むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

大室城(群馬県)

2017年05月27日 07時52分13秒 | 百名城以外の城
大室城おおむろじょう
別名
構造平城
築城者長尾憲景
築城年代15世紀後半(室町時代中頃)
指定史跡
場所前橋市西大室町1709 地図


大室城は白井城(渋川市白井)の長尾氏の支城でした。
豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏滅亡と共に廃城となった城です。


櫓台

本丸北側に高さとしては本丸と同じ位ですが高台になっています。


北曲輪

北曲輪は宅地と農地になっています。


駐車場

公民館入口です。
右の一段高くなっているのが本丸で公民館側が二の丸になります。
車はこちらに沢山駐車することが出来ます。


大室公民館

二の丸は広く、現在は公民館として活用されています。


オハツキイチョウ
前橋市指定天然記念物の「オハツキイチョウ」(御葉付銀杏)
ギンナンの実が葉の先に付く先祖返りという現象で、とても珍しい特徴を持つイチョウです。



大室城祉

ここを登ると本丸です。





大室神社

本丸には現在大室神社があります。
江戸中期に熊野神社が遷座され崇敬されるようになりました。
明治時代になると近隣の神社を合祀し、大室神社と改称されました。





下馬

二の丸を南に進むと水濠があります。
そこに架かる橋の袂に下馬碑があります。


水濠



案内看板

二の丸入口近くの水濠脇に案内看板があります。



水濠は今でも沢山の水量で活きています。



水濠に沿って城の東側から入って来る道。


水濠が良く残されています。
下馬の辺りが風情があって良い感じでした。

足元にギンナンが落ちていましたがイチョウの葉は無かったので特に変わった
光景とは思わなかったのですが、イチョウの古い姿を現物を見てみたくなりました。
城祉とは別に、時期をみてイチョウを見に来てみたいと思います。


平成29年5月20日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
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伊勢崎陣屋(群馬県)

2017年05月25日 07時11分09秒 | 陣屋・館
伊勢崎陣屋(いせさきじんや)
建造年代 1681年(延宝9年)
指定史跡 
場所 伊勢崎市曲輪町
【 地図 】


那波氏に属する赤石左衛門が築いた赤石城(伊勢崎城)があったとされる場所に、
伊勢崎2万石を分領された酒井氏が伊勢崎城(赤石城)を改修して伊勢崎陣屋を構えたとされています。


伊勢崎市立北小学校

現在、陣屋跡は市立図書館や小学校の敷地になっています。



道路がかつての堀跡の名残と思われます。


同聚院の武家門
同聚院の総門で元は初代伊勢崎藩主稲垣長茂の屋敷門であったと推定されます。



昨年までは同聚院の山門として正面にあった門ですが現在は新しい山門(仁王門)が建築され
正面から北へ14メートルほど移動されました。



赤石左衛門の菩提寺として建てられた同聚院。
伊勢崎市の重要文化財に指定されています。

石塔

武家門横にある石塔。


仁王門

新しい山門(仁王門)が建てられました。


文明の石幢

同聚院内にある1480年(文明12年)に造られた石造物です。
こちらも伊勢崎市の重要文化財に指定されています。


陣屋跡と伊勢崎城跡(赤石城)はほぼ同じ場所ということで遺構と言っても
陣屋であった頃の山門と家臣の屋敷跡が残されているという以外はこれと言って
陣屋と城祉を分けるような遺構があまり残っていません。

近くのお寺を廻ってそれらしいものはないかと探したものの古くから伝わるものは
ちらほらあるようでもお城に関してのものはこれと言ってみつけられませんでした。

真夏のような日差しの中散策して歩いたので熱中症になりかねないと早々に退散。
時間があれば図書館を利用するのも手だったなあとも思います。


平成29年5月20日訪問


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伊勢崎城(群馬県)

2017年05月24日 05時45分26秒 | 百名城以外の城
伊勢崎城いせさきじょう
別名赤石城
構造平城
築城者赤石左衛門
築城年代不明
指定史跡
場所伊勢崎市曲輪町 地図


