トーキング・マイノリティ

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E婆へのブログ論評 その二

2022-12-19 21:10:30 | マスコミ、ネット

その一の続き
 5年前の12月、F爺に関する記事をアップするに当たりF爺のブログにさっと目を通したが、「突然の手紙」「押し掛け」という記事が私の気を引いた。どちらも2014年付の記事だが、前者は「1994年頃から(*)約16年ほど(**)、ストーカー被害を受け続けました」という一文で始まり、「F爺に会いたいと言うB子」がF爺の実家に押し掛けてきたというのだ。
 あのF爺がストーカー被害者だった??ほぼ5年に亘り、黛まどか氏への執拗な人格攻撃同然の非難記事を連投しているF爺自身、相当なネットストーカー気質にしか見えないし、この性格ではリアルでもストーカーをしていたのではないか……と疑いたくなる。

 但し「突然の手紙」「押し掛け」に見る体験談が事実とすれば、約16年ほどもストーカー行為を続けた女がいることに驚く。そしてF爺の処女作『トルコのもう一つの顔』のあとがきには、「特に終始惜しみない御尽力と励ましをいただいた京都産業大学の平井悦子氏」の名が挙げられていた。世話をした友人諸氏の中で実名が挙げられていたのは、平井氏だけだった。
 F爺による攻撃対象は私も含め女性が多く、ミソジニーを拗らせた爺と感じていたが、意外に女にモテていたのやら。学者に憧れ、恋をする女もいるはず。

 E婆のブログ記事を読むと、サブタイトルの“あるときは厳しくあるときは優しく”というより全般的に厳しいが、文章は私よりもずっと上手く、手慣れている印象を受けた。10点満点で得点をつけているので、学校教師でもしていたのだろうか?
 学者や教師は総じて世間知らずであり、ブログからE婆も世間知らずだと感じた。E婆はF爺が早く本来の学者に戻ってほしい、晩節を汚してはならないと繰り返し書いていたが、端からそんなことはないものねだりなのだ。E婆の寸評によってかえって過激化したのは否めない。

 E婆も含めとかく日本人は学者という人種を理想化しがちだが、学識や博士号を持つゲスもいるし、道徳的な正しさまでも有しているとは限らない。F爺こそその見本で、ネットは良くも悪くも学者の実態を可視化してしまった。
 日本だと少数民族の言語研究者というだけで絶賛される傾向があるが、少数民族言語研究者は他国でも少なくない。真摯な学者気質から選択する方は多いが、一部の外国人日本研究者のように、博士号や教授の肩書がほしくてマイナー部門研究を選ぶ者もいるのだ。
 学者だって野心があり、特にマイナー言語であれば、その道の第一人者となれるが、世界で研究しているのはその研究者1人ということも。学会では20年前に書いた論文でも通用することもあるという。

  他のブログも同じだろうが、gooブログの編集ページにはアクセス解析機能があり、管理人だけが見ることが出来る。アクセスされたページとアクセス元ページが表記され、時々拙ブログにE婆が訪問していることが分かる。F爺関連記事のみならず、動物裁判のような2009年の古い記事や最新記事にもアクセスしていた。F爺の求めに応じ、「標本M」の動向を監視続けているのだろうか?
 私はF爺よりもmugi成りすましを決め込んだE婆に腹を立てているが、F爺ウオッチャーに相応しく興味深い記事が幾つかある。中でも「「小島剛一」の小さなミスと大きな嘘と信頼失墜」(2018/06/17)は圧巻。こちらとしても利用できるものは利用したい。

 F爺のブログ読者だったnamaさんから頂いたコメント「尊敬できるかどうかは品格の問題」で、F爺のブログにコメントしていたmichiko.kyさんをネット・ゴキブリと罵倒したことは知っていたが、E婆はその詳細を書いている。
 間違った歌詞を載せたのはF爺なのに、その歌詞を修正した後は自分を惑わせたmichiko.kyが悪いと責任転嫁、後はお定まりのネット・ゴキブリ論を展開している。06/17の記事にはF爺とmichiko.kyさんが交したコメント時間まで載っており、F爺のブログに張り付いている者でなければ到底書けなかったはず。

「michiko.kyさんが小島氏に断固抗議して自身のブログにでも書いていれば、もっと早く問題は表面化していたことでしょう。しかし、michiko.kyさんは音沙汰なしです」と述べるE婆だが、早く問題が表面化していても燃料投下で炎上したと思う。F爺は嬉々としてネット・ゴキブリ論を延々と続けたはず。
 先の記事からもF爺の隠ぺい、でっち上げ、歪曲手段が載っており、元から論点ずらしや捏造工作が十八番だったとしか見えない。論点ずらしはひろゆきも長けているから、昨年の2人のバトルは同類嫌悪と言ったネット民がいた。

 しかし、いくら文章を改ざんした所でウオッチしている者がいればコピペを取られ、曝されてしまうのがネットの怖さ。F爺が「標本M/E」(mugi=E婆)論を飽くことなく書き連ねるのは、己の捏造を必死に隠そうとする下劣極まる手段に過ぎない。 
 但し大晦日の「撤退にあたって1」には全記事数が本来は203件もあったことが載っており、現代公開されている記事数はたった26であることから、E婆も清廉とは言えない。
その三に続く

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