昭和20(1945)年7月10日は仙台空襲が行われた日だ。使用された焼夷弾10,961発、高性能爆弾8個による絨毯爆撃で仙台中心部は焦土と化す。被害は死者1,066名、被災人口57,000人(人口の約26%)、被災戸数12,000戸、被災面積5平方キロメートル(市街地の17%)と、北日本の都市で最大規模のものの一つだった。
私の母は宮城県北部出身で、当時二人の姉は仙台の軍需工場に勤労奉仕に来ていた。空襲があった日は仙台から50㎞は離れているにも係らず、南の方角の空が 赤くなっているのが見えたそうだ。娘二人の安否を心配した祖父は仙台まで歩いて消息を尋ねた。幸い二人とも無事だったが、焼け野原となった仙台は「見られ たものでなかった」と多くを語らなかった。もちろん、当時日本の都市は軒並み「見られたものでなかった」状態だったが。
母の故郷は内陸の軍事関連施設もない小さな町なので空襲は受けなかったが、それでも農作業中のお百姓が米軍偵察機に銃撃され、死亡している。単なる遊びの試し射ちだったのは言うまでもない。
空襲後の仙台中心部の写真を見たことがあるが、日本全国の他の都市と同じく見事な焦土だった。現代は高層ビルと人通りの絶えない中心部からは想像もつかな いほどの惨状である。自分の生まれ故郷の焼け野原は、いかに戦後生まれであれ見るも辛い。アメリカ版三光作戦の結果なのだか、現代のイラクも同じような状 況だろう。
仙台の市民活動家や平和団体が終戦近くなると必ずこの悲劇を取り上げ、「二度と戦争を起こしてはならない」「平和を維持すべし」 とスローガンを掲げるのが年中行事となっている。もちろん彼らの主張は正しい。そして彼らの結論は必ず「平和憲法墨守」「憲法第9条を守れ」に落ち着く。 だが、戦争を起こさないことイコール戦争に巻き込まれないとは絶対限らない。ほとんど非武装状態だったチベットの悲劇が典型だが、侵略国は必ず警備の薄い 国を狙うものだ。インドや中国もムガル、清朝の全盛時代なら、欧米や日本も絶対手出しはしなかったはず。平和も長続きする保障はない上、国力も変わるも の。かつての侵略国が被害国となり、被抑圧者が弾圧者になるのは歴史上珍しくもない。
戦争や大惨事後、「二度とこのようなことがあってはならない」とはマスコミ好みの決まり文句だ。しかし、人間は誤りを繰り返す生き物だ。昔読んだアメリカの作家フリッツ・ライバーのファンタジーで、魔道士が主人公にこう諭す。「“決して”も“永久に”も、人間に縁のないもの」。日本の作家・塩野七生 氏は『ローマ人の物語』12巻(新潮社)で、こう書いていた。
「平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねない」
「平和憲法墨守」を叫んで平和が維持できると考えるのは、度し難い夢想家だ。再軍備イコール戦争への道、を繰り返す反戦・平和主義者には全くうんざりさせ られる。最近、自称大阪の反戦・平和活動家のブログを目にしたが、イエローペーパー並みの内容はともかく、HNが“遊牧民”とは笑える。どんなHNを選ぶ かは自由だが、“遊牧民”とは全く相応しくない。中央アジア、中東問わず遊牧社会では反戦など論外、戦うことを止めたら、敗北者として認められない。定住 農耕民と異なり、妥協や平和的解決を忌み嫌う風習なのだ。全く世界の反戦平和を訴える者に限り、世界の事情が分かってない。遊牧民の末裔国のトルコにこん な諺がある。
「革命と初夜とビフテキで、血の流れないものはよくない」
非武装中立を叫ぶ政党が最大野党だった日本の常識こそ、世界でも稀なる非常識だろう。
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私の母は宮城県北部出身で、当時二人の姉は仙台の軍需工場に勤労奉仕に来ていた。空襲があった日は仙台から50㎞は離れているにも係らず、南の方角の空が 赤くなっているのが見えたそうだ。娘二人の安否を心配した祖父は仙台まで歩いて消息を尋ねた。幸い二人とも無事だったが、焼け野原となった仙台は「見られ たものでなかった」と多くを語らなかった。もちろん、当時日本の都市は軒並み「見られたものでなかった」状態だったが。
母の故郷は内陸の軍事関連施設もない小さな町なので空襲は受けなかったが、それでも農作業中のお百姓が米軍偵察機に銃撃され、死亡している。単なる遊びの試し射ちだったのは言うまでもない。
空襲後の仙台中心部の写真を見たことがあるが、日本全国の他の都市と同じく見事な焦土だった。現代は高層ビルと人通りの絶えない中心部からは想像もつかな いほどの惨状である。自分の生まれ故郷の焼け野原は、いかに戦後生まれであれ見るも辛い。アメリカ版三光作戦の結果なのだか、現代のイラクも同じような状 況だろう。