那波氏に属する赤石左衛門が以前の赤石城からこの地(後の伊勢崎城)に移って築城するも、
また同じ「赤石城」と名付けました。

由良成繁の侵攻により赤石城は落城、赤石城から伊勢崎城に改名されました。
伊勢崎城は後に「伊勢崎陣屋」が築かれ、伊勢崎藩の藩庁が置かれました。



伊勢崎市立図書館

この地に伊勢崎城があったとされていますが遺構はまったくありません。
地形と地名だけがかつての城跡を想像させます。
それでも何か無いものかと辺りを探してみたのですが
みつかったのは草木のなかにひっそりと景色に同化した石物でした。
(城に関係あるものかどうかはまったくわかりません)


石塔

図書館北側の駐車場内にある小さな庭に点々とある石碑。
何の意味があるのかはわかりません。


石柱

立っている石碑には「赤城登山 産泰二ノ宮」と記されているのが読み取れます。
倒れている方は写真では上の方が読めないのですが「〇〇〇沼田清水越」と読むことが出来ます。
これもなぜここにあるのか、どんな意味があるのかわかりません。


石仏

石仏とライオンズクラブの碑があります。
これもなぜここにあるのかわかりません。


広瀬川

河岸段丘に造られた城は天然の要害、水堀の役を果たす川を利用して築かれています。


小学校

図書館の東側には伊勢崎市立北小学校があり、小学校の敷地内が二の丸にあたるらしい。
グラウンドの隅に石碑がいくつかあります。
土塁?っぽい土盛もあります。…が、これは古くからのものではないようですね
残念ながら石碑も土盛も城祉とは関係無さそうです。


この日は5月なのに真夏のような暑い日でした。
図書館に車を置き、歩きまわったのですがめちゃめちゃ暑くて歩き疲れました。
今後は熱中症にならないように水分補給をしなくてはならない季節ですね。


平成29年5月20日登城


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赤石城(群馬県)

2017年05月22日 06時41分50秒 | 百名城以外の城
赤石城あかいしじょう
別名
構造丘城
築城者赤石左衛門
築城年代1521年~1528年
指定史跡
場所前橋市飯土井町城山 地図

那波氏一族の赤石左衛門が築いた城といわれています。
後に赤石左衛門は伊勢崎市に移り、伊勢崎陣屋を築きますが
その前進となったのがこの赤石城です。
神沢川とその支流の間にある舌状台地に築かれ、南北に曲輪があったようですが
現在は工場と宅地で遺構はあまり残されていません。



土塁と堀

川を堀として一段上がった宅地と工場の部分が曲輪にあたります。





川沿いにある祠。
土塁の名残も見られます。



わずかな段差が曲輪の面影…宅地として消えた遺構。


舌状台地

舌状に延びた曲輪。
右側が舌状の先になっていて川が交わる位置になります。



赤石城跡であったことを示すものは標柱のみ。
いろいろな方のブログ等を検索して以前は城跡を示す木の標柱があったことがわかりました。
私が訪れた時にはその木製の標柱が無く、宅地に整地する際に撤去されてしまったようです。
現在は新たに標柱が立てられているそうなのでまた訪れてみたいと思います。



平成29年5月20日登城


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬
峰岸 純夫,齋藤 慎一
吉川弘文館
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加納城(岐阜県)

2017年05月19日 07時30分34秒 | 百名城以外の城
加納城かのうじょう
別名沓井城
構造平城
築城者奥平信昌
築城年代1602年(慶長7年)
指定史跡国指定史跡
場所岐阜市加納丸の内 地図
城郭検定出題あり

初代城主は徳川家康の娘(亀姫)の婿である奥平信昌が勤めました。
奥平信昌は上野の国「宮崎城」(群馬県富岡市)の城主で関ヶ原合戦の武功により10万石で加納城に
入城しました。

岐阜には二つの『岐阜城』があると言われています。
斎藤道三や織田信長の居城として有名な金華山に築かれた岐阜城と
もうひとつの岐阜城がここ加納城とされています。


北門入口にある案内看板。
ここから北に向かってJR岐阜駅までの間に中山道が通り宿場町も広がり
城下町の中心部が広がります。

加納城CG

加納城はこのように水に囲まれた二重堀の城でした。


北門跡

立派な石垣が見られます。
石垣は本丸を囲んで良い状態で見ることが出来ます。


本丸石垣

角は算木積、他は野面積みで関ヶ原合戦後落城した岐阜城から石垣の石を
運んだと伝わります。


本丸跡

しっかりした土塁に囲まれているせいか広いのになんだか圧迫感を感じます。


天守台跡
この石垣の上にかつて岐阜城から解体され運ばれたという天守があったという話もありますが
天守は築かれなかったとも言われています。
実際は岐阜城の麓にあった館邸を移して修築したようです。


