちらが搦手道となります。
そして正面には高良大明神が祀られています。


参道

風情のある石畳の参道を登り本殿のある主郭を目指します。


階段

ここを登ればいよいよ主郭に当たる場所となります。
ここまで、楽々やって来ることが出来ます。


境内

ここには、社殿造営の棟札46枚と木造門神坐像2体や舞楽面などが伝わっています。
1300年(正安2年)長井宗秀本殿・長居修理
1348年(貞和4年)長井時春本殿修理
1383年(永徳3年)伊達宗遠拝殿造立
1390年(明徳元年)伊達政宗門殿造立
1478年(文明10年)伊達成宗社檀造立
1443年(天文22年)伊達晴宗宮上葺修理
1573年(元亀4年)伊達輝宗宮上葺修理
1588年(天正16年)伊達政宗宮上葺修理
1621年(元和7年)上杉景勝宮上葺修理
1929年(昭和4年)棟札
などの棟札が残されています。


大山祇神社

成島八幡神社の境内には大山祇神社が祀られています。
会津地方や新潟の関係性がここにも!と思ってしまいました。


拝殿
伊達政宗の重臣・片倉小十郎は、成島八幡神社の神官の息子であるという説もあります。
そのために、この地より仙台まで分霊するほどの政宗の拘りと信仰があったと
考えるとしっくりくるような気もします。


石碑

何の石碑だろうか…気になるけど字が読めない
最近は古い字も見慣れて来たせいか、なんとなくわかるようになってきたのですが
まだまだのようです。


鐘楼堂

神社なのに、なぜか鐘楼があります。
明治の神仏分離令が出されるまでは、神仏習合であったことが伺えます。


若宮八幡宮

裏に周ると若宮八幡宮や、本殿があります。


虎口

主郭の西側土塁や空堀、東側の腰曲輪も後の桃山期前後に構築されたものと考えられています。
神社の建立後に神社を守護するために構築された防御施設でしたが、
やがて根小屋や腰曲輪を追加、臨時的な城郭機能を持つようになり城郭化したのでしょう。


土塁

神社の背後と西側にはⅬ字形に土塁が残っています。
この土塁はしっかりと残っています。


土橋

土橋と言っても車が通れる道幅があるので、
かつてはもっと細いものがあったのではないかと想像します。


二重堀

二重堀のはずですが…まったく見えません。
立派そうな堀がありそうなのはわかるのですが、二重になっているとこまでは
草で覆われていてわからないので妄想します


成島ワクワクランド

成島八幡神社、特別養護老人ホーム、りんご園に囲まれた児童遊園になっています。
ここには写っていませんが、滑り台などの遊具があり、この日も家族連れが遊んでいました。
家族サービスと言いながら、成島館を見に来る事も出来ます



二重堀を横から見てますが、草がなければ
さぞかし良い堀ではないかと、現地では草越しにもよくわかります。



虎口は、西側の中央部に桝形になっていて、大手口は西側丘陵に延びています。
この奥に枡形虎口があるはずなのですが、藪と足元の地盤がゆるいため
とても入って行ける状況にありません。


水堀

写真ではわかりずらいのですが、台風や午前中の雨もあってか
西側の堀は水堀になってました。



成島ワクワクランドの駐車場方面へと下って来ました。


案内看板

案内看板のある成島ワクワクランドの駐車場を利用しました。
この看板見ていたら…あ~、矢子山城なんて書いてある。近くにあるのかφ(..)メモメモ
誘惑される看板でした。
が、調べてみたら夕暮れから行ける場所ではないことが分かったので
帰ることにしました。



雪が降る前にと訪れた米沢でしたが、
まだ草木は生き生きと生い茂っていました。
二重堀がくっきり見えなかったのが残念でなりませんが
とりあえず、思い立って来てみて伊達政宗の重臣・片倉小十郎のゆかりの地に
出会えてよかった。
私はどうやらお館さまより、それを支える軍師の方に
興味が沸くみたいだ^_^;



令和元年10月27日登城



国別 城郭・陣屋・要害・台場事典
西ヶ谷 恭弘,日本城郭史学会
東京堂出版
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明知陣屋(岐阜県)

2019年11月02日 06時19分36秒 | 陣屋・館
明知陣屋あけちじんや
別名
構造陣屋
築城者遠山方景
築城年代1615年(元和元年)
指定史跡
場所恵那市明智町古町 地図

