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マリー・アントワネットと5人の男 その一

2022-11-23 21:30:23 | 読書/欧米史

マリー・アントワネットと5人の男:宮廷の裏側の権力闘争と王妃のお気に入りたち』(エマニュエル・ド・ヴァリクール著、原書房)を先日読了した。フランス革命やフランス史にはすっかり興味をなくしても、少女時代にベルばらに夢中になったため、マリー・アントワネット関連本は未だに気になり、読まずにいられなくなる。
 暫く前の「スポンジ頭」さんのコメントで本書のことは知っていたが、行きつけの図書館の西欧史のコーナーにも置かれていたので借りた。フランス史に特に関心のない方でも、18世紀のフランス宮廷貴族の実像は興味深いだろう。

 原書房では本書をこう紹介している。
マリー・アントワネットの「お気に入り」だったローザン、ブザンヴァルヴォードルイユフェルセン、エステルアジとの交流と当時の宮廷における権力闘争、嫉妬、典型的宮廷貴族像を、最新の研究成果から浮き彫りにする。
 本書は上下2巻からなっていて、上巻は「マリー・アントワネットと「王妃の集まり」」で革命前までのアントワネットの暮らしに触れ、お気に入りだったローザン公爵、ブザンヴァル男爵の生涯を描いている。下巻は残る3人のヴォードルイユ伯爵、フェルセン伯爵、エステルアジ伯爵への記述。

 邦題を見て、少しショックを受けた読者もいたのではないか?マリー・アントワネットのお気に入りで知られているのはフェルセンを除き、ポリニャック夫人ランバル公妃のような貴族女性が殆どだ。邦題だけではフェルセンの他に4人もの愛人がいたのか?、と誤解されかねない。
 原題は「Les Favoris De La Reine」、ズバリ王妃の(男の)お気に入りである。但し王妃の隠れた愛人を暴露する内容ではなく、お気に入りと云われた5人の男たちの軌跡を扱った著作なのだ。上下巻の表紙裏には以下の解説がある。

マリー・アントワネットはそれまでの宮廷社会にはなかった新たな概念を持ち込んだ。すなわち「王妃の集まり」だ。この集まりは限られた者にしか許されず、そこに入るための基準は、王族との密接なつながりという客観的なものではなく、王妃の酔狂だけだ。競争相手を排除して生き残ることができるかどうかも、重要な要素だった。(本文より)」(上巻)
彼女は性格的には自尊心が高く移り気で、その人生に目を向ければ、幼いながらに母国の政治の犠牲となって、複雑で傷ついた心を抱える男性の妻にさせられた。王妃のお気に入りたちについて考えるとき、こうした要素をつねに念頭に置いておく必要がある。(本文より)」(下巻)

 王妃のお気に入りとなった男たちは、軍人もしくは軍服が似合うという共通点があった。洗練され優雅、端麗な外見を持ち、エステルアジ以外は堂々たる偉丈夫だった。イケメンは何時の時代も女の人気の的だが、性格の面でも父を早くなくし夫は気弱な性格だったためか、強い性格の男性を好んだ。彼女のお気に入りの男性たちには気骨があり、その多くが戦争で手柄を立て、我こそ勝利者なりとの自負に値する戦歴を誇っていた。
 但し本書で取り上げられた男たちの中で、アントワネットと同年齢なのはフェルセンのみ、他は全て年上だったという。ブザンヴァルはアントワネットが王妃に即位した時(1774年)には53歳になっており、王妃の集まりの中でも最年長だった。

 意外だったのは5人お気に入りのうち、フランス人は2人だけだったこと。フェルセンがスウェーデン人なのはベルばらファンで知らない人はいないが、ブザンヴァルはスイス人、エステルアジはハンガリー人だった。18世紀のフランス宮廷貴族はフランス人ばかりではなかったようだ。
 革命前のフランス史に詳しい方でもない限り、フェルセン以外のお気に入りの名は一般には知られていない。ひと口にお気に入りといえ、彼らの人生は色々、革命を見事に乗り切った者もいれば、革命時に処刑された男もいる。取り巻きの中でもヴォードルイユは復古王政後のルイ18世の時代まで生き、1817年1月17日、76歳で死んだ。

 革命時に処刑されたのはローザン公爵。アントワネットより8歳年上で、家柄と外貌に恵まれていたが、著者に言わせると、「18世紀の放蕩者の典型のような人物」。18世紀の貴族に相応しく稀代の誘惑者として知られていたが、ふとした失言で王妃の寵愛を失ってしまう。
 王妃の不興を買い、冷遇されるようになったローザンはそれを恨み、オルレアン公と接近し、反王室、反王妃活動をするようになる。革命勃発後は遮二無二軍人として革命防衛に従事、戦功をあげたものの、内戦に嫌気がさし軍人を辞めると、すぐさま反革命の容疑をかけられた。

 ローザン公爵は逮捕され、革命裁判所に出頭したが、判決は死刑。1793年12月31日、彼は処刑されるが、その2カ月前には同じ場所でアントワネットが処刑されている。夫とはずっと不仲だったローザンの妻は、配偶者というだけで投獄され、翌年6月27日に「反逆罪の共犯者」として処刑された。
その二に続く

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