Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

65年前のハンバーガー

2010-07-31 18:45:16 | 日記
◇7月も今日一日……8月に入るとすぐに「東北三大祭」といわれる青森の”ねぷた祭”,秋田の”竿燈祭”,仙台の”七夕”が立て続けに行われます。
そして,今年も8月15日に<終戦記念日>を迎えますが,今年で既に戦後”65年”を数えるのですね。<終戦記念日>を前に,6日が広島の原爆記念日,9日が長崎平和記念日で,式典が模様されると思いますが……太平洋戦争で実に310万人の日本兵が尊い命を失ったと聞きます。
我が家で,唯一”太平洋戦争経験者”の母親に当時の事を聞いてみました。1945(昭和20)年8月15日……天皇陛下の”終戦宣言”を前に,当時は日比谷公園内にあった『共同通信社』に勤めていた母親はこの数日前には,この”終戦”を,耳にしていたという事です。
おそらく,広島と長崎に投下された”原爆”が終戦への決定打となり,数日後には天皇陛下によって”終戦宣言”を行う事を決めていたのではないでしょうか!? 東京で生まれ,東京で育った母親によれば,8月15日の前も後も生活する上での変化は特別なかったとか。強いて言えば五反田を立ち退き,大崎に移り住んだぐらいで,終戦後も普通に通勤していたそうです。
8月15日を一週間ほど過ぎた頃,アメリカから<GHQ>の兵隊がやってきて,『共同通信社』や近くに在った『NHK』の一室を独占して駐留していたという。兵隊達は親切で,よく母親の居た部署にもやってきては”ナッツ”や”コンビーフ”をくれたというが,生まれて初めての物ばかりだった,と言っていた。そして,私が口にする30年も前に母親は”ハンバーガー”を,何だか分からず恐る恐る(笑)食べたけど,意外と美味しかった,と当時を思い出して笑っていました。<茨城>

”素顔”のマスカラス②

2010-07-30 10:15:31 | 日記
◇15日にマスカラスが68歳の誕生日を迎えた時に,その思い出を綴ったが……マスカラスの売り出しに一役も二役も買った「ゴング」誌の竹内宏介さん(現在,病気療養中)を,来日中だったマスカラス本人が見舞った,と聞いた時は正直嬉しい気持ちでイッパイでした。
聞くところによると,竹内さんを取り巻く状況は,決していいとは言えないし,マスカラス本人が見舞ったところで,それを認識出来たかは分かりませんが……それでも私は良かったのではなかったかと思ってます。そして,竹内さんの一日も早い回復を,私もマスカラスも……皆が望んでいる事なのです。
さて,マスカラスは”初来日”から来年2月で丸40年の歳月を数えますが,私がマスカラスことアーロン・ロドリゲスの”素顔”を,初めて目の当たりにしたのはテキサス州アマリロ……あの”ファンク王国”での事。”いつ”だったかハッキリとは思い出す事が出来ないのですが,試合を終えてアマリロに戻る途中のバスの中でした。
冬の時期……テキサスとはいえかなりの雪に見舞われ,他の車からレスラー達の乗るマイクロ・バスに乗り込んできたのが,外ならぬマスカラスだった,という事はすぐピンときました。(笑)確か,この時に車が何回かスピンし,あわや大事故を起こすところだった事を覚えています。
「ゴング」誌の竹内さんのリクエストにより,メキシコに行く度にマスカラスを取材しまくりましたが,(笑)試合だけではなく,メキシコ・シティ郊外のテオティワカン(ピラミッド)に,見物人が来ない内にと朝早く出掛けて"特撮"したり,自宅にお邪魔して,無数のプライベートショットを撮ったりもしました。
私が,マスカラスを取材したての頃,まだ最初の奥さんが健在でしたが……メキシコ人ではなく,確かシカゴ生まれのアメリカ人だったと記憶してます。落ち着いた”良妻賢母”といった感じの,この奥さんが病で亡くなって暫く経ってから,弟のドスが「兄貴はプト(オカマ)になっちゃったよ」と,ジョークを言っていたのを思い出します。
兄貴とは10歳近く歳が離れている事もあって? 普段は頭が上がらないドスなのですが,この時ばっかりは兄貴が傍にいないのをいい事に? 普段は物静かなのに,何故か饒舌でしたね。(笑)まだまだ書ききれない”仮面貴族”マスカラスの意外な”素顔はまたの機会とします。<茨城>