明知城の山麓にある陣屋(代官所)で、明知城が廃城となり陣屋が構えられました。
旗本の遠山氏が江戸時代から明治の大政奉還となるまで行政を行った場所であります。
当初は参勤交代で江戸を行き来していましたが、1678年(延宝6年)からは江戸定府となり
明知陣屋の代官を村上氏が勤めることとなりました。
北町奉行などを歴任した遠山景元は名奉行として知られ、時代劇の「遠山の金さん」のモデルに
なるほどの名奉行でした。



駐車場

日本大正村の駐車場にやって来ました。
ちなみに、明知陣屋、大正ロマン館には駐車場がありません。


明知城縄張図

大正村の駐車場にも明知城の案内看板が設置されています。
周囲の施設は、まだ開いていないので観光せずに直接陣屋跡へ向って
行こうと思います。
町中の様子はまたの機会に。。。


大手道

冠木門の見えるこの先が陣屋で、そこを通って明知城へ行くのが
本来の大手道ののようですが、中には民家があり
明知城への登城は他にもいくつかあるのでこちらを避けた登城をお勧めします。


案内看板

冠木門の前には、案内看板と明知陣屋絵図があります。


明知陣屋絵図

アクリル板が歪んでいるのか、文字が見ずらい部分がありますが
絵図で陣屋の縄張りが確認出来ます。


冠木門
これより陣屋内部となります。
しかし、この陣屋内には今でも村上氏の末裔の方がお住まいなので
ちょっとだけ覗いて御迷惑にならないよう短時間で退散。


村上邸
陣屋内は村上家の一段上には民家が数軒と、馬場や稲荷社があります。
遠山氏が参勤交代から江戸定府となり、明治維新になるまで陣屋を管理していたのが
代官の村上氏でした。


大正浪漫館

陣屋の中に大正年代風な建物があります。
個人的には大正時代ではなく江戸時代の長屋や代官屋敷の方がいいな
と思ってしまうのですが、これもまた時代を感じさせる(ちょっと新しいですが)ものではあるので
由としましょう。



来年から始まる大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されることに合わせ、
大正ロマン館1F展示室に「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」を開設される予定です。
大河ドラマ館では、大河ドラマに登場する衣装や小道具など、大河ドラマに関する展示される予定です。
それにしても、年々ドラマ館の数が増えてますね^^;



まだ、開館前の時間なので残念ながら入れません。
そこで、張り紙などの掲示物などを見ると、もう「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」の
開設準備が始まることが書かれています。
2020年が待ち遠しいですね


眺望

ここからは城下を見下ろすことが出来ます。


水堀

陣屋の外と背後には水堀が構築されています。


記念碑
この記念碑は、2011年に大正琴が誕生して百年を迎えるということで、
大正ロマン館に大正100年事業の一環として、「大正琴誕生百年記念之碑」を建立されました。
大正琴はお隣ですが、かなり近い愛知県が発祥なのですね。



大正琴の記念碑の前を通り、更に上に登って行くと古民家が見えます。


旧三宅家

明智町馬木地区にあったものを、平成3年に明智町が譲り受けて
翌年この地に移築復元したものです。



まだ、開館する時間ではなかったので残念ながら中は見られませんでした。


御城印

こちらで御城印が販売されているようです。
欲しいなあと思いつつ、別件の用事があるので開館を待つ時間も無く
ここは断念。
またの機会に入手しよう!


さざれ石

岐阜県揖斐川町にあるさざれ石公園のさざれ石(細石)が
日本の国歌「君が代」の歌詞のもととなったようですが、岐阜県ということで
このように庭石のひとつとして鎮座しています。



この先は明知城です。


秋葉山砦

この先には秋葉山砦があり、そこには秋葉神社があります。
秋葉山砦には寄らずに明知城へと進んでみます。



この先は山城臭がぷんぷんします。
一般の観光客は来てもこの辺りまでで引き返すでしょう。



害獣用の「わな」が設置してあります。
…ということは、この付近にも害獣が出没するのですね。
このサイズからすると、熊ではなくイノシシのようですが…リアルですね



大手道へ。
こちらは先ほどの陣屋内の民家の間にある大手道に繋がる道です。



大正時代の風情漂う建物や、明智光秀ゆかりの場所が沢山点在しているので
まだまだ見る場所が豊富にあります。
1日じっくり巡っても時間が足りないような地方ですのでまた来る機会が
訪れそうな予感がします。
また、来年かな^^;


令和元年9月29日訪問



今回の参考本
信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編
宮坂武男
戎光祥出版
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