トーキング・マイノリティ

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「白」への固執

2022-07-14 21:10:09 | 読書/ノンフィクション

中野京子と読み解く運命の絵』(文藝春秋)を先日読了した。中野氏の肩書にはドイツ文学者とあるが、作家だけあり彼女の美術エッセイは実に面白い。本書で最も面白かったのは「「白」への固執」、アルマ=タデマの『フェイディアスパルテノン神殿のフリーズ』への解説だった。
 本書でアルマ=タデマという19世紀のオランダ人画家を初めて知ったが、後に彼はイギリスに帰化したという。トップ画像は「ローレンス・アルマ=タデマの世界」のHPからの借用で、フェイディアス(=ペイディアス)とはパルテノン神殿建設の総監督だった建築家・彫刻家。フェイディアスの名も本書で知った。

 フリーズとは建物にめぐらした水平の帯状小壁で、彫刻が施されることが多い。パルテノン神殿のフリーズや彫刻を展示しているアクロポリス博物館にあるのは一部レプリカで、本物は大英博物館が所蔵している。画像の左上にはパルテノン神殿のフリーズが描かれており、そのド派手な極彩色に仰天させられたはず。以下の作者の感想は殆どの読者と同じだろう。
ギリシャやイギリスで実際に鑑賞した人はもとより、美術の教科書で見たミロのヴィーナスを覚えている人ならだれでも、この絵に描かれたフリーズに強烈な違和感を覚えるに違いない。なぜ人間も馬もペンキのような、(現代人の目から見て)どぎつい非芸術的な色に塗られているのだろう、と。(103、106頁)

 実は古代ギリシア・ローマの彫刻や浮彫が極彩色に彩色されていたことは、現代では一般にも知られるようになってきた。しかし、専門家の間ではかなり前から知られていたという。遺跡から発掘された彫刻の殆どは土中にあったため色を失っていて、建造物の彩色も風雨によって剥落してしまう。発掘者も研究者も、そして一般の人々も、すっかり無彩色の彫刻を見慣れてしまう。
 さらに悪辣なことに1930年代、大英博物館関係者により勝手に大理石表面が過剰洗浄され、必要以上に白くされ、二度と本来の着色が再現出来なくなってしまう「エルギン・マーブル」事件が起きている。

 研究者等は僅かながら石に色が残存することに気付いていた。それがギリシア・ローマ彫刻=純白で、白い彫刻は美しいという美意識を欧州に広く深く植え付けたのこそ、18世紀半ばに活躍したドイツの考古学者にして美術史家のヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン。ヴィンケルマンは彩色が施されていたことを知りながら、ギリシャ文明は白と主張したのだ。
 ヴィンケルマンの影響力がドイツに留まらなかったのは、彼がローマ法王クレメンス13世により法王領の古美術監督に任命され、イタリア在住だったから。
 当時ローマには欧州中から芸術家や評論家が集まっており、ヴィンケルマンは彼らの指導的役割を担った。やがて彼らがそれぞれ自国に帰り、新古典主義芸術を広める過程で、彫刻の美も白へと定着、強化されてゆく。

 20世紀からギリシアはイギリスにフリーズの返還を要求してきたが、現代に至るまで拒否され続けている。ギリシアが止む無くレプリカを飾っているのはこのような事情なのだが、イギリス側の言い分はこう。大英博物館に置いた方が世界中の人々に入場料無料で鑑賞させられるし、芸術品保護も万全だ、と。
 エルギン・マーブル事件だけで美術品保護はウソだったことが知れる。美術の専門家と言えど、多くの入場者を集めるためなら、白くすればするほど大衆は喜ぶと踏んだのだ。専門家の言など全面信用できないという教訓でもある。

 日本の教科書執筆者は知らなかったかもしれないが、日本人に古代ギリシア・ローマ彫刻=純白の固定観念に貢献していたのだ。私の学生時代の世界史や美術教科書は白大理石の彫像ばかりで、その美しさに息を呑んだ学生は多かったはず。
 必ずと言ってよいほど、プリマポルタのアウグストゥス像は世界史教科書に載っているが、ネット上には着色されたアウグストゥス像が幾つも見られる。「古代の彫像に色をつけて元の姿を再現」という記事にはアウグストゥス像以外の彫像が紹介されているが、やはり白の方が良かった、、、

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2 コメント

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Unknown (鳳山)
2022-07-16 08:27:43
中野さんってテレビに出ている心理学者の人かと思ったら別人でしたね。あれは信子さんでした。

ギリシャ、ローマ彫刻って白がスタンダードじゃなかったんですね。初めて知りました。
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鳳山さんへ (mugi)
2022-07-16 22:15:15
 ギリシャ、ローマ彫刻は白がスタンダードではなく、実は極彩色に塗られていたことは暫く前に知りました。しかし、白がスタンダードと言ったのが世界的な専門家だったことは本書で初めて知りました。

 研究者や専門家など己の地位や権威、既得権益のためには平気で史実を捏造する人種なのが分かりましたよ。
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