”サザン”桑田氏のガン報道に思う私の健康法

2010-07-29 01:30:23 | 日記
◇”サザン・オールスターズ”の桑田佳裕さんが 「初期の食道ガン」に罹っているとの報道には驚いた! 昨日の昼,最初にテレビで知ってから深夜までニュース番組というニュース番組で伝えていたけど,同年代(私の方が少~しばかり年上だけども)だけに(笑)ショッキングな出来事だった。
自分自身は,あんまり覚えていないが……小学生の時に「腎臓病」で入院した位で,これといった大病に罹った事が無かっただけに,桑田さんの”ガン報道”に改めて自分の身体を見直さなければと,思ったりもした。同年輩よりは歩いているし,身体も動かしているつもりだが……。
普段は気にもしないが,よ~く考えてみると以前よりかなり疲れやすくはなったかな,と思う。(笑)横断歩道で信号が”黄色”の時にダッシュした後の息遣いが,なかなか元に戻らない……といった事もあるが,他にこれといって思いあたる節も無い。こう暑くては食欲がない……なんて事も無いのだ。(笑)至って健康だし,”頭”以外はこれと言って悪いところなど無いのだ。(笑)
健康法などといった事も無いけど,年に一回の健康診断を受けているのと,食べ物がどうしても脂っこい物が多いから,食べ終わったら”ウーロン茶”を飲む様に心掛けている。一時,80ンKgあった体重も今では70Kgをキープ! 元々,お酒もタバコもやらない代わりに”甘い物”は大好きだ。それに,好き嫌いも多いのに……何故こんなに健康体なのか,自分でもよく分からない? (笑) <茨城>

金村”復活”へのプロローグ

2010-07-28 15:30:24 | 日記
◇8月まで後5日……先月20日に試合中の怪我が元で,戦線離脱を余儀なくされ,ここ暫くはリングから遠ざかっている”元気印”金村ゆきひろだが,右足の怪我は100%完治した訳では無いものの,今月30日の『新FMW』から復活を遂げる!
4月30日のW★INGでは,スペル・クレイジーのトペコンを受けて頭を強打して,救急車で病院に直行! MRI検査を受けて,異常無しとの結果にホッと一安心したものでしたが,またまた……今度は右足を強打して異常と思える程に腫れ上がってたのが,金村からの写メでもよく分かった程でした。
この時も救急車で運ばれ,精密検査を受けた金村だが,さすがに今回ばかりは右足の筋肉が切れてしまって,跳び上がる程の痛さだったとか。まだまだ”完全復活”とまではいかないが,『新FMW』でのポーゴ&後藤に対して『W★ING』の”牙城”を守らなければと,無理を押しての”強行出場”となる!
金村は「X」を帯同,茂木との6人タッグで試合に望む! 金村は8月に入り<新宿フェイス>での高山善廣&鈴木みのるや ,天龍との戦いに挑む。出来れば(私の親心だが)完全に身体を治してからでも,と思っているが(笑)金村の性格では,一月半近くリングから離れてるだけで,ストレスも沸点に達しているのだろう。
初めて金村と会った時は,まだ21歳の若者だったが……あれから19年,来月には40歳の”大台”に突入する。(笑)そして,デビューから丸20年を迎える事となる。金村は『XWF』を11月か12月に計画している様だが,次回『W★ING』も12月の開催を目指して,準備をしていこう,と考えている。<茨城>

夏の風物詩

2010-07-27 13:00:30 | 日記
◇《夏の風物詩》といえば,やっぱり”花火”でしょうか! 既に各地で花火大会が行われてますが,今週末には恒例の<隅田川の花火大会>が行われます。更に来月19日には<明治神宮>でも行われ,全国各地でもそれこそ数え切れない程の花火大会が行われます。
特に”隅田川”は毎年,テレビ東京が生中継しており,現地に行かなくたって,その”雰囲気”を味わう事が出来るのです。隅田川……といえば,真っ先に両国の国技館と,浅草の”浜ちゃん”(アニマル浜口)の事を思い出してしまうのです。(笑)
プロレスで”夏の風物詩”といえば,その昔には”田園コロシアム”がよく使われていたものです。今,あの様な雰囲気でプロレスを観戦する事の出来る場所はおそらく無いだろうと思うのですが……。そして,もう一つ”夏の風物詩”として,この時期になるとよく来日していたのがミル・マスカラスでした。
いつの頃だったか……ハッキリとは覚えてませんが,弟のドス・カラスと夏の時期にやってきた時でしたか,京都辺りで二人を連れ出して写真に収めた事がありました。古都らしい背景をバックに……と,タクシーで回ったのですが,暑くて耐えられなかったのか,この時初めて頭を短く刈り込んでいた”坊主頭”のマスカラスを見て驚いた事を思い出します。
W★INGでも1992(平成4)年の夏に,二度目の来日を果たし”ライバル”カネックと川崎で<ダブル・タイトル・マッチ>で対戦していますが……大阪では”万博記念公園”での野外試合を行いました。やはりマスカラスは”夏”が似合う様です。(笑)
W★INGでの夏の思い出といえば,それはやはりミスター・ポーゴの”デビュー20周年”のメモリアル・マッチとして,船橋オートレース駐車場にて行った<ファイヤーデスマッチ>でしょう。リングの後方にあった屋内人工スキー場<ザウス>も今は無く,大型家具店IKEAに姿を変えていますが……もう丸18年の歳月が流れ,あの当時の面影はありません。<茨城>

※写真は当時の室内人工スキー場”ザウス”