Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

”不慮の死”から9年                好漢・荒井昌一君の想い出

2011-05-16 00:00:25 | 日記
†今日は元FMW代表取締役社長を務めて,36歳の若さで他界した〈荒井昌一〉君の9度目の”命日”にあたる。数日前にタレントの上原美優さんが自殺をした折りに,荒井君の事に少しばかり触れたけど,このブログで彼の事を書くのは初めての事です。

1989(平成元)年10月に名古屋:露橋スポーツ・センターで旗揚げをしたFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)でしたが,その数カ月前に専門誌(紙)でスタッフを募り,それに応募してきたのが荒井君に大宝と遠藤でした。

荒井君は,それまで養護施設で介護の仕事をやっていた事もあって,優しくて人当たりのいい青年でした。そして,性格の良さがその”顔”にも出てました。親御さんの育て方が良かったんだろうと思いつつも,あの女性の様な甲高い声には驚いたのなんのって……。

驚いたといえば,昼時になると西馬込の事務所で,買ってきたパンや弁当を食べてましたが,ある時に”おにぎり”を食べていたので何気なしに彼を見たらば,その時の飲み物がお茶ではなく”ジュース”だったのには本当にビックリしてしまいました。(笑)

”カルチャーショック”という言葉は適切ではないと思うのですが,まさにそんな感じでした。”おにぎり”を食べるんならば”お茶”だろうし,もし”パン”なら”コーヒー”なり”ジュース”があるだろう。「それにしても彼には味覚というものは無いのだろうか? それとも味覚音痴なんだろうか」と,当時の強烈な印象として今でも想い出します。

荒井君とは私が《FMW》を離れてからは会う事は無かったけど……秘密裏に一度,人を介して会った事がありました。場所は池袋駅に近い喫茶店でした。当時の《FMW》は《W★ING》のグッズを無断で作り,販売していたのですが……私と会った時には,おおよそ私の目的を察していたみたいでした。

久々に会った荒井君は以前と全く変わっていませんでした。あくまで低姿勢で……ポーズではなく彼の性格は分かっているだけに,こちらも強く言う事はありませんでした。お互い弁護士に任せればいいのですが,私も「彼を相手にゴタゴタしたくはない」と言う気持ちがあったと思います。この問題は,荒井君と会った事で終止符を打つ事としたのです。

《FMW》が動き出してまだ間がない頃だったと思います。大仁田氏と私と……(サンボ)浅子や大宝なんかも一緒だったか(ハッキリとは思い出せないが)荒井君の実家に伺った事がありました。その時に荒井君は得意のギターを弾きながら,彼が好きだと言っていた”かぐや姫”の歌を聞かせてくれました。

いまごろ,荒井昌一は”天国”で浅子や田辺らと楽しくやっているんだろうか? もう周りに気を使う必要などは無いから……好きな様にすればいい! そうは言っても,こればっかりは性格だからしょうが無いか。(笑)今の人達に欠けている”優しさ”や”思いやり”を忘れない君の事がみんな,大大大好きでした。今も,これからもずう~っと……。 <茨城>