北東角二重櫓跡

本丸の土塁の隅には二重櫓が建てられていました。


鐵門跡

この奥が大手口です。
徳川氏初期の特徴である「外枡形」になっている場所を内側から見ています。


南東角二重櫓跡

ここにも二重櫓がありました。



外枡形の上に居ます。





本丸南側水堀跡

かつて加納城は水堀と川に囲まれていて「水に浮かぶ城」でした。
明治維新の後、水堀は埋められてしまい建物もすべて取り壊されてしまいました。
現在は石垣と土塁が残っているのみになりました。





臆病門跡



加納公園案内マップ

南側入口にある公園の案内マップ。


トイレ

公園の周囲にはトイレや駐車場が完備されています。


加納城本丸にある案内看板の説明を読んで、「奥平信昌…」ん?聞いたことあるなあ、というか群馬から来たんじゃない?
と思ったら地元城主さまではないか!!
そうか、ここに入封したことで宮崎城は廃城になったんじゃん
すっかり忘れてました。


平成29年5月4日登城



童友社 1/350 日本の名城 岐阜城 プラモデル S27
童友社
童友社
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沓井城(岐阜県)

2017年05月18日 07時23分05秒 | 百名城以外の城
沓井城くついじょう
別名加納城
構造平城
築城者斎藤利永
築城年代1445年(文安2年)
指定史跡国指定史跡
場所岐阜市加納丸の内 地図


沓井城は加納城の前身で革手城を守るために築かれた城とされています。
その後斎藤道三が岐阜金崋山に稲葉山城(岐阜城)を築いたことで居城を移し沓井城は廃城となりました。

関ヶ原合戦後に徳川家康の娘(亀姫)婿である奥平信昌を城主に迎え、落城した岐阜城の館をこの地に写し、
修築して後に「加納城」となりました。


本丸土塁

本丸の周囲は土塁で囲まれています。


本丸

本丸が国の史跡に指定され、発掘調査が行なわれた時には土塁や堀底からは畝状の「堀障子」があったことが
判明しています。


西側の土塁

こちらは崩れかけているのか土塁上を散策することは出来ません。



本丸内側から見た南側の土塁。


東側の土塁








南側の土塁




トンネルのような、獣道のような土塁への道。


開園時間

訪れたのが夕方だったため、一瞬焦ったのですが5月から時間延長になっていたため
追い出されることはありませんでした。よかった。



同じ場所に前期、後期に分かれて別の城があったとされているのですが
前期の方の沓井城の遺構を見つけることはできませんでした。
というのも沓井城が廃城になった上に加納城を築いているため、遺構は地中に
残っていて見ることはできません。
面影と言っても徳川時代の色ばかりで土塁があっても下は石垣なので沓井城当時のもでない
と思われます。
船田合戦を語るうえでは重要な拠点として語り継がれ沓井城、その後の加納城と両方の城名が
しっかりと残されているのですね。



平成29年5月4日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
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墨俣城(岐阜県)

2017年05月17日 05時57分30秒 | 百名城以外の城
墨俣城すのまたじょう
別名一夜城
構造平城
築城者豊臣秀吉
築城年代1566年(永禄9年)
指定史跡
場所大垣市墨俣町墨俣1742-1 地図


木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられる墨俣一夜城。
実際は一夜では完成出来ないので当時としては異例な短期間で築城されたために「一夜城」と
呼ばれている由来です。
現在この地には遺構は残されていないのですが歴史資料館として模擬天守が建てられています。


太閤出世橋

この正面に車が数台停められますがすぐにいっぱいになってしまいます。
ここで撮影する人が多いので交通に注意です。


木下藤吉郎像



大垣市墨俣歴史資料館(エントランスホール)



墨俣の自然(1階郷土展示室)

川に接しているため水害と戦ってきた様子がわかります。


墨俣築城之巻(2階常設展示室)

旧家吉田家でみつかった前野家古文書の内容が展示されています。
一夜城築城の様子から稲葉城(岐阜城)攻めなどの解説をしているフロアです。



破風裏に置かれた模型。


立身出世之巻(3階常設展示室)

