その一、その二、その三の続き「ダウリー(持参金)と一人っ子政策」というブログ記事は実に興味深い。インドと並び中国も女児間引き大国であり、儒教的伝統に加え一人っ子政策がそれに拍車をかけている。記事には中国での男女比が男:119に女:100、インドのそれは男:111、女:100とある。男女比の拡大の行きつく先を記事では次のように分析している。「インドも中国も売春大国だが、この男女比を解消できないのであ . . . 本文を読む
その一、その二、その三の続き 近隣諸国との関係や外交政策について述べた個所は興味深い。 ・7-154 [諸王の]輪円(マンダラ)内の友好関係と敵対関係及び動静について、正確に[思い巡らすべし]。 ・7-155 [自国の敵及び征服を企てている王と国境を接している]中間国の王の動静、征服を企てている王の動き、中立の王及び[自国の]敵の動静について慎重に[思いを巡らすべし] 輪円(マンダラ)内というのは . . . 本文を読む
その一、その二の続き マヌ法典の第7章、第8章では「王の生き方」が説かれており、支配者としての政治論が語られている。外交や内政はもちろん刑罰や訴訟についても書かれているのは興味深い。この論法は何処かカウティリヤの『実理論』と重なるものがあり、現代でも通じる思想と感じた個所が結構見られた。7章ではまず王の正当性と神聖化が語られており、その一部を紹介したい。 ・7-2 規則に従ってヴェーダによる清めを . . . 本文を読む
その一の続き 『マヌ法典』とは文字通り、世界の創造主ブラフマー(梵天)の息子で人類の祖マヌが、この世界に存在する全ての人間たちにとってのあるべき生き方(ダルマ)を説くかたちとなっている。話半ばで続きを聖仙(リシ)の1人であるブリグに託し、以降はブリグによって法典が語られるという形式が取られている。 人としての正しい生き方が説かれているといえ、もっぱらバラモンのそれが記述されている。これに支配身分と . . . 本文を読む
先日、ヒンドゥー教の法典『マヌ法典』(東洋文庫842、渡瀬信之訳注)を読了した。渡瀬氏は巻末の解題で、この法典(ダルマ・シャーストラ)が成立した背景を次のように述べている。 紀元前6世紀頃のインドで、禁欲苦行主義の台頭により、それまでの家中心の正統的な社会が揺らぎ、社会の再編が求められた。その際、社会の再編の切り札とされたのが、社会の中核としてのブラーフマナ(バラモン)、クシャトリア、ヴァイシャ . . . 本文を読む
その一、その二、その三、その四の続き 骨肉の争いに苦悩するアルジュナに対し、クリシュナは微笑して答える。ここからクリシュナの教えが始まり、ギーター全編のテーマとなる。 ―あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。私は決して存在しなかったことはない。あなたも、ここにいる王たちも……。また我々は全てこれから . . . 本文を読む
その一、その二、その三の続き バガヴァッド・ギーターの中でも大変有名なのが、次の言葉だという。―あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ(2-47)。 私が初めてギーターを見た時、この文章が特に印象に残った。何事もいい加減な私の性格のためだと思っていたが、ギーターを読んだ著名な欧米人思想家も、この箇所にひきつけられたそう . . . 本文を読む
その一、その二の続き 日本の神社や寺で、何故狐が稲荷神として祀られているのか、不思議に思う人もいるのではないか?『聊斎志異』のような中国の古典には狐が人を化かす話がよく見られるため、私は大陸の影響もあると思っていたが、上村勝彦氏はインドとの結びつきを考えている。 シヴァ神の妻カーリー女神に仕える魔女たちはダーキニーと呼ばれ、これは荼枳尼(だきに)と音写された。ダーキニーは子供や女をさらい、カーリー . . . 本文を読む
その一の続き 残念ながら日本では、仏典はよく読まれていてもギーターはそれほど読まれていないようだ、と上村勝彦氏は嘆く。だが、世界的なレベルで見れば、般若心経よりもギーターの方が遥かに読者を持っているのだ。かたちだけの一仏教徒の私でも、意味不明でクソ面白くもない般若心経よりギーターが人気を集めるのは当たり前だと思う。 知ったかぶりで、「フランスでは仏教徒が増えている」等と書いていたブロガーがいたが、 . . . 本文を読む
『バガヴァッド・ギーターの世界』(上村勝彦著、ちくま学芸文庫)を、先日再読した。この本の副題は「ヒンドゥー教の救済」であり、上村氏はギーターを引用しながらヒンドゥー教の思想を解説している。聖書やコーランに比べ日本ではかなりマイナーなギーターだが、序章の題名は「日本に入ったヒンドゥーの神々」。日本人はヒンドゥー教の最も良質の部分を、仏教を通じて受け入れたと著者は考えており、「日本人は隠れヒンドゥー教 . . . 本文を読む