†今日は元FMW代表取締役社長を務めて,36歳の若さで他界した〈荒井昌一〉君の9度目の”命日”にあたる。数日前にタレントの上原美優さんが自殺をした折りに,荒井君の事に少しばかり触れたけど,このブログで彼の事を書くのは初めての事です。
1989(平成元)年10月に名古屋:露橋スポーツ・センターで旗揚げをしたFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)でしたが,その数カ月前に専門誌(紙)でスタッフを募り,それに応募してきたのが荒井君に大宝と遠藤でした。
荒井君は,それまで養護施設で介護の仕事をやっていた事もあって,優しくて人当たりのいい青年でした。そして,性格の良さがその”顔”にも出てました。親御さんの育て方が良かったんだろうと思いつつも,あの女性の様な甲高い声には驚いたのなんのって……。
驚いたといえば,昼時になると西馬込の事務所で,買ってきたパンや弁当を食べてましたが,ある時に”おにぎり”を食べていたので何気なしに彼を見たらば,その時の飲み物がお茶ではなく”ジュース”だったのには本当にビックリしてしまいました。(笑)
”カルチャーショック”という言葉は適切ではないと思うのですが,まさにそんな感じでした。”おにぎり”を食べるんならば”お茶”だろうし,もし”パン”なら”コーヒー”なり”ジュース”があるだろう。「それにしても彼には味覚というものは無いのだろうか? それとも味覚音痴なんだろうか」と,当時の強烈な印象として今でも想い出します。
荒井君とは私が《FMW》を離れてからは会う事は無かったけど……秘密裏に一度,人を介して会った事がありました。場所は池袋駅に近い喫茶店でした。当時の《FMW》は《W★ING》のグッズを無断で作り,販売していたのですが……私と会った時には,おおよそ私の目的を察していたみたいでした。
久々に会った荒井君は以前と全く変わっていませんでした。あくまで低姿勢で……ポーズではなく彼の性格は分かっているだけに,こちらも強く言う事はありませんでした。お互い弁護士に任せればいいのですが,私も「彼を相手にゴタゴタしたくはない」と言う気持ちがあったと思います。この問題は,荒井君と会った事で終止符を打つ事としたのです。
《FMW》が動き出してまだ間がない頃だったと思います。大仁田氏と私と……(サンボ)浅子や大宝なんかも一緒だったか(ハッキリとは思い出せないが)荒井君の実家に伺った事がありました。その時に荒井君は得意のギターを弾きながら,彼が好きだと言っていた”かぐや姫”の歌を聞かせてくれました。
いまごろ,荒井昌一は”天国”で浅子や田辺らと楽しくやっているんだろうか? もう周りに気を使う必要などは無いから……好きな様にすればいい! そうは言っても,こればっかりは性格だからしょうが無いか。(笑)今の人達に欠けている”優しさ”や”思いやり”を忘れない君の事がみんな,大大大好きでした。今も,これからもずう~っと……。 <茨城>
1989(平成元)年10月に名古屋:露橋スポーツ・センターで旗揚げをしたFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)でしたが,その数カ月前に専門誌(紙)でスタッフを募り,それに応募してきたのが荒井君に大宝と遠藤でした。
荒井君は,それまで養護施設で介護の仕事をやっていた事もあって,優しくて人当たりのいい青年でした。そして,性格の良さがその”顔”にも出てました。親御さんの育て方が良かったんだろうと思いつつも,あの女性の様な甲高い声には驚いたのなんのって……。
驚いたといえば,昼時になると西馬込の事務所で,買ってきたパンや弁当を食べてましたが,ある時に”おにぎり”を食べていたので何気なしに彼を見たらば,その時の飲み物がお茶ではなく”ジュース”だったのには本当にビックリしてしまいました。(笑)
”カルチャーショック”という言葉は適切ではないと思うのですが,まさにそんな感じでした。”おにぎり”を食べるんならば”お茶”だろうし,もし”パン”なら”コーヒー”なり”ジュース”があるだろう。「それにしても彼には味覚というものは無いのだろうか? それとも味覚音痴なんだろうか」と,当時の強烈な印象として今でも想い出します。
荒井君とは私が《FMW》を離れてからは会う事は無かったけど……秘密裏に一度,人を介して会った事がありました。場所は池袋駅に近い喫茶店でした。当時の《FMW》は《W★ING》のグッズを無断で作り,販売していたのですが……私と会った時には,おおよそ私の目的を察していたみたいでした。
久々に会った荒井君は以前と全く変わっていませんでした。あくまで低姿勢で……ポーズではなく彼の性格は分かっているだけに,こちらも強く言う事はありませんでした。お互い弁護士に任せればいいのですが,私も「彼を相手にゴタゴタしたくはない」と言う気持ちがあったと思います。この問題は,荒井君と会った事で終止符を打つ事としたのです。
《FMW》が動き出してまだ間がない頃だったと思います。大仁田氏と私と……(サンボ)浅子や大宝なんかも一緒だったか(ハッキリとは思い出せないが)荒井君の実家に伺った事がありました。その時に荒井君は得意のギターを弾きながら,彼が好きだと言っていた”かぐや姫”の歌を聞かせてくれました。
いまごろ,荒井昌一は”天国”で浅子や田辺らと楽しくやっているんだろうか? もう周りに気を使う必要などは無いから……好きな様にすればいい! そうは言っても,こればっかりは性格だからしょうが無いか。(笑)今の人達に欠けている”優しさ”や”思いやり”を忘れない君の事がみんな,大大大好きでした。今も,これからもずう~っと……。 <茨城>