墨俣一夜城を築いた後の出世街道まっしぐらな様子を描かれたフロアになっています。


刀剣



種子島鉄砲



絶景墨俣(5階展望室)

眼下には、公園整備が進んでいる様子を見ることが出来ます。
そして正面の山をよ~く見ると、稲葉山城(岐阜城)がここから見えるのです。


豊國神社
墨俣城模擬天守を建てる際、大坂城公園にある豊國神社から分祀された豊臣秀吉(豊國大明神)を祀る神社です。


一夜城築城のこと

旧家吉田龍雲家所蔵の前野家古文書に描かれている築城の状況を説明した看板です。


太閤秀吉出世の泉

見た目にはおもしろいオブジェです。


出世ひょうたん

豊臣秀吉は「千成ひょうたん」を馬印にしていました。
願い事を書いたひょうたんは10月の「すのまた秀吉出世まつり」でかがり火となり、
炎と共に天に届き願いが叶うそうです。


金の鯱鉾

外観を見て目を引くのはやはり金の鯱鉾。
実は4月に資料館内に展示されている純金を貼った鯱鉾の模型(約800万円相当)が盗難されかけたそうで
ニュースになっていました。
過去に2回盗難に遭っていたそうですが、今回は警備員がかけつけケースにヒビが入ったものの鯱鉾は無事で
事件は未遂に終わりました。

鯱鉾と言えば名古屋城。火事を防ぐためのおまじないのために屋根に載せられているのですが、名古屋城では
鯱鉾を降ろすと災害が起きると言われていて名古屋の人々は名古屋城の金鯱をとても大切にしているそうです。
ここ墨俣城でも水害という自然災害が過去に起きているので鯱鉾が盗まれるとなると一大事です。
しかし、墨俣城の金鯱盗難事件は単に金を狙った犯行なのか墨俣城模擬天守に納得がいかない者の犯行なのかと
盗難事件があるたびにささやかれているそうです。





一夜城は話には有名な場所なので以前から一度は訪れてみたいと思っていた場所でした。
遺構は無いので地形や近くの宿場町など見て歩き、歴史に触れてみるのが楽しいと思います。
そもそも一夜で築いた城ということで、当時は模擬天守のような立派な天守閣を持つ城ではなく砦のような
城であったと考えられ当時を偲ぶにはちょっと違いすぎるのではないかという声は多いようです。
これだけの資料が展示されていて語り継がれる材料があるということは、
あくまでもここは城跡に建てられた歴史資料館ということで良いのではないかと私は思います。




平成29年5月4日登城


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霊山城(福島県)

2017年05月15日 20時21分37秒 | 百名城以外の城
霊山城りょうぜんじょう
別名霊山国司城
構造山城
築城者北畠顕家
築城年代1334年(建武元年)
指定史跡国指定史跡
場所伊達市霊山町石田 地図
城郭検定出題あり


未登城の城







見所メモ行ったら観たい覚書
親不知子不知と護摩壇


 おぼえておこう!
1級】南北朝時代には山岳系密教寺院が城郭化に利用されたが、東北地方で南朝方が最後まで死守した密教系山城はどれか。



よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書
小和田 哲男
学研プラス
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丹波亀山城(京都府)

2017年05月15日 17時55分01秒 | 百名城以外の城
丹波亀山城(たんばかめやまじょう)
別名 亀岡城
構造 平山城
築城者 明智光秀
築城年代 1578年(天正6年)
指定史跡 
場所 亀岡市荒塚町内丸1
【 地図 】


未登城の城





 おぼえておこう!
藤堂高虎は、今治城の天守を解体して、新城の伊賀上野城天守とするつもりでしたが、徳川家康の天下普請に使用するために天守を丹波亀山城に献上してしまいました。



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羽黒城(愛知県)

2017年05月15日 05時49分45秒 | 百名城以外の城
羽黒城(はぐろじょう)
別名 梶原館
構造 平城
築城者 梶原景親
築城年代 1201年(建仁元年)
指定史跡 
場所 犬山市羽黒
【 地図 】


織田信長に仕えていた梶原景親の城で本能寺の変で信長に殉じて梶原家は絶えた。
豊臣秀吉期には山内一豊の母親が梶原家の出身ということで小牧山合戦の際この城を守った
とされるが羽黒城は焼けた後廃城となりました。


