むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

水尾城(大阪府)

2023年10月09日 | 百名城以外の城
水尾城みずおじょう
別名
構造平城
築城者平尾孫左衛門
築城年代1480年(文明12年)
指定史跡
場所大阪府茨木市水尾3丁目3−9 地図

水尾城は、応仁の乱で全焼した紫雲山西方浄土寺の焼跡に造営された中世城郭です。
平尾孫左衛門は三好三人衆に属し、美濃の斎藤妙椿が没したあと主家斎藤家の内紛のため平尾孫左衛門は、
斎藤家と離れて西方浄土寺の焼跡の高瀬川に沿った一画に、新しく環濠の砦を築きました。
現在は水尾小学校の西、水尾図書館の北にある伯光神社の境内に石碑があるのみで遺構は残っていません。



伯光神社

この祠は伯光神社といい、伯光大明神が祀られています。
天保6年(1835年)の同社由来書によれば、当地の奥田家の長屋門新築の地鎮の儀に際し、
稲荷さげの巫女に楠の大樹に811年に及び伯光大明神が宿っているとのお告げをうけ、
奥田四郎左衛門ほか4名が講元となって祀ったといいます。
なお前年の天保5年夏の大旱害に村人達は藁でつくった竜をこの大樹に天に向かって這わせ雨乞いをし、
その恵みをうけ、その霊感をえたのでしょう。
その後幾度かにわたり旱害の折、祈りと願いが続けられてきました。
竜は藁束を縄で巻き、長さ5間程(約9メートル)の胴を作り、
鱗として琵琶の葉を一面に挿し、眼や歯は茄子、ヒゲや手足は竹で型どり、
大きく開けた口からは薄くはいだ青竹の皮で風でゆらぐようにつくられました。
頭部は辰巳の方向に延びた枝に置き、尻尾は水をたたえた酒樽に浸し、
立てた高張提灯の灯で照らし出し夜通し竜に水をかけて祈る。
このように7日間昼夜祈りつずけても、雨の降らない時は、その竜を高瀬川に流し、
もう一度新しい竜を作りなおして再び祈りつずけたといいます。
祈願の功あって雨に恵まれた時は、太鼓の合図で
「テントのおかげ、ヒヤクに米1斗5升」といって村人が神酒を酌み交わして、
神に感謝し、喜びを共にしました。
この地が灌漑用水に苦労する土地であった事が特異な雨乞い習俗を生んだ一因であろう。
この行事は、昭和22年(1947年)の大旱害を最後に、このような催しは途絶えました。
それは淀川を経て琵琶湖の水を利用する灌漑用設備が整ったためです。
現地看板より



楠木

この木は茨木市が保存樹として指定した木です。
稲荷さげの巫女に楠の大樹に811年に及び伯光大明神が宿っている
とのお告げをうけたという御神木のようです。



児童公園にもなっている伯光神社の境内。
こじんまりとした神社ではありますが、とても綺麗に管理されています。


城址碑

この城址碑、正面から撮影するの難しいです。
フェンスの隙間から撮れないものかと、屈んで狙って見たものの
石碑全体を写そうと思うとやはり無理があり、正面からはフェンスが入らない写真は撮れませんでした💧



フェンスと城址碑の間って、これしかないのです。
人ひとりしか通れない・・・

肝心なお城の縄張や詳細も分からず・・・でした。


令和5年7月16日登城





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