今日は英国のロックバンドQueenのボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなった日からちょうど15年目に当たる。15年前の私は彼のファンではなく、彼がAIDSで死亡したニュースを聞いても、あの男なら当然だろう、と感じた。好きになったのは彼の死後5年後だった。
フレディ・マーキュリーに関しては様々な本が出ている。そのほとんどがロック関連だが、ジム・ハットンさんの本『フレディ・マーキュリーと私』はフレディの知られざる素顔と私生活が描かれている。ファンの間では通称“庭師本”と呼ばれているが、著者のジムさんはフレディの最後の恋人だった。ロック記者には絶対書けない人間ファルーク・バルサラの姿がある。フレディの最期を看取ったのもジムさんだ。
生前フレディは恋多き男として知られていた。ロックスターにドラック・セックスはつき物であり、彼も例外ではない。ただし、彼のお相手は同性で、何故か好 みは彼の友人の言葉を借りればいかつい「トラック野郎タイプ」ばかり。しかも非インテリぞろいで、バンドのメンバーとは対照的な者だったのは興味深い。人 の趣味は様々なのでこの種の男たちを好んだ理由は不明だが、インテリのえげつなさを敬遠し、自分にないものを求めたのだろうか?
「恋人の数はエリザベス・テイラーより多い」と豪語したフレディ。豊富な恋愛体験はミュージシャンとしての創作には大いにプラスになったが、同時に夭折する原因ともなる。
ジムさんの手記には著者とフレディのなれそめが書いてある。彼は知り合った当時ポップミュージックに疎くフレディを知らなかったと言っていた。ゲイ・クラ ブでジムさんとフレディが出会い、彼は他のボーイフレンドと来ていたにも係らず、フレディが声をかけてきたと本にある。彼はまさにフレディ好みのがっしり した体型の容姿だったから。ジムさんは一緒にいたB.Fから彼はフレディ・マーキュリーだと知らさせる。
その後B.Fと別れたジムさん はフレディと付き合うようになる。フレディはインタビューで「人に強く印象付けるためには、思い切ったことをしなければダメだ」と語っていたが、恋愛にし ても彼はその姿勢を取っていたようだ。ジムさんに限らず、フレディはトンでもない切り出し方をするのが得意だった。「君のディックはどれくらい大きいの?」。聞かれた相手はまず戸惑うだろう。さすが、Play The Game の達人か。
フレディは「僕はセクシャルな人間だ。いつでもどこでも、やりたい」と語ったことがあるが、ジムさんの本ではその発言が誇張ではなかったのが分かる。常に 欲望が叶えられるロックスターらしく、彼は性衝動を抑えられなかった。「フレディは積極的にも受身にもなったが、僕たちの関係ではどちらかというと受身の 方が多かったようだ」と意味深な箇所もあるが、ゲイでは男役と女役が入れ替わるのか?異性愛者にはよく分からない世界だ。
しかし、終始主導権を 握っていたのはフレディ。ジムさんと付き合い始めたばかりの頃、フレディは他にも若い男と浮気もする一方、恋人には嫉妬の目を光らせる。自分の魅力を知り 抜いている者ゆえのワガママも通すが、天性の魅力で惹き付けるのはスーパースターだけのことはある。たとえ彼が異性愛者でも、恋人に対する態度は変わらな かったろう。
フレディは日本を愛したスターだった。それも人気商売ゆえのリップサービスではなく、彼の場合は心から日本を愛したが、パールシーと いうインドの少数民族の出だったのも大いにあるはずだ。彼は日本美術工芸品のコレクターとしても有名だったが、正倉院の御物がいい例だが、遠い昔日本がペ ルシア文化の影響を受けたことを彼は知っていたのだろうか。歴史書を丹念に読むタイプではないと思うが。ジムさんも同行した1986年9月末の日本旅行は 本の中でも面白い箇所だ。
その②に続く
◆関連記事:「フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー」「ボヘミアン・ラプソディ」
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フレディ・マーキュリーに関しては様々な本が出ている。そのほとんどがロック関連だが、ジム・ハットンさんの本『フレディ・マーキュリーと私』はフレディの知られざる素顔と私生活が描かれている。ファンの間では通称“庭師本”と呼ばれているが、著者のジムさんはフレディの最後の恋人だった。ロック記者には絶対書けない人間ファルーク・バルサラの姿がある。フレディの最期を看取ったのもジムさんだ。
生前フレディは恋多き男として知られていた。ロックスターにドラック・セックスはつき物であり、彼も例外ではない。ただし、彼のお相手は同性で、何故か好 みは彼の友人の言葉を借りればいかつい「トラック野郎タイプ」ばかり。しかも非インテリぞろいで、バンドのメンバーとは対照的な者だったのは興味深い。人 の趣味は様々なのでこの種の男たちを好んだ理由は不明だが、インテリのえげつなさを敬遠し、自分にないものを求めたのだろうか?