入口

宅地の中に入口があります。


土塁跡

興禅寺の敷地内にある土塁で道路からも案内看板とともに見えます。



アパート脇の路地を入っていきます。
ちなみに車は侵入できません。


竹林公園

アパート裏は竹林一帯が公園になっていて案内看板があります。



この先の竹林が城跡になります。
城は実態はよくわかっていないのですが公家屋敷のような寝殿造に準じた居住重視の
屋敷のような館であったと考えられています。



土塁と石があります。


堀跡

竹林の中には堀のような跡もありますが遺構の実態は明らかになっていません。


羽黒城古墳

もともと古墳であった場所に羽黒城はあります。


羽黒城祉碑

大正6年に地権者の石田市五郎氏が愛知県に働きかけ、建立されたものです。


案内看板

大河ドラマ「功名が辻」の放映時期に立てられたであろう案内看板もあります。


興禅寺

1174年に梶原景時によって真言宗光善寺を創建されたのがはじまりで、1476年に梶原景綱によって
臨済宗妙林寺派興禅寺として生まれ変わりました。
小牧長久手の戦いの前哨戦羽黒合戦による戦火で焼けてしまい廃寺寸前だったところを
犬山城主小笠原氏によって梶原屋敷であった現在の場所に再興されました。


山門

本堂とともに国登録文化財に指定されいます。(昭和14年築)
早朝に訪れたため興禅寺の中まではお邪魔しませんでした。






興禅寺と竹林公園(古墳)一帯が梶原屋敷だったようで地域の方々の協力によって
遺構は残されているようです。
明確になるような発掘調査はされていないようで判明していることが少ないようですが
平成24年に発掘調査が行なわれ、その時には中世の茶碗や瓦が出土されたようです。



平成29年5月4日登城
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碓氷峠に城跡

2017年05月13日 18時04分50秒 | 歴史のつぶやき


今日の地元新聞のトップは安中市の碓氷峠でみつかった「陣城」の記事です。
県内で陣城は初めての発見とあって注目を集めています。
さっそく私も行ってみたいです!
但しこれからの時期は藪と虫が嫌~な季節です(^^;
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難波田城(埼玉県)

2017年05月12日 07時39分54秒 | 百名城以外の城
難波田城なんばたじょう
別名
構造平城
築城者難波田高範
築城年代南北朝時代
指定史跡
場所富士見市南畑 地図


平安時代の終わり頃から「武蔵七党」という武士団の中で金子氏が活躍していました。
金子氏は幕府から難波田(南畑)の地が与えられ難波田氏を名乗るようになりました。


富士見市立難波田城公園

閉門40分前ほどに到着。
急いで散策するも、時間が足りな~い


(城跡ゾーン)

東門
駐車場にはトイレも完備。まずは東門から入城!


復元木橋

木橋は平成8年の発掘調査により二の曲輪と三の曲輪を結ぶために架けられた木の橋です。
写真奥東屋のある部分が二の曲輪(馬出曲輪)です。



きれいに整備された公園です。


三の曲輪



食い違い小口

食い違いを表現されている


菖蒲田

花菖蒲や水連が咲く頃にはさぞかしきれいなんでしょうね


追手門

ここから四の曲輪と外の道路に繋がります。
冠木門に屋根がかかっている棟門です。


難波田城資料館

ここは城跡ゾーンと古民家ゾーンを繋ぐ通り道(区切り)にもなっています。


本城門(冠木門)

本城入口に冠木門があります。
この先本城は住宅地になってしまっています。


難波田氏館跡碑

一の曲輪(本城)にある難波田氏館跡碑。








十玉院墓地

江戸時代には難波田城跡に修験道寺院がありました。
明治5年の修験廃止令により十玉院は廃寺となりました。


駐車場


(古民家ゾーン)