仙台の市民活動家や平和団体が終戦近くなると必ずこの悲劇を取り上げ、「二度と戦争を起こしてはならない」「平和を維持すべし」 とスローガンを掲げるのが年中行事となっている。もちろん彼らの主張は正しい。そして彼らの結論は必ず「平和憲法墨守」「憲法第9条を守れ」に落ち着く。 だが、戦争を起こさないことイコール戦争に巻き込まれないとは絶対限らない。ほとんど非武装状態だったチベットの悲劇が典型だが、侵略国は必ず警備の薄い 国を狙うものだ。インドや中国もムガル、清朝の全盛時代なら、欧米や日本も絶対手出しはしなかったはず。平和も長続きする保障はない上、国力も変わるも の。かつての侵略国が被害国となり、被抑圧者が弾圧者になるのは歴史上珍しくもない。
戦争や大惨事後、「二度とこのようなことがあってはならない」とはマスコミ好みの決まり文句だ。しかし、人間は誤りを繰り返す生き物だ。昔読んだアメリカの作家フリッツ・ライバーのファンタジーで、魔道士が主人公にこう諭す。「“決して”も“永久に”も、人間に縁のないもの」。日本の作家・塩野七生 氏は『ローマ人の物語』12巻(新潮社)で、こう書いていた。
「平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねない」
「平和憲法墨守」を叫んで平和が維持できると考えるのは、度し難い夢想家だ。再軍備イコール戦争への道、を繰り返す反戦・平和主義者には全くうんざりさせ られる。最近、自称大阪の反戦・平和活動家のブログを目にしたが、イエローペーパー並みの内容はともかく、HNが“遊牧民”とは笑える。どんなHNを選ぶ かは自由だが、“遊牧民”とは全く相応しくない。中央アジア、中東問わず遊牧社会では反戦など論外、戦うことを止めたら、敗北者として認められない。定住 農耕民と異なり、妥協や平和的解決を忌み嫌う風習なのだ。全く世界の反戦平和を訴える者に限り、世界の事情が分かってない。遊牧民の末裔国のトルコにこん な諺がある。
「革命と初夜とビフテキで、血の流れないものはよくない」
非武装中立を叫ぶ政党が最大野党だった日本の常識こそ、世界でも稀なる非常識だろう。
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まずは、先の戦争で亡くなった方々に対し、哀悼の意を表したいと思います。
戦争という災厄を防ぐことに努力するのに対し努力するのは当然だと思います。しかし、いざ戦争が起こったときの対策を考えないようでは、片落ちといわざるをえませんね。例えば車を運転している時でも、もちろん、事故を起こさないように運転するのは当然ですが、もしもの時の為のシートベルトは必要でしょう。交通事故でも、スピードの出し過ぎや、飲酒運転など、自爆の場合もありますが、こちらに落ち度がなくても、巻き込まれる事はあります。周りのドライバーすべてが、必ずしもルールを守るというわけではないですからね。
本当に、戦争犯罪というものをなくそうと思えば、勝者・敗者を問わず、その罪を問えるようにしなければなりませんね。先の戦争にしても、中立条約破棄&抑留など、戦勝国の戦争犯罪は明らかです。しかし、自称平和団体というものは、完全にスルーですね。こういう催し物も、謝罪しない戦勝国に対し、沈黙の抗議をするという意味では、有効なのかもしれません。
(それを指摘しない、平和団体の似非さも証明していますね。)
長い歴史の中で、先の戦争のみ悪い戦争なのでしょうか?また、侵略戦争といえば、北の将軍様に指揮されたせんそうや、懲罰の名の下に戦争を繰り返すのは、悪くないのでしょうか?それも、先の戦争より後年のことなのに、簡単に忘れたのでしょうか?自分の事は自分の事を棚に上げて非難する、典型的でしょう。
>「“決して”も“永久に”も、人間に縁のないもの」
まさしくその通りだと思います。私たちが棲むこの地球とて、“決して”も“永久に”のものではないですから。普段、普通にあることの”奇跡”に対し、感謝する気持ちを持ち続けたいものですね。
仰るとおり、車の運転に関してさえ様々な対策が求められるのに、国防となれば細心の対応が必要となります。兵器を持つのは危険、と説いている平和団体は宇宙人(いるものとして)より理解できない存在です。彼らが仮想敵国の走狗ならまだしも、本心からそう思っているのでは、チャーチルの言うとおり「知能が足りない」。
「勝てば官軍」と言われますから、昔から“勝者の正義”が歴史を語ってきたのです。実際に戦って勝利したならまだしも、現実にはろくに戦わず、厚かましい嘘とでっち上げで戦勝国を自称する例もありますからね。
こちらから加害者になる必要はありませんが、被害者になることだけは何としても避けなければなりませんね。
「普段、普通にあることの”奇跡”に対し、感謝する気持ち」がもっとも稀薄なのが、平和団体ではないでしょうか。他人に平和を求める者に限り、自らは極めて好戦的だったりする。動物愛護を掲げながら、人間を省みない連中と同じです。