「恋人の数はエリザベス・テイラーより多い」と豪語したフレディ。豊富な恋愛体験はミュージシャンとしての創作には大いにプラスになったが、同時に夭折する原因ともなる。
ジムさんの手記には著者とフレディのなれそめが書いてある。彼は知り合った当時ポップミュージックに疎くフレディを知らなかったと言っていた。ゲイ・クラ ブでジムさんとフレディが出会い、彼は他のボーイフレンドと来ていたにも係らず、フレディが声をかけてきたと本にある。彼はまさにフレディ好みのがっしり した体型の容姿だったから。ジムさんは一緒にいたB.Fから彼はフレディ・マーキュリーだと知らさせる。
その後B.Fと別れたジムさん はフレディと付き合うようになる。フレディはインタビューで「人に強く印象付けるためには、思い切ったことをしなければダメだ」と語っていたが、恋愛にし ても彼はその姿勢を取っていたようだ。ジムさんに限らず、フレディはトンでもない切り出し方をするのが得意だった。「君のディックはどれくらい大きいの?」。聞かれた相手はまず戸惑うだろう。さすが、Play The Game の達人か。
フレディは「僕はセクシャルな人間だ。いつでもどこでも、やりたい」と語ったことがあるが、ジムさんの本ではその発言が誇張ではなかったのが分かる。常に 欲望が叶えられるロックスターらしく、彼は性衝動を抑えられなかった。「フレディは積極的にも受身にもなったが、僕たちの関係ではどちらかというと受身の 方が多かったようだ」と意味深な箇所もあるが、ゲイでは男役と女役が入れ替わるのか?異性愛者にはよく分からない世界だ。
しかし、終始主導権を 握っていたのはフレディ。ジムさんと付き合い始めたばかりの頃、フレディは他にも若い男と浮気もする一方、恋人には嫉妬の目を光らせる。自分の魅力を知り 抜いている者ゆえのワガママも通すが、天性の魅力で惹き付けるのはスーパースターだけのことはある。たとえ彼が異性愛者でも、恋人に対する態度は変わらな かったろう。
フレディは日本を愛したスターだった。それも人気商売ゆえのリップサービスではなく、彼の場合は心から日本を愛したが、パールシーと いうインドの少数民族の出だったのも大いにあるはずだ。彼は日本美術工芸品のコレクターとしても有名だったが、正倉院の御物がいい例だが、遠い昔日本がペ ルシア文化の影響を受けたことを彼は知っていたのだろうか。歴史書を丹念に読むタイプではないと思うが。ジムさんも同行した1986年9月末の日本旅行は 本の中でも面白い箇所だ。
その②に続く
◆関連記事:「フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー」「ボヘミアン・ラプソディ」
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mugiさん程の方ならば、ご存知のことかと思いますが、「フレディ・マーキュリー、人生と歌を愛した男」というタイトルの映画もあります。私は会社の後輩(非女王・フレ様ファン)と鑑賞しました。が、内容は、、、。相棒も反対の席のおばさんも寝ているし、、、(汗)。ライトなフレ様ファンとしては、あまりにもフレ様、女王の扱いが粗末で、憤慨ものでした。
(それでも、涙腺の緩い私は、フレ様を思い、涙を流してしまったものですが。)
(※http://www.toshiba-emi.co.jp/queen/movie/)
上記の映画の中でも、フレ様の誕生日のドンちゃん騒ぎの映像もありました。かなり、引きそうな場面、多々でしたが。人生を楽しむのが、パールシーだから、という言葉で片付けるのには、、やや乱暴なような気がします。
(そして、乱痴気騒ぎをするのも、自らが抱いた闇や、不自由に対する裏返しの一部のように思えてなりません。)
映画の中では、フレ様の初恋の女性(?)とされる方も出演していました。また、インド寄宿生時代、美術の先生だった人の娘もコメントもインパクトがありました。それは、小学・中学生時代(??)からすでに、フレ様は男友達を「ダーリン」と呼んでいたそうです。そして、ジム・ハットン(映像では、キ○イおっさんでしかありませんでしたが)とフレ様の関係は、フレ様が主婦・女王であったと。凡人には理解しがたいものがあります。
最後に、ライトなフレ様ファンとしてはお恥ずかしい限りですが。このようなCDを、先日、購入しました。以前、ご紹介いただいた、ラリー・ルレックス(?)名義の「GOIN' BACK」も挿入されていたので、ついつい、購入しました。しかし、ファン道とは、本当に奥が深いものですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000GRUR7I/80sworld-22%20%20%20%20%20%20%20%20%20/
映画「フレディ・マーキュリー、人生と歌を愛した男」は東京のみで上映なので、私はDVDで見る他ありません。24日の東京はフレディ没後15周年のイベントがありましたが、これも行けませんでした。
映画の内容はあまり芳しくないようですが、ファンなら気になりますね。
ゾロアスター教の教義は禁欲主義を否定してますが、インドに長く住んでいるパールシーはやはりヒンドゥーの影響も受けてます。ヒンドゥーの行者のように苦行や断食をする者も少数ながらいるのです。フレ様の乱痴気騒ぎは個人の趣味だと思いますね。物事をとことん追求する完全主義者でもあるので、遊ぶ時は徹底して羽目をはずしたのでは。
あと、彼がゲイなので、ゾロアスター教が同性愛に寛容と誤解される方がいますが、これは間違いです。善行のない同性愛者は地獄行きの対象。生前大いに善行もあるフレ様なら、地獄に落ちないと思います。
フレ様がよく語尾に「ダーリン」「ディアー」の言葉を使っていたのは有名ですが、少年時代からすでにそうだったのですか
ゲイとは先天的なものなのでしょうか?