旧金子家住宅
水子に金子家の母屋として明治4年に建てらた民家です。


農家のかたわら油商も営んでいたので広い土間や揚戸など商家の造りにもなっています。


水塚

洪水などの非常時に備えた土蔵で、宅地全体を盛り土しさらに一部を塚のように高く盛っています。


旧鈴木家表門

明治時代の中期以降に造られたと思われる長屋門です。
針ヶ谷村の名主をつとめていた鈴木家に造られた表門を移築したものです。


井戸



穀蔵



旧大沢家住宅

江戸時代に大久保村の名主をつとめていた大沢家の母屋です。
明治4年に建築され、「式台」と呼ばれる玄関や付書院を構えた奥座敷のある造りです。


文庫蔵



難波田城に到着した時は資料館や古民家が5時で閉まった後で、公園駐車場は6時まで開いていました。
「ここも6時に閉めますよ~」と職員の方から声を掛けられ急ぎ足で散策してきました。
見学出来るところも多く、昼間は学芸員さんの話が聞けるとあってやはりこの時間に訪れるのは
もったいなかったなあと悔やみます。
とは言え、遠出をすれば欲が出て少しでも多くの城跡が見たいと思ってしまうので日が暮れるまで
行けるだけ城攻めしてしまいます。
今度近くに行くことがあったら資料館や古民家内部を見学してきたいものです。


平成29年4月30日登城


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松戸城(千葉県)

2017年05月11日 08時00分59秒 | 百名城以外の城
松戸城まつどじょう
別名
構造平山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所松戸市松戸 地図


松戸城があったと推定される戸定ヶ丘歴史公園。
あくまでも推定であって、どこのどの部分が城郭かということは判明していないとのことです。
(松戸市戸定歴史館の職員説)
松戸城跡というよりは徳川家の住まいと庭園の公園といった感じです。


駐車場

左側が入口に近い駐車場になります。
あまり広くないのですぐにいっぱいになってしまいますがこの駐車場の手前にも(少し下る)駐車場が
完備されています。




戸定邸入口の門。
萱葺屋根の貫禄のある門構えです。


松戸市戸定歴史館

こちらで松戸城の話が聞けたらと思って寄ってみましたが、手がかりはありませんでした。
歴史館の受付で詳しい係員の方に聞いていただいたところ、松戸城がどこにあったのかさえ判明していないとの
ことで驚きました。
近頃は松戸城がどの辺にあったのかというような質問が増えたそうですが特定できていないというのが
回答だそうです。

不老門跡碑



戸定の藤まつり

市民から寄付された藤の花が見ごろでした。
香りも良く、香りにつられて大きな蜂もいるので興奮させないように注意しながら
ハチさんといっしょに鑑賞。(ちょっとこわい


石垣

公園の中にある石垣。
いつごろのものか、城に使われていたものなのかまったくわかりません。


戸定邸

将軍徳川慶喜の弟で徳川昭武の住まいで、徳川家唯一の一般公開されている屋敷と庭園です。


使者の間

コウモリの欄間がめずらしい。コウモリは福を招くと言われているために使われているようです。


押入れの床板は見事なケヤキの一枚板です。


廊下



表座敷

戸定邸で中心となる場所で、皇室や華族家の大切なお客様を迎える部屋です。






眺めも良く庭園が奇麗に見えるばかりでなく、眺望は富士見百景に指定されていて条件に恵まれると
富士山が見えるようです。
ちなみにこの日は見えませんでした。残念。


洗面所

この洗面台は増築部分にあり、大正時代になってからのものです。
孫夫婦の新婚生活時代に使われたもので畳の上に膝をつき、顔を洗ったそうです。
この洗面台には引き出しが付いていて、引き出しの中にはタオルが入っていたそうです。


湯殿

昔は桶にお湯を汲んで体に掛けるという入浴方法だったのでしぶきが飛ぶことを考えて
段差を造ってあるようです。



家族や来客が使った浴槽です。
この浴槽は昭和になってから造られたもので昭武が使っていた頃は浴槽がありませんでした。


湯殿天井

回し張りと呼ばれる技法で、杉板が貼られています。
当時からこの造りだったかわからないのですが通気口が見えるので換気の面でも
かなり考えられた天井の造りだと思います。





松雲亭

昭和53年に造られた茶室で、茶会などに貸し出しもしています。


徳川将軍珈琲

明治時代、徳川慶喜が好んで飲んだという珈琲。
徳川家と珈琲は昔から深い関わりがあったそうです。
「徳川将軍珈琲」として慶喜が飲んだという珈琲を徳川慶喜家4代目の当主が再現。
駐車場の売店でも購入可能なのでおみやげにいかがでしょうか。

ちなみに子供の日が近かったのでお菓子は柏餅。
私は将軍珈琲とこしあんの柏餅、旦那はお抹茶とみそあんの柏餅をいただきました。


城跡を見に来たつもりでしたが遺構はほとんどみられませんでしたがその分じっくり戸定邸を観ることが
出来ました。
わりと屋敷や御殿なども観る機会があるのですが、私が興味を示したのはやはりお風呂と洗面所の造りです。
板の間に流し台があるのはよく目にするのですが畳敷きになっているのを見たのはここが初めて。

