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禁断の中国史 その二

2022-12-12 21:10:14 | 読書/東アジア・他史

その一の続き
 中国史を少しでも知っている方なら、世界でも類を見ない残虐極まりない凌遅刑が、20世紀初めまで行われていたことは知っているだろう。罪人の肉体を生きながら小刀で切り取っていくという公開処刑だが、実行する刑吏も千回切り取る刑でその前に罪人が死んでしまったら、罪を問われることは本書で初めて知った。
 切り取られた肉は漢方薬として売り出されていたことも本書で知った。何でも吹き出物の薬になったそうで、刑の執行が終わった後は群衆が肉を買い求めたという。

 社会学者や歴史学者の中には、中国が伝統的にそのような残虐刑を実施してきたのは、中国独特の民族構成をあるという説を唱える人がいる。古代から中国は非常に多くの民族が入り乱れており、言葉や文化の異なる民族を支配するためには恐怖政治に頼ならければならなかった、と。
 確かに王朝は鮮卑系と云われ、元や清も少数民族王朝だった。多数の漢人を統治するためには、恐怖政治を敷く必要があったというのだ。

 著者はこれらを「一見もっともらしい説」と言いつつ、漢人王朝のでも残虐刑は一向に減らず、資料からは明は増えているという印象を受けると反論する。もちろん歴代皇帝の中には残虐な刑を廃止した者も稀にいたが、一時的であり、近代に至るまで無くならなかった。一般民衆もこのような刑を支持していたのだろう。

 私的に特に興味深かったのが、三章・食人と五章・科挙。世界史教科書には必ず載っている科挙だが、その実態を知らない日本人が殆どだろう。せいぜい官吏登用の超難関試験といったイメージしかなかったが、想像を絶する制度だった。
 合格者の平均年齢は36歳だったと云われ、幼少の頃からひたすら勉学、しかも試験は四書五経のみだった。試験中に精神衰弱に陥ったり、発狂したりする受験生は珍しくなかったとか。

 学生時代に魯迅の作品集を読んだことがある。その中に社会不適合者の老知識人が登場する作品があり、彼は学識はあっても仕事も出来ず金もない。タイトルはすっかり忘れていたが、しょっちゅう盗みを働き、村人に殴られている哀れな男の話だったことは憶えている。
 本書でこの作品は『孔乙己』、科挙の落第者だったことを知る。発表は中華民国時代の1919年。当時生活する術を持たない科挙の落伍者が社会問題になっていたとか。

 食人の章はやはりインパクトがあり過ぎた。『水滸伝』の人気キャラ、黒旋風李逵も憎い敵を切り取り、殺しながら食べるシーンがあるそうだが、私の読んだ吉川英治版『水滸伝』や吉川の小説を基にした横山光輝の漫画には描かれていない。太公望こと呂尚も敵国の捕虜を煮て食べたことがあっても、この話を知る人は殆どいない。
 かの国では人肉の総称は「両脚羊」と呼ばれたが、犬や豚より安かったというのは言葉もない。『資治通鑑』によれば、唐の市場で売られていた人肉は一斤(約600g)が百銭、同じ一斤の犬の肉は五百銭という記録があったそうだ。人間様の肉が犬の五分の一程度とは!

 20世紀に入ってからも食人とは無縁ではなく、中華民国時代の新聞にこんな記事が載ったという。
飢饉に見舞われた時、養えない子供を道端に捨て、飢えた人々に施すのは公徳心のひとつである
 古代からあの国は自国を「地大物博」と自慢しているのに、こうも悲惨な飢饉が頻発するのは不可解としか言いようがない。大陸の凶作はスケールが違うのによ、「両脚羊」が公然と売られていたのは中国くらいだろう。

 なぜか日本の中国歴史学者は食人の話を知りながら、著述で書いた学者は殆どいない。あまりに猟奇的で史学で扱うテーマではないと見做したのか、或いは「偉大な」中国文明には相応しくないもので、敢えて世の人に知らしめることではないと考えたのかもしれない……と著者は推測している。

 八章には「本当の中国」という見出しの後、次の文章がある。
私は以前から日本人の中国文化への誤った憧れに対して警鐘を鳴らしてきました。日本人の中国観は、日本人作家の書いた『三国志』や『水滸伝』などで、完全に歪んだものとなっています。日本人作家は『史記』などにある物語を日本風に換骨奪胎して、とても魅力的な登場人物にして描いています。敢えて言えばそれらは中国を舞台とした「日本の物語」です。そこには本当の中国人の姿の話はありません。」(213-14頁)

 中国に限らず、他の文化圏にも誤った憧れを抱く日本の文化人の多いこと。メディアはこの類を外国通として持ち上げ、外国への誤った認識を根付かせる。

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