ジムさんをメンバーや友人には平気で恋人と紹介しても、両親の前では庭師だ、と言ったのは後ろめたさがあったのかもしれません。
映画「人生と歌」は既にDVDになっていたのですね。それにしても、Q関係のDVDは高い!Q貧乏に陥ります…
フレディーとクイーンを愛して30年以上の月日が流れました。いろいろな方のHPやブログを拝見し、いまだ衰えぬクイーン人気を嬉しく思う私です。映画はDVDで見ましたが、幼い頃や無名時代のフレディーを始めて知る事が出来て嬉しかったです。家族のインタヴューは興味深く見ましたが、一説によると14歳で同性愛を知ったという話もありますので、もう少し家族の方が傍にいてあげられたらよかったのかも、などと思ったことも事実です。ジム・ハットン氏の本は、恥ずかしながら昨年初めてその存在を知り2時間足らずで読了!考えさせられました。
これからも色々な本をご紹介ください。人気ブログランキングのクリックは欠かしません。お体に気をつけて、ありがとうございました。
拙ブログを読まれて頂いたこと並びにランキングクリックを有難うございました!
ファンになられて30年以上とは、現役で聴かれた世代ですよね。
私も現役で聴ける年代でありながら、フレディの生前は敬遠していたのが今更ながら悔やまれます。
寄宿学校時代、フレディが14歳で同性愛を体験したとのエピソードは結構有名ですが、たとえ家族と暮らしていてもその方面に進んだように思われます。
フレディの身近にいた人物だけにジム・ハットン氏の本は、スーパースターの知られざる一面が描かれていて面白い。闘病シーンは辛いものがありました。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
私もフレディ・マーキュリーの情熱的で素敵な歌声に魅了されました。
あなたのブログに軽く目を通しましたが、「台湾に住んでいる洋画、洋楽、ファッション、J-POPが大好きな台湾人」なのですか?台湾に帰化した日本人ではなく、本物の台湾人でしょうか??ならば日本語が大変お上手ですし、まさか拙ブログに外国人からコメントが来るとは予想もしておりませんでした。
仰るとおり、人類の病で現時点での最大の脅威はエイズとガンでしょう。伝染しないガンはともかく、エイズ感染者に対する教育の普及が早急に求められます。これがなければ差別は続く上、感染者が表面化しにくいため、反って病が潜在化する恐れがあります。
当時はかなり差別意識の強かった不治の病と闘いながら、最後まで音楽活動を続けたフレディ・マーキュリーの人生は、私も感銘を受けました。
私はフレディみたいに才色兼備ではないので幼い頃から自分の容姿や才能にコンプレックスを持っていました。
私は子供っぽくて大人の世界やルールをまだ完全に理解しきっていないので、自分はやっぱりウブなのかなと恥ずかしく思う時があります。
エイズや性感染症はゲイに限らず、異性愛者にとっても脅威です。フレディの生前は一部のゲイが罹患する病気と思われがちでしたが、男女間でも感染するし、未だに不治の病。治療薬の質は向上してきても、完治まではいかない。
才色兼備の人は滅多にいませんし、容姿や才能の両方に恵まれないのは私も同じです(笑)。そして、私も若い頃はかなり初心だったと思うし、今でも成熟したとは思えないのです。
以前私は親や社会の価値観を唯一の真理だと深く信じていたので馬鹿だなと今反省しています。
私も飯島愛みたいに親と大人そして社会に裏切られ、周りの人間にはすごい不信感と警戒心を抱いていました。
イギリスの女優ヴァネッサ・レッドグレイブの旦那さん監督のトニー・リチャードソンもバイセクシュアルでエイズで命を奪われました。
私もかつては欧米人の性に対する貪欲とも見える姿勢や恋愛行動が理解できませんでしたが、数は少なくとも厳格なほど禁欲的なタイプもいることを知って、妙に安心させられました。私自身、恋愛にはかなり乏しい体験しかないため、あれだけ積極的で前向きな行動が取れる人をむしろ羨ましく思えます。
飯島愛はまだ36歳の若さで亡くなりましたね。その前の引退も不可解だったし、芸能界は複雑な世界です。私自身は幸い親や大人、社会に裏切られたことはないため、逆にのほほんと育ちました。
ヴァネッサ・レッドグレイブといえば、政治的発言で知られますよね。パレスチナ寄りの発言をしたため、反ユダヤ主義者と言われたことがあったことを憶えています。