おもしろいものが見られたと思います。


もっと沢山の写真も撮って来たので紹介したいところですがあれもこれもいっぱいになってしまいそいうなので
現地で実際の戸定邸を見ていただくのが一番!だと思います。




平成29年4月30日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房
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鷺沼城(千葉県)

2017年05月10日 05時54分11秒 | 百名城以外の城
鷺沼城さぎぬまじょう
別名鷺沼館
構造平山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所習志野市鷺沼1-9 地図


鷺沼城祉公園は八剣台の台地上にある古墳群です。
公園内には二基の前方後円墳があることが確認されています。
鷺沼氏の居城であり、源頼朝が石橋山の戦いの後、兵を整えた館(鷺沼旅館)があったところとされている。


鷺沼城祉公園碑
城址公園らしさを醸し出す入口。



朝訪れた公園には散歩や体操、マラソンをしている人が居ました。



公園らしく遊具も置かれています。


鷺沼古墳

古墳の碑と案内看板があります。



小屋の中を覗き込んでみるとそこには箱式の石棺跡があります。
元々2つあった石棺のうち1つは破壊されていたそうです。
南房総から運ばれてきたそうで、蓋石で覆われていました。
石棺の中には成人男性二人分の骨が入っていたそうで、破壊されたもうひとつの石棺に入っていた
遺骨をひとつにまとめたのではないかと想像します。


はにわ

出土した埴輪は「下総型円筒埴輪」という下総地方独特の埴輪で6世紀後半のものと推定されています。


鷺沼源太満義諸武士之碑

この大きな碑の後ろにある祠が鷺沼源太満義の墓とされています。
鷺沼氏は千葉氏とも深い関わりを持つ鷺沼の地の豪族であったとされています。



見渡しても城跡らしきものは見つからず…。



北西側に付けられた階段。


入口

北西からの公園出入口。
こちらから公園を出て朝の城さんぽ終了。
やっぱり朝の城さんぽは気持ちいいものです。
とは言うものの、ここはかつてのお墓でもあるのですよね。
ちょっと複雑な気分…
(でも、それを言ったら城跡なんて生々しいとこばかりじゃないかってことになっちゃいますけどね。)


平成29年4月30日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
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大椎城(千葉県)

2017年05月09日 05時28分56秒 | 百名城以外の城
大椎城おおじじょう
別名
構造平山城
築城者平忠常
築城年代平安時代中期
指定史跡
場所千葉市緑区大椎町 地図


千葉氏発祥の地といわれ千葉氏の最初の居城が大椎城でした。
後に猪鼻城(千葉城)に居城を移したことで大椎城は廃城となりました。


案内看板

通称「チバリーヒルズ」の先、新大椎橋を渡る手前に管理用水路の方へ入って行きますが、わかりずらいので
橋の手前を注意しながら通り過ぎないように左折して入って行きます。
すれ違いは出来ない細い道です。



この先は民有地になります。
訂正:以前は私有地だったそうですが市有地になっているそうです。
私有地と市有地の境界にはロープが張られているそうです。


後沢

草が生い茂っていてわかりずらいのですが池のようになっています。



民有地ではあるのですが遊歩道のように道が整備されて奥の方に延びています。
訂正:市有地では公園整備がされていて散策可能だそうです。


出丸

村田川に向かって突き出ているかのような丘はどうやら出丸のようです。



郭のように見える広場がありますが縄張り図で見ると郭はもっと山の上の方にあります。



段差もあり益々興味深い広場に見えるのですが…。



しかもこの段差は虎口のような切り口もあってとても気になります。


三の堀

道を進むと堀切が見えて来ます。
しかし辺りはどんどん暗くなってなって足元が見えなくなってきました。
スマホの明かりでは限界があります。そろそろギブアップです。



この先をどんどん進むと本丸まで行けるようですが、日が暮れてしまい周囲はライトがないと歩けない
状態になってしまったのでこの先に進むのは断念しました。
入口を見つけるのに時間がかかってしました。


立山城同様、ここまで来たのにとても中途半端な報告になってしまい悔しいです。


平成29年4月